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雪うさぎ-1

23000HIT御礼

10月17日頃、キリの良いカウンターをお踏みくださった風花さまからのリクエスト。
-------------------
【お題】
「陛下×夕鈴で、雪が降っているけど暖かく感じるお話(設定はおまかせ)」

『寒くても2人でいれば幸せ...
そんなお話をおりざさまver.で読んでみたいです。

私の地域はまだ雪は降りませんが、そろそろかな〜と思うくらい
寒くなりました。
おりざさまのお住まいの地域はいかがでしょうか?』

と素敵なリクエストをいただきました。
------------------

私の生息している土地では殆ど雪が積もることがありません。
東京に住んでいたころ、何度か大雪も経験しましたが、年何回か、それも数日で消える程度。
雪はとても珍しく、特別な自然現象、という対象です。

雪への憧れをこめて書いてみたいと思います。

書き始めていまさら冒頭で何ではございますが
雪慣れした方々に、雪生活ノウハウを伺いたいです…。

雪国の暮らしにまつわるあれこれ、思い出、心温まるエピソードetc…。
ありましたら、是非教えてください。(公開取材)←

ライブ連載にチャレンジ
取材の成果によって、連載回数とエンディングが変わるかもしれません、ね?
(…取材に行き詰った場合は、多分3話位の分量です)
楽しく書かせていただきますね。

--------------------

※設定は『中華ファンタジー』の原作ベースですが、行事&世界観はあれこれミックスのパラレルSSということで、ご笑納ください。


【バイト妃】【捏造・パラレル】



宜しければ、どうぞ。


風花さまへ捧げます。


* * * * * * * * * * * * * * *
雪うさぎ-1
* * * * * * * * * * * * * * *


いつものように四阿で黎翔が夕鈴とお茶の時間を過ごしていると、カッカッと聴きなれた沓音が聞こえた。


「おくつろぎ中申し訳ありません。
折り入ってご相談が」

李順が手に巻物を持って二人の間に分け入った。

「…なんだ。李順。
少しは気を利かせないか。
せっかくの妃との時間に、無粋な」


「―――実は、返事の締め切りを見落としていた行事がひとつ。
急ぎご出欠のお返事が欲しいと催促があり」

「何?」

「北方の雪の祭典にどうしても足を運んでいただけないかと要望がありまして…。

これまで陛下がご即位以来、北方へはお出ましになっておりません。

北の州牧は大変残念になっておられ
『陛下の第二の故郷の祭典。是非一度足をお運びください』と
雪の祭典行事にご夫婦そろってご招待が届いております。

いかがでしょう。スケジュール的には調整が付く時期ですし
一度、表敬訪問を兼ねて行事へご出席されては?」

と、李順が水を向けた。

李順なりに陛下が北に足を向けない理由を言外に理解しており、できればこの機会に『夕鈴殿をエサ』にして一度は足をお運びいただき、過去の嫌な思い出を払しょくできれば、という腹づもりがあった。

「…下らん。
わざわざこの季節、雪深い地方に夫婦で視察に行くにしては重要度が低すぎる。
李順、断れ」

黎翔は一刀両断した。

「実は8年に一度の国の祭事、水神祭りにも当たりまして…。
国王陛下にご夫妻そろって是非ともご参加いただきたい、と。
―――夕鈴殿、いかがですか?」
李順は夕鈴の方をちらりと伺った。

夕鈴は、嬉しそうな表情をして、
「え? 私も、いいんですか?
ご視察の旅行についていっても?
お邪魔じゃありませんか?」
と答えた。


「いえそれが。行事的には
ぜひご夫婦そろって、とのご要望で」

李順はわざと事務的に答える。


「…それなら、
私は。

一度、北の地方に行ってみたい気はします…」

頬を染めて夕鈴は控えめに答えた。

夕鈴は以前から密かに『陛下の育った雪深い北の地を一度訪れてみたい』と思っていた。

(もし、行けたら、嬉しいなぁ…。)

夕鈴は想像してとろけるような笑顔を浮かべた。


「そうだなぁ…。
夕鈴も一緒、っていうのなら

…行ってもいいかな」

陛下は夕鈴の嬉しそうな顔をみてハニャと笑み崩れたが、

「うーん、北の州かぁ…」
少し考え込みながら、黎翔は即答を避けた。


「これが行事の概要を記した書物です」
ペラリと李順が巻物を広げる。


夕鈴が目を輝かせて覗き込んだ。

「えーと。
…1週間におよぶ、雪の大祭典。
毎年内外から大勢の観客が詰めかける国内最大級の雪像コンクール。

イベント盛りだくさん。

大通りのパレード、
大道芸、
屋外舞台では“美人・舞姫”による奉納舞い…。
太鼓の競演、各種演武、雪合戦個人戦、団体戦。

夜のロマンチック・ナイト・イリュージョン、百のカマクラに1万個の蝋燭を点灯。

そして旅行者が詰めかける目玉の物産市!
地酒、お菓子、乳製品、農産品、肉加工品、工芸品などお客様還元価格で販売!!
会場ラリーで豪華な特産品が当たる抽選会!
かに早食い大会と大がま茹での毛がに実演販売(数量限定)!!!

…そして最終日の目玉は『雪の女王コンテスト』ですって!」

夕鈴が目を輝かせて見入った。

「夕鈴!
雪の女王コンテスト、出るの?!!」

陛下がワクワクと小犬の尻尾を振った。


「…もうっ!!
コンテストとか、美人さんだらけのところに
場違いな私が出るわけないじゃありませんかっ!!」

と夕鈴はブーっと頬を膨らませた。

「…どちらかと申しますと、
夕鈴殿には、こちらの『雪ん子No.1決定戦』の方がお似合いなのでは?」

と、李順がくりくりっとした童の絵姿が描かれているところを指さした。

「り、李順さんっ!!
いくら私に色気がないからって、それは酷いですっ!!」

「ひどいよ、李順!?
ゆーりんは、雪ん子じゃないよ!?
ゆーりんは可愛いよっ!?
ときどき巧妙に罠に誘うよっ?」

「何が罠ですかっ!?
あーもー陛下はっ!
…そんなことはどうでも宜しいっ!!」

李順は眼鏡をクイッと押さえた。

「ところで、この『カマクラ』ってなんですか?」
夕鈴が指さした。
「ああ。
そもそもは水神を祀る「神の座(かむのくら)」を雪を固めて作った雪洞の中に設え、執り行っていたこの地方独自の伝統行事らしい。

外が寒くても、雪で作ったカマクラの中はけっこう暖かいらしくてね。
今では雪洞の中に火鉢を置いてお餅を焼いたり、甘酒を飲んだり。
ゲームをして過ごす『かまくら遊び』になってるんだ。

この雪の祭典では、特別にたくさんのカマクラを作るみたいだね。
夜、明かりが灯れば、それはそれは素朴で幻想的な風景だろうな」
と黎翔が説明した。

「陛下は、カマクラ遊びしたことがあるんですか?」

「いや。一回やってみたいな、と思ったことはあるけど…
実はまだ一度も」

「そうなんですか…!
じゃあ私、この『雪のロマンチック・ナイト・イリュージョン、百のカマクラに1万個の蝋燭を点灯』っていうの、行ってみたいです…」

「―――陛下がご臨席、ともなれば。
特別席からご覧いただくようになりますが?」

「…え?
特別席?
普通に、みなさんと一緒にカマクラ遊びはできないんですか?」

「…お立場上、いろいろと難しいのでは、と」

「夕鈴。ゴメンね。
いろいろエライ人たちが出てきて
結構大変になっちゃうんだろうね。」

ションボリと落胆した夕鈴は、ああ、と口を閉ざした。

その様子を見て黎翔も困った顔をした。

「…やっぱり、寒い場所だし。
…人がいっぱいのところで不自由な思いをするだけだから、
今回の行事は止め、にしようか?」

と黎翔がボソボソとつぶやく。

黎翔が北の州へ行くことを断りかねないと敏感に察知した李順は

「―――では!!
離宮の傍に、特別にカマクラを密かにご用意させておきましょう。
そこで思う存分、カマクラ遊びをご堪能ください!
その代り、きちんと公式行事にはご出席いただきますっ!!」
と大声を出した。

「…え?
カマクラ遊び。

…できるんですか?」

夕鈴が嬉しそうに、上目使いで李順の方を向き直った。


「――ええ、お約束しましょう!
餅焼き網でも、甘酒でも、なんなりとご用意しましょう!!」

李順が力強く応えた。


「きゃ!嬉しいです。
陛下、カマクラ遊び、できますよ?
やったー、ですね!!」

夕鈴は黎翔の両手を握って、きゃっきゃと喜び、ピョンピョン飛び跳ねた。

喜ぶ夕鈴を見て、ふにゃっと小犬化する黎翔。


「では!
行事出席、でお返事いたします。
―――ご異存ございませんね?
陛下」


李順が取りまとめた。


* * * * * * * * * * * * * * *


こうして白陽国王は、
北の国境近くにある州で開催される『雪の祭典』行事に夫妻そろって出席するため、北の地へ赴いた。


(つづく)


*
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雪うさぎ-2

北の地へ旅立った国王陛下ご夫妻は。
【バイト妃】【捏造・パラレル】23000HIT御礼
行事&世界観はあれこれミックスのパラレルSS

風花さまへ


【ねつ造】【オリキャラ】【甘】

「海棠の郷」の設定はいってます。



宜しければ、どうぞ。

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雪うさぎ-2
* * * * * * * * * * * * * * *

昨日まで荒れた天候が嘘のように、移動日は良い天気だった。

あちらもこちらも、コンモリと降り積もった雪で綿帽子をかぶり、新雪に覆われた大地はどこまでも真っ白で、ときどき梢から風に散らされた粉雪がきらきらと空気を輝かせていた。


北の国境近くにある州で開催される『雪の祭典』に招かれた国王陛下夫妻は、北の離宮へ到着した。

比較的新しい作りの宮で、夕鈴は物珍しそうにそっとあちらこちらをうかがう。

屋根の形が見たこともない形をしているし
眼を楽しませる色彩に、華美でぜいたくな造り。
室内は思ったよりも温かで、床からほわっと温熱が立ち上る。

…雪国の家というのは造りからして異なるのだ、と夕鈴は知った。

大勢の人の出迎えに夕鈴は驚いた。

「遠路はるばる王都より、至高なる御身をお迎えできて恐悦至極にございます。
北のこの地へ、ようこそお帰りくださいました」

管轄の州牧の挨拶の「お帰りくださいました」のくだりに、国王はことさらに冷たい表情を浮かべた。

「…」
冷気を孕んだ黎翔の態度に、州牧はピリっと背筋が凍った。

「おお…!陛下はこちらの新しい離宮になってからはお初でございましたな!
以前の旧離宮に比べて格段に素晴らしい処になっております。

我が君に何不自由なく居心地良くお過ごしいただけますよう、数々の手が入れられておりますゆえ、どうかご滞在中はゆるりとおくつろぎくださいませ!」

夕鈴は、あれ?と思った。

李順が挨拶を引き受けた。

「お迎えご苦労様です。
陛下ご夫妻はご移動でお疲れです。

まずは温かいお部屋へ…」

そして、李順はかるく手を打ち静麗女官長を呼ぶ。
李順は次々にてきぱきと手配をした。


部屋に落ち着いて、人払いするとようやく夕鈴はホッとした。

「…想像していたのと違って、新しい離宮なんですね。
近代的設備が整っていて、外はこんなに寒いのに、室内は王都よりむしろ温かいくらいですね。驚きました!!」

床から暖気がたち昇り、夕鈴は外套を脱いでも冬の旅装ではむしろ汗をかきそうなほど。

温かい室内で火照った頬に手をあてると、指先の冷たさにヒヤリとする。
冷たくて暑いのは、不思議な感じだった。

「以前の離宮は火事で焼失し、その後兄の代に新しく造営されたと聞く。
室内が温かいのは、『炕(kang、カン)』というオンドルで、温熱が各部屋の床に行き渡るように造られているおかげだ」

「床暖房?
へぇ、そうなんですか…すごい設備ですね!」

夕鈴はきょろきょろとあたりを見回すので忙しく、黎翔がフッと寂しそうな眼をしたことに気が付かなかった。


兄王が再建した華美な離宮。

黎翔が子供時代を過ごした前の離宮の趣はなにひとつない。


父王が亡くなり、兄王が即位された後、
亡き国王が深く寵愛した舞姫は命を奪われ、
住んでいた離宮には火の手が上がった。

赤い炎に呑み込まれ崩れ落ちた離宮の中に、浩大の妹、杏が囚われていた…。


弟太子であった黎翔は、母違いの兄王に恭順の意を示し一臣下として兄王に仕えた。
まだ14、15の齢でありながら、軍務に所属し各地での戦いの渦中に身を置いた。


寵愛を競い合った妃たちの血塗られた歴史はつまびらかにされることは決してなかったが、その息子―――征服者である兄王は―――その地位を誇示するため、わざと先王の寵愛を独り占めにした舞姫が住んでいた北の離宮跡地のすぐ傍に新しい離宮を建造した。

華美で豪奢な離宮に財をつぎ込み、冬の行事に合わせては大勢の寵妃を引き連れてこの地を訪れ、酒におぼれ、女におぼれる自堕落で退廃的な生活を送ったという。


黎翔は、温かい離宮の館の中に居ながらも、吹きっさらしの雪の平原を見渡しているかのような遠い目をしていた。


長椅子に二人で座っているのに。
陛下が、なんだか遠い…。

すぐ傍にいながら、黎翔がどこか遠くに行ってしまいそうで、夕鈴は怖かった。

その時、静麗女官長が温かいお茶を奉げ持って現れた。
「どうぞ…」

コクリと一口。
熱いお茶が胃に落ちてゆく。
雪の離宮で飲む温かいお茶も良いものだった。


「雪景色は…幻想的ですね。」

離宮の暖かい部屋で熱いお茶を飲みながら、夕鈴は少しだけ黎翔の方へ体重を移した。

軽く腕に夕鈴の重みがかかり、はっと黎翔は傍らの妃を見遣る。

少し困った顔で笑いながら黎翔は静かに答える。

「―――移動は、大変だったな。
疲れたろう、大丈夫か?」

黎翔は、穏やかに夕鈴の髪をひと房に指先を絡め、もてあそんだ。

「はい、私は大丈夫です。
…それより陛下は?」

夕鈴は、黎翔を見上げた。
黎翔は夕鈴の視線を感じて、フッと頬を緩めて見せる。

「…君がいてくれるから。
私は大丈夫だ」

手にしていた妃の髪の束に、黎翔は口づけを一つ落とした。
夕鈴は思わず赤面しながらうつむいた。


李順がキリキリと奥歯を噛みながら夕鈴にけん制の視線をかます。

夕鈴はすっと黎翔の手の内から髪をすりぬくと、長椅子の端にずれ、陛下との間に隔てを作った。

夕鈴の他人行儀なしぐさに黎翔は少しむっとした。


「陛下。この先のご予定ですが―――」

「…続けろ」
眉根にかるくしわを寄せたまま、黎翔は李順に先を促した。

「明後日の式典より一週間の行事が始まります。
明日は前夜祭と歓迎の宴が開かれる予定で、それまで特に公式のご予定は入れておりません。
ご所望のカマクラ遊びは明日の午後、準備を整えお時間を取っております。
今宵はご移動の疲れをとるため、本日はどうかゆっくりとお過ごしください」

「わかった」
黎翔は答えた。


「今回はちゃんと別々に寝室もご用意しております。
まあ、隣室ですが、ね。

まくら投げは厳禁!
おやつはほどほどに!
消灯時間になりましたら、ちゃんと各自お部屋にお戻りくださいよっ!?
宜しいですねっ!?」

一瞬だけだけど、李順さんの胸に「3年白組 担任 李順」という名札が見えたような気がする…。
幻…? 夕鈴は目をごしごしこすった。

「ご苦労。
李順、お前も少し休め」

「到着早々、休んでなど、おられません!
やることは山ほどあるのですから!
とにかく、面倒をかけないようにっ!
特に、夕鈴殿っ!!」

「は、はいっ!!」

夕鈴は直立不動の姿勢で、よい返事をした。

* * * * * * * * * * * * * * *

李順が足早に去ると、黎翔はふと静麗のほうを振り返った。

「静麗」

「およびでしょうか?」

「…今日は特に予定もない。
よって暇をとらせる。

---あそこへ
行ってはもらえぬか?」

静麗は表情を変えずに、静かに肯(うなず)いた。

「ああ、浩大も。
―――杏に合わせてやれ」

「御意」

「もうよいから、行け。
今日は良い天気だが、こういう時こそ、いつまで続くかはわからん
夜には戻るように」

「畏まりました」



(―――主上。
私にお申し付けになった
浩大の妹、杏の墓参りは、ついでのことでございましょう?)


静麗女官長には、わかっている。

(あなたさまは、母君の。
舞姫様の墓を参って来いと。

そうおっしゃりたいのですね。

あなた様ご自身の御手で、
いつか花を手向けるときが来ることを
願わずにはおられません。)

そう、静麗は祈った。




「…なんですか?」
夕鈴が不思議そうに尋ねた。

「――ああ? うん
大したことじゃない」
黎翔は困ったような顔で笑った。

(…こういう時の陛下は、聞いてもきっと答えてくれない。

…私が、バイトだから。
私には知る必要がないって、―――はぐらかされる。)

夕鈴は、チクリと胸が痛んだ。



「夕鈴!
せっかくだから、外、ちょっとお散歩してみない?」

やおら黎翔は元気な声で夕鈴を誘った。

子犬のようにまとわりつき、今すぐに飛び出さんばかりの勢い。


「体も暖まりましたし。
明日の夜からは忙しくなるんだったら、
今のうちにのんびり辺りをお散歩してみたいですね!」

夕鈴も同意した。

二人は再び外套を羽織り、手袋を着ける。

「長靴をはいたほうがいいよ?」と陛下が勧める。

「へ?―――ああ!」

長靴が部屋の隅に置いてあった。
揃えてくれたのは女官長だろう。

(さすが。陛下が何をおっしゃるか、すべて見通しね?
手際がいいわ…女官長さん。)
夕鈴は感心した。

「頭巾をかぶって、襟巻をしっかり巻いて。
…急に冷たい風を吸い込むと、肺がやられるよ?」

手を引かれて足早に離宮の庭へと連れていかれる。

真っ白な新雪が広がっていた。

ここは離宮。
誰も足を踏み入れることがないのだ。


「わぁ…」
夕鈴は感動して、長靴で、サクと雪を踏んだ。

ズボっと足が脛まで埋まる。

「結構深いですね!?」

「これでも、まだまだ浅いほうだよ」
陛下は笑った。

夕鈴が四苦八苦しながら、それでもズボリ、ズボリと新雪に足跡をつけてゆく。

黎翔がそんな夕鈴に、雪玉を投げた。

夕鈴の足元で雪玉はボスっと着地し、雪が跳ね散る。

夕鈴は驚いて振り返った。

「…やりましたねっ!?」

夕鈴は振り向くと、やおら厚ぼったいミトンで覆われた手で足元の雪を掬い上げ、もたもたと軽く手の中で押し付けると、黎翔に向って投げつけた。

バッと雪が散って、届かない。

「…もっと、キュっと固く雪を丸めないと、飛ばないよ?」

黎翔はその手にすでに固く丸めた雪玉を持っており、夕鈴の後ろにそびえていた木の幹に向かって投げつけた。

ボソッと音を立て、雪玉みごと木の幹に命中する。


夕鈴は雪玉をギュギューっと手の中で握り締め、大分小さくなってしまった雪の球を
「あん!悔しい!
えいっ!!」
と言って投げつける。

先ほどよりも遠くに飛ぶ。

夕鈴はキャッキャいいながら、夢中になって雪団子をつくっては投げて遊んだ。

「雪合戦っていう遊び。
二手に分かれた要は陣取り合戦で。
ルールを決めて、当てっこすると面白いんだ…

当たったら当たったで結構痛いから、やめておくね?」

黎翔は笑った。
そういう黎翔は子供のころ、遊びで雪合戦をやったことはなかった。

(―――あれの“大人げない”本気モードの雪玉投げに、付き合ったことは、あったかな。)
黎翔は浩大と兄、そしてその師匠による壮絶な命がけの雪玉戦闘を思い出した。


そうこうしているうち、
夕鈴つんのめって転び、顔からボスッツと雪に倒れこんだ。

人型になった夕鈴の雪跡の隣に、黎翔もボスッと大の字になって倒れこんで、
陛下は腕を伸ばし、隣にいる夕鈴と手をつないだ。

「…大丈夫?」

「だ、だ、大丈夫ですっ!!!」
夕鈴は雪まみれになって、顔を真っ赤にしながら返事をした。

陛下は笑って笑って。
…笑いがおさまると、ようやく体を起こし、夕鈴の手を引っ張って助け起こす。
頭の上から方から。
パンパンと雪をはたいてくれた。
冷たい雪にまみれて、ほっぺは真っ赤。
見上げる瞳はウルウルと。

(かわいい…夕鈴)
黎翔はかいがいしく夕鈴の雪をはたいては落とした。

夕鈴が顔を真っ赤にしながら振り返ると、二人の雪跡は手をつないで、幸せそうに見えた。

夕鈴は胸がギュッと締め付けられる気持ちがした。

カカカーッと血が上り、さらに真っ赤になった顔を見られたくなくて、夕鈴はあわててノロノロと駆け出した。

「夕鈴、どこ行くの?」

夕鈴は返事をせず、目をギュッとつぶって雪の平原を駆けた。

「―――あれ?」
黎翔の声。

夕鈴は目を開けた。

「え? あれ、なんですか?」

「カマクラ…だ」

黎翔は答えた。

李順が用意させる、といっていたカマクラだろうか。

小さくコンモリと作られた丸いドーム状の雪の家。

風下に小さな入口が切ってある。

そばまで近づき、二人は中を覗き込んだ。

「ああ、まだ、カマクラだけなんだ…。
火鉢とか炭はおいてないね」

黎翔は小さな入口から中に潜り込む。

夕鈴もあとから入ってみる。

雪を突き固め、中の雪をくりぬき家にするのだろう。
外から見た印象よりは、中は広く感じた。

「温かいですね…」

「そうだね」
二人は背中合わせになって膝をかかえて座っていた。

こつん、と背中に夕鈴の後頭部が寄りかかる。


「…陛下。
連れてきてくださって。
ありがとうございました。」

夕鈴はそっと礼を述べた。

それを聞いて、黎翔はついポッとなった。

「…ぼくも。来てよかった。
夕鈴と遊べて、うれしい」


「本当は、あまり来たくなかったのでしょう?
――――こちらには」
夕鈴はすまなさそうな声音で。

「いや。
君と一緒なら。
私はどこにいても。幸せだよ?」


カマクラの中は真っ白で。
ぽかぽかと暖かかった…。

「夜。明かりがついたカマクラ、見れますかね…」

「どうせ李順は
『寒いし、危ないですから、夜はダメ。
大切な行事の前にお風邪でも引いたらどうされます』
っていうにきまってる。

でも、今日。夕餉の後に、二人で内緒で
ちょっとだけカマクラ遊び、しようか?」

「わあ! それはうれしいです!
約束ですよ?陛下」

黎翔はくるりと振り返り、膝をかかえる夕鈴の背中から覆いかぶさった。

「うん。約束。

それより、…寒くない?
夕鈴」

「さっ 寒くないですよ?
カマクラの中が こ、こんなに暖かいなんて
おっ 思いませんでした!!」

陛下ったら、心配性なんだから…

でも。…心配してくれて、嬉しい。

夕鈴は笑った。


「でも、そろそろ、戻ろうか。
…君の体が冷えてしまう」

黎翔は背中から覆いかぶさり、夕鈴の濡れた手袋を握り締めた。

「びしょ濡れじゃないか…!?」

「ああ、さっき。雪玉合戦で…」

「しもやけでもできたら、どうする!」

慌てて黎翔は自分の手袋をはずし、夕鈴の濡れた手袋を外すと両手でこすりはぁっと息を吹きかけた。


「ああ、こんなに冷たい…」


冷たい…。

冷たい雪の中の手…。

子供のころの空虚な思い出が、黎翔の胸にあいた穴の中を嵐のように通り抜ける。



黎翔は、夢中でその手の熱を取り戻そうと、こすり合わせた。


「…寒くありませんよ?
本当に心配性ですね、陛下は!」


夕鈴は思わず狭いカマクラの中で、両手を握り締められ、熱心に陛下が手を温めようとするので、もうどうしてよいのかわからないほど頭に血が上り、真っ赤になっていた。

ジンジンとする指先より、ドキドキ胸の動悸が聞こえそうで困ってしまった。

黎翔は思い余って、襟をかき分けるが早いか、自分の首筋に冷たい夕鈴の両手をピッタリと押し付けた。

黎翔の生身の肌の熱を分け与えられ、その感触に思わず夕鈴は内心(うギャー!!!)と叫び、手をひっこめた。

夕鈴がパニックを起こしかけてる様子を見て、黎翔はハッとなり、ショボーンと耳を垂れた。


「ごめんっ!?
思わず、つい…」

「いえっ!」

ぶんぶんと夕鈴は手を振る


…二人の間に微妙な空気が漂う…




「…とにかく、いったん部屋に戻ろう」

「陛下?」

「…つい、夕鈴の嫌がることして、ゴメン…」

「い、い、嫌じゃ…ないですよっ!?

ただっ 
こんな冷たい手を陛下のっ おっ、おっ お首に当てたら
陛下が冷たいっでしょ!?

驚いただけでっあのっ…そのっ!! 嫌じゃないですっ!!
驚いてごめんなさいっ!!!」

夕鈴はどもりながら真っ赤になって目を伏せた。


黎翔はしょんぼりと体の向きを変え、もぞもぞとカマクラの出口のほうへ手をついて進むと

「とにかく、一度。
部屋に戻ろう、っか」

と、自分に対して苦笑をした。



(つづく)



*

さっそく雪国レポートありがとうございます。
twomoonさまの『雪遊び』編。
風花さまの『ずぼずぼ』も、アップ直前、ギリギリ挿入しちゃいました^^
Rulalaさま、応援ありがとうございます^^

また、構想していたストーリーにピッタリシンクロした体験談も届いておりますので、次回、きゃーま様に頂きましたエピソードを織り込んだ『地吹雪』編へと続きます。

まだまだ「雪エピソード」お待ち申し上げております
///^-^///

おりざ 拝


雪うさぎ-3

幸せそうに雪遊びに興じる国王陛下ご夫妻でしたが…


【バイト妃】【捏造・パラレル】【ピンチ】
行事&世界観はあれこれミックスのパラレルSS


宜しければ、どうぞ。

* * * * * * * * * * * * * * *
雪うさぎ-3
* * * * * * * * * * * * * * *



離宮の温かい室内とは裏腹に、夕方から急に天候が悪化し、外はひどく吹雪いていた。

ガタガタ、ヒューヒュー、外の木々の枝が擦れ軋む音。

(…まったく…。
急用だと呼び出しに付き合えば、
李順のやつ、次から次へと…)

予定外の面会。
周宰相が用意周到に荷物に紛れ込ませた書簡類…。

『これさえ済ませておけば、明日から思う存分お遊びいただけますよ』

ようやく李順に解放されたときは、すでに辺りは真っ暗で、この地方全体に地吹雪が吹き荒れていた。

朝方あれほど晴れて穏やかだった天気は、夕方ころから一転。
急にあたりが日暮れの様に真っ暗になったかと思ったら、嵐のような風と雪が吹きはじめた。

ビュービューと枝を渡る風切音が遠くから聞こえる。


『夕鈴は、慣れぬ離宮で一人。
不安にしているのではないか』

黎翔は足早に、奥向きへと急いだ。


離宮側で用意されている大勢のお付の者たちがかしずく廊下を通り抜け、王の居室へと戻る。


室内は、既に旅支度は解かれており、あたりは居心地良く整えられていた。

だが、黎翔を迎える妃の笑顔がない。

(…ん?)

黎翔はあわてて隣の妃の部屋へ通じる扉に手をかけた。

なぜか、胸騒ぎがする…。


黎翔は灯火に照らされた薄暗い部屋に入るなり、
傍の離宮付きの者に大声で尋ねた。


「――― 妃は?」



「畏れながら…大変申し訳ございませんっ!!

実は、先ほどからお姿がみえないと…
女官たちが申すものですから」

責任者らしき次官が、傍付きのものたちの先頭で深々と頭を下げながら返答した。


「…妃が、いない?

―――いつから?

分かっていたなら
…なぜ、私に知らせんっ!?」


黎翔は焦燥感を募らせ、明らかに抑えの利かない怒気をあらわにした。


「陛下とご一緒に昼餉をお取りになったあと、
『暫く午睡をするから』と人払いなさったまでは。
確かに女官らがついておりました、
しかし…」

責任者の次官は汗をかきかき報告を続けるが、結局は要領を得ない返答を言い訳がましく繰り返すばかりだった。

「…これほど大勢の人間が傍に仕えていながら
妃を見失う?

…お前たちの眼は節穴かっ!!」

「す、全ての部屋をくまなく探し申し上げましたっ」

居並ぶ傍付きの者たちは、激高する黎翔に恐れをなし額を床に擦り付け平伏した。

王宮の傍付きの者たちを数人連れて来ていたが、離宮ではその何倍もの人数の女官、侍女、宦官らが付けられ、過剰なもてなしぶりが更に黎翔の神経を逆なでする。

「探しても、見つからん、と?」

イライラと黎翔は睨み付ける。


「お、畏れながら…
――も、申し訳ございませんっ

平にご容赦をっ!!

ただ今、手すきの者を出し
お探し申し上げておりますので、
今しばらくお待ちを…」


「手すきの者、と?

いまさら言うに事欠いて何を…。

妃の世話をし、もてなすのがお前たちの役目。
…手すきも何もあるものか!

役立たずは数いても役立たずか」

黎翔が腰の佩きモノに手を掛ける。

「ひいっ!」

「これ以上馬鹿げたことを言おうものなら…」

黎翔は今にも剣の鞘を払い、天辺目指して振り下さんばかり気迫。
あまりの恐ろしさに責任者は腰を抜かし、気を失った。


「もうよいっ!!
ただちに全員で捜索せよ!

―――大至急、李順を呼べ!

全ての部屋を今一度!
隅々までもれなく探すのだ。

…万が一にも外に出たとしたら
この嵐の中、一刻も早く見つけねば、命にかかわる!
離宮周辺も、くまなく探せっ!!

私も出る。冬装束を!」


慌ただしく周辺が動く。

黎翔は順に厚い肌着・胴衣を重ね着し、長靴、手袋、全身を覆う外套を着こみ、自らも身支度を整えた。


(夕鈴… 無事でいてくれ…!

…こんな時に限って。
浩大と静麗に揃って暇をだしてしまった…)

と悔やまれた。


「陛下。おそれながら…」

王宮から連れてきていた女官の一人がおずおずと国王の前にかしずく。

「何だ?」

「お妃様のお部屋の、手あぶり火鉢がなくなっております」

「火鉢」

「このくらいの、小さなもので…
あと、敷布と、長椅子の座布団も見当たりません」

女官が説明をしているとき、黎翔はハッと思い出した。



『今日。夕餉の後に、二人で内緒で
ちょっとだけカマクラ遊び、しようか?』


確かに
そう約束をしたのだ…。

黎翔は慌てて、暗い嵐の中へと駆けだした。


* * * * * * * * * * * * * * *


昼餉の後、膝の上に拘束された。

『ここは念には念を入れて、イチャイチャ夫婦を熱演しようね』
陛下はそう耳元にささやいた。

陛下は、いつもよりも。更に、ほんとーに、すっごく…甘々で。
私のことを構うから、本当に困ってしまった。

離宮は王宮以上に人が多くて、…とにかく視線が痛い。




そうして、二人でお茶を飲んでいると李順さんがセカセカと部屋に入ってきた。

正直、陛下のお膝の上から解放されるきっかけができて、ホッとした。


「陛下…おくつろぎのところ申し訳ありませんが
予定外のご面会が…」

慇懃無礼に遠慮がちに述べながらも、実際は遠慮がない。
陛下は李順さんから逃れられなさそう。

(―――今日は何にもご予定は無いっていってたのに。

やっぱりお仕事が追っかけて来るんだ…。

陛下って大変。お気の毒だわ…)

私は深く同情した。


「―――夕鈴。
すぐ戻るから

少しだけ、待っていてくれ」

そうおっしゃっていたけど、容赦のない李順さんのことだから…。
そう簡単に陛下を解放してくれるとも思えない。


李順さんが陛下を連れて行ってしまった…。


「しばらく、ひとり。
…何を、しようかしら」


こういう時。
静麗女官長さんが陛下の御用を言いつかって他出してしまったのが、寂しい。

後宮から付いてきてくれた侍女さんもいるけど、離宮で用意されたお傍付きの方たちが大勢いらっしゃるので、なんとなく甘えづらい。

いつものこと、といえば、いつものことだけど。

王宮や離宮。
王の住む場所ともなれば、そもそも上流階級の天辺の人間しか足を踏み入れることはできない特別な場所。
ここ離宮にも天女にも勝ると劣らないほどの美しい選び抜かれた女性が山ほどいる。

そんな中で、私なんて本当にしょうもないくらい平凡な女の子だ、と自覚せざるを得ない。

離宮の役付きの女性たちが私を見た後に、優越感をたたえた表情でヒソとささやき交わす言葉が良い言葉であるとは到底思えない。

ジロジロと見られ呆れたような目つきや、あからさまに見くびられたような眼差しを受けるのは、正直、つらい。

あの。私。
バイトなんです?

だから気にしないでください?―――って、そういえればいいけど。


絶対それは口にできない。

息が詰まる。

どこか、一人っきりになりたい…。



目の前の卓に、手をあぶる小さな火鉢が置かれているのが目に入った。


…あ!?


私はいいことを思いついて、にんまりしてしまった。


「すみません、疲れたので。
しばらくお昼寝をします。
一人にしてもらえますか?」

と、人払いを願う。

「お休みですか?」
と、後宮の美人女官さんが、鮮やかな手さばきで寝台を整えてくれる。

冷ややかに、でも美しい声で「どうぞ」と。

「もうあとは良いですから。
どうかお構いなく。あなたも休憩してください」

と声をかけ、敷布を被った。

本当ならたぶん寝入っても誰か傍にずっと付かれるのだけれど。

離宮の女官さんたちは
「さようでございますか、では」
と、ツンツンしながら下がってくれた。


暫く寝たふりをしていたら、周囲は静かになった。



思い出す。

『お忍びで、まいて来ちゃった!』
―――悪戯っ子のように。にんまりと笑う陛下。

そして次に想像するのは、ゾッと青ざめている李順さんの顔。

あまりにも鮮やかに、楽しそうに。
周囲の心配なんてなんのその。
あんぐりと口をあける私は、陛下のやることなすことにいつも驚かされる。

でもそれがすごく…陛下らしくって。憎めない。


…だから、今日は。

さあ、夕鈴。いよいよ、チャンス到来よ?!
『陛下の裏ワザ』を見よう見まねでやってみましょう。

…こういうとき、陛下や浩大に習ったテクニックが生きるのよね。

警備のウラをかく方法とか、周りに知られずにそっと動くコツとかを、いままで地道に情報収集してきた甲斐があるってもの。
『見て学べ』『門前の小僧習わぬ経を読む』

お傍の人たちを煙にまく技術を身に付ければ、私もプロ妃としての腕が一つ上がるってものよね…うふふ。ドキドキしちゃう…



小さな冒険を思いつき、大いに興奮していた私は大切なことを見落としていた。

『私は凡人だった』ということを。

そして、『知らない場所には、気をつけろ』という初歩的なことを。


『―――陛下の悪いところばっかり学んで』

のちのち。李順に盛大にため息をつかれ、ネチネチと反省を迫られるとは、この時の私は思いもしなかった…。


* * * * * * * * * * * * * * *


一人で、来ちゃった!


…さっき陛下と見つけたカマクラ。

やっぱり、かわいい。


外は寒い。
離宮の広い敷地の小高いここは、真っ白な雪野原。
まっさおな青い空。良い天気。

でも風が強い。





でも、やっぱりこの手あぶり火鉢は重たいわ。

いくら持ち運びができるサイズとはいえ、雪の中運ぶのは結構難儀ね。
汗をかいちゃった。

継ぎ足しの炭や食べ物は…あとで、にして正解だった。
とても持ちきれない。


『今日。夕餉の後に、二人で内緒でちょっとだけカマクラ遊び、しようか?』
って、陛下と約束したから。


先にこっそり準備しておこう。

李順さんが用意してくれるのは明日って聞いている。

だから、とりあえずありもので、出来るだけ。

座布団をくるみ背中に背負っていた敷布を外して、広げる。
布を敷いて、座布団、火鉢を置くと何となくさまになった。


「ふふ。なんだか秘密基地作ってるみたい…。」


そういえば、昔、几鍔が樹の上に秘密基地作るぞって、ガキ連中を集めていた。

「わたしも入れて!」ってあんなに言ったのに

「てめーは女だろっ!?
樹の上の秘密基地に女なんか入れねーよっ!」

って…結局入れてくれなかった。
すごく悔しかった。

―――今日のカマクラは陛下と二人っきりの秘密基地。



カマクラの外に顔をだして、空を見上げる。

さっきまで青空だったのに、紫色の珍しい雲が広がっている。
夕焼け雲とは違う、冷たい見たことのない色あい。

こうしてみると、白一面の平原は、なんだか荘厳。
段差もわからず吸い込まれそうなほど、白一色。

黒いものが落ちている。風で折れ飛んだ小枝。
拾ってみると、小枝はカラカラに乾いて軽かった。

ブル…っと身体が震える。

あ。いけない。
汗が冷えてきた。


カマクラに戻り、拾ってきた小枝で火鉢の中の灰に埋めてあった炭をつつき出す。
ふぅっと息を吹きかけ風をおくるとそれまで黒っぽかった炭に赤々と火が回る。

小さな火鉢だけど、火を見るとホッとする。



懐の布袋を取り出し、火鉢の五徳の上に網を置く。


「薄切りにして乾かしたお餅ですよ。
あぶってアラレにしたら美味しいんです
ちょっと、やってみますか?」

…なんちゃって。

あとで陛下と一緒に愉しむ、予行演習。

あぶっているうちに、お餅が膨らんでアラレになる。
焦さない様に、いくつかのアラレをクルクルと手早くひっくり返していると
いつのまにかあたりが真っ暗になっていた。

「――え?
まだ日暮れには早くない?」
ドキドキとしながら
「どうしよう」
とあたりを見回しているうちに、ゴーゴーとすごい遠鳴りがしてきた。


* * * * * * * * * * * * * * *


「…怖い」

火鉢のぼんやりした炭の赤い部分が妙に明るくみえる。


辺り一面真っ暗になった小さなカマクラのなかで、一人、夕鈴は怯えた。

あっというまに天気は一変していた。

刻一刻と風は強くなり、降り積もった新雪を巻き上げそこいらじゅうに叩きつける。

カマクラの入口からも強く吹き込んできてみるみる、穴の中に雪が入り込み積もるのを見て
「これは…早くお部屋に戻った方がよいかしら」と思った時、既に遅し。

意を決して外に出てみたものの、
叩きつけられるような風雪にあおられ、真っ暗で何も見えず、ただビョウビョウと音だけが体の周りにあった。

―――白くて暗い世界。

さっきまであんなに良い天気で、迷いもなく来られた場所が…
今は暗黒の虚空に沈み込んだように、右も左も、天地さえも見分けがつかない。

失調した感覚は、頼りなげに足元の新雪をボスボスと踏みぬくたびに、どこか穴の中へ落ちて死んでしまうのではないか、という恐怖しか伝えてはくれなかった。

外套に雪片がビシビシと殴りつけるように張り付く。
その雪はすぐに水に戻りかけ、また次に飛んできた雪片でさらに凍りつく。

雪というより、既に氷と化したツブテは、当たると痛い。

氷にまとわりつかれ、身体が重い…。



夕鈴は雪の結晶が生まれてゆく様を、目の当りにしている気がした。

眼をあけていれば、眼に。息をしていれ鼻と口に。

呼気が凍って張り付く。


痛い…苦しい、冷たい…!!!
何も見えない…

このままでは、呑みこまれてしまう…!


…どうしよう、離宮はどっち?
分からない。


夕鈴は風に足をとられ、転んでしまった。

立ち上がろうと周りと見渡しても、
もうそこはどこが上か下かも分からない白い恐怖の世界だった。

実際の距離にすれば、たいして移動はしていなかった。
カマクラからやっと数歩進んだ場所で、夕鈴は恐怖に心まで凍らされた。

しかたなく、さらに三倍の労をつぎ込み、まだうっすらと見える自分の足跡をたよりに、夕鈴は風雪がおさまるまで、再びカマクラへ戻って待つことを決意した。


カマクラにたどり着く。
小さな出入り口は、すでに地吹雪に舞い上げられた雪で埋もれ駆け、両手でかき分けながら穴に潜り込む。

ビョウビョウと吹きこむ氷のツブテの侵入を防ぐため、必死の思いで敷布と雪で穴を塞ぐ。

ようやく穴をふさぎ、嵐から隔離できたとき、夕鈴はホッとして、ついカマクラの中であおむけに倒れ込んでしまった。


ヒヤッとした冷気が体に届いた。


寒い…

長靴も、手袋も雪にまみれ、解けた氷水をたっぷりと染み込んでいる。
ジャリジャリ氷りかけた手袋をはずすと手は濡れそぼって真っ赤になっていた。

夕鈴は雪まみれの外套を脱ぎ、床に敷いた。


そして嫌なことに、汗を吸った肌着が冷たくなりはじめた。

「乾いた布… 汗を拭かなきゃ」
小さな手布一枚を握り締め、必死に襟足から手を差し込み汗をぬぐう。

小さな手あぶり火鉢のなかに継ぎ足す炭はない。

白い灰になりかけた炭。
火鉢に残るわずかな温もりだけが、今ある全て。


夕鈴は轟轟と小さなカマクラの周りを覆っている白い魔物の陰に怯えた。

次第に冷えてゆく身体は、意図せずにガタガタと震える。
歯の音が合わなくなり、カチカチと小刻みに音をたてはじめた。

(うう…寒い…でも。
大丈夫、とりあえず、雪さえ凌げば…)

夕鈴は手足を懸命にこすり合わせ、息を吐きつけ
必死に身体を暖めようと努力した。



陛下…

こんな嵐の中は、
絶対来てはダメですからね?

すぐ止みますから。

ちょっとだけ、待っていてください。




―――自分の救援よりも
陛下の身を案ずる夕鈴であった。




(つづく)



*

きゃーま さまからお寄せいただいた雪の体験談、地吹雪のお話を参考にさせていただきました。
ありがとうございました。

おりざ拝

*

雪うさぎ-4

陛下のお仕事中、ひとりぼっちになってしまった夕鈴。
こっそり離宮の自室を抜け出し、密かにカマクラ遊びの準備をすることに

ところが天候が急に荒れ、地吹雪に閉じ込められてしまった夕鈴は…?


【バイト妃】【捏造・パラレル】【微かな胸の痛みと甘さ】

行事&世界観はあれこれミックスのパラレルSS


宜しければ、どうぞ。

* * * * * * * * * * * * * * *
雪うさぎ-4
* * * * * * * * * * * * * * *


「夕鈴!」

… あれ?

ペチと頬を叩かれる。

「―――夕鈴ったら!
もう、起きてってば!」

ふっと前を見ると、見慣れた顔。

「…明玉?」

明玉がペチペチと夕鈴の頬を叩いていた。


「…ちょっと、明玉
痛いってばぁ…!」

夕鈴が振り払うと、明玉は笑った。

「ごめんごめん!
だって、あんたったら、待ちくたびれて寝ちゃって…。

今日は久しぶりの女子会でしょ?
あんたの近況も、じーーーっくり、聞かせてもらうわよ?!」

明玉が肘でツンツンと小突く。

ああそうだ、明玉がお仕事上がるのを待っていて、つい、うとうとしてしまった。


飯店の跡取り息子と祝言の約束をしている明玉は、結婚前にもかかわらず『早くなじみたいから』と飯店の手伝いをしている。
明玉は持ち前の明るさでチャキチャキと店を切り盛りする看板娘。

「ちょっと、夕鈴、寝ぼけてないで、起きてってばあ!」

明玉はもう一度、夕鈴のほっぺたをギューっとつねった。


「いー…! 痛い痛いイタタタタ!」
夕鈴は明玉を手で振り払った。

「だって!
夕鈴ったら、いっも肝心なところで
寝たふりして~!

でさ、あんた、几鍔さんとあのお役人と、
どっちと結婚するの?
それとも、…あの、ガタイのいい第3の男?」

明玉は、モニモニと夕鈴の両頬を引っ張りながら、執拗に尋ねる。

夕鈴はぼんやりと返事をした。

「え?
…だから、叩くのは止めてってばぁ…。

ええっと?
―――誰が、誰と結婚?

なあに?
何の話だっけ…?」


「もうっ! なに寝ぼけてるのよ?
ほんとに夕鈴ったら。

それに、そんな隅っこで!
寒いから、もっと火に寄って温まりなさいよ」

「そういえば…なんだかすごく寒い…。
ありがとう、明玉」

明玉が背中をゴシゴシとこすってくれる。


「もぉ―――っ!
あんたってば遠慮ばっかりしてっ!」

「そう?」

「そうよ!
そんな隅っこじゃ、几鍔さんと話せないでしょ?」

「え?
なに?

きがく…?

え“え”え“え”~~っ?」

目の前に几鍔がいて、明玉が無理やり二人をくっつけている。

几鍔の顔がどんどん近づき、至近距離でむっつりしている。

「おうっ!
なんだ、てめえ、シケたツラしやがって
どうした?」


几鍔まで、いたっけ?


「ちょっと、几鍔、あんたなんでっ
“女子会”にいるわけ?」

「まぁた、夕鈴ったら。
照れちゃってぇ。
几鍔さんがお待ちかねよ~」

明玉がニヤニヤしてペチペチと背中を叩く。

几鍔はガッシリと私の両肩を掴んでガクガク揺さぶった。

「おい、しっかりしろよ!?
なに寝ぼけてんだ
一緒に帰るんだろ?」

「几鍔さんとスイートホームにお帰りって♪
きゃ♪いいわねっ夕鈴ったら」

「ちょ、明玉?
わたし、違っ…
ちょっと、几鍔っ

離れてって言ってるでしょ、止してよ!?
怒るわよっ?」


「あら?なぁに、夕鈴ったら、
他に誰か好きな人でもいるっていうの?
まーっ! これだから、下町の悪女っていうのは…」


「だから、私の好きな人は…!
――――… あの。

だから…
私の好きなひとは…
―――――― …。」


…言えない。


夕鈴はジワリと涙ぐんだ。

「ほーら♪ 可愛いったら。
本人眼の前にすると言えないものよね~
几鍔さん、さ、ちゃっちゃとお家にさらって行っちゃって♪」

「止めてってば!
だから私は……が」


「馬鹿だな、何言ってんだよテメー。
今更よぉ
一緒に帰るんだろ?」


――マジ?!

几鍔が手に力をこめ、私を引っ張る。


「やめてっ!
金貸しなんか、大嫌いだってばっ!
金輪際、近づかないでって言ってるでしょ!?
引っ張ったら、痛いってば
触らないでよっ!?」

「夕鈴たら、照れちゃって~
ほらっ
ちゃんと几鍔さんにギューギューしちゃって
暖めてもらいなさいって!
几鍔さーん、この子、しっかり捕まえて離さないでねっ!」

「ったりめーだ!

いくぜっ?」



風が冷たい。


…やめて…!
やめてってば?!

雪が顔に叩きつけられる。


グルグル手足が巻き付けられて
ギューギュー縛り付けられて
ピクリとも動かせない

抱き上げられて…
空中でグルグル回される。


世の中がひっくり返って
耳元でビュービューと恐ろしい風切音が聞こえる。


――やだっ!
ちょ、ちょっと待って?

どこに連れてくの?




やだ。

…やめてよ、あんたじゃ、嫌!



―――陛下っ

陛下じゃなきゃ、やだっ!

陛下じゃなきゃ、… 

陛下…!




「へ か…
や…!!」

夕鈴は涙を振り絞って叫んだ―――――



「―――夕鈴。

すまない。

お願いだから、暴れないで」


ビュビュウと叩きつける風のなかから、低い声がした。

陛下の声。

「――へっ!?」

夕鈴は、ハッと我に戻った。


(あれ、明玉は?

几鍔のバカは…?)


眼の前に黒いツヤツヤした髪と毛皮に覆われたうなじが見えた。

轟々と吹き荒れる雪氷が、頬を打つ。
真っ白に煙る闇は嵐の渦中。


夕鈴は、陛下の背中に縛り付けられて揺られていた。

「…あ… へ か…?」

(…陛下…だったんですか?)
夕鈴はホッとして脱力した

口がうまく動かない。



「私では―――
嫌だった?」


「……?」


「さっきから
『几鍔』クンがどうとか、
『やめて』とか『いや』とか
暴れるし…」


黎翔は云いながら、ズキンと胸に痛みを覚える。
それでも必死で先に雪の中を進む。

「ち…ちあう」

『違う』と言いたいけれど、舌がうまく回らない。
夕鈴は朦朧としながら、さっき明玉たちがいたのは夢だったと知る。


「―――心配した」

激しい動悸が伝わってくる。
必死に雪をかき分け、先を急ぐ黎翔は、言葉少なだった。



「…ごめ  …い」

ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい、陛下…。




* * * * * * * * * * * * * * *

雪原の中、嵐に翻弄されながらも黎翔は進み、微かに痕跡を残していたカマクラを発見した時は心底ほっとした。

慌てて積もった雪をかき分け、入口あたりを塞いであった敷布をどけ、カマクラに四つ這いで手を伸ばした。

何かに触れた。

…夕鈴の脚?

さらに雪氷をかき分け、カマクラの中に入ってみると、真っ暗な中に確かに人が倒れている。

黎翔は足元からすがりつくよう、その身体を引き寄せた。
慌てて携帯していた小さな灯に火を灯す。


ボッと灯りが灯ると横たわった人体が陰と共に浮かび上がる。
顔の方へ灯りを向ける。…青白い夕鈴の顔が浮かんだ。

黎翔は心臓を握り潰されるような痛みを覚えた。



身体は氷のように冷え切って意識がない。

黎翔は顔を覆っていた布を外し、あわてて胸に耳を当てる。

かすかに息はあった。

手袋を外し、素手でペチペチと頬を叩く。

「起きろ!夕鈴!
寝ちゃだめだ…!」と声を掛ける

なんども呼ぶ。

「起きて!夕鈴」

…頬をつねる。

ときおりうっすらと浮上する意識は朦朧としておりすぐに暗闇へ落ちて行ってしまう。

「寒いか?
夕鈴、しっかりしろ!」
背中に手を回し、ゴシゴシこする。



「…きがく」

夕鈴がつぶやいた。

黎翔はズキリと胸が痛んだ。

どこをさまよっているのか…。
なかなか彼女の意識は戻らない。

腕を引き上げるが…だらんと力なく落ちる。

夕鈴…!
君は几鍔の夢を見ているのか…?

眼を醒ませ…
私を見ろ!

黎翔は手足が重たくなり、彼女の肩を攫むとガクガク揺さぶり、覆いかぶさった。


(…ダメだ。
夕鈴の命がかかわってるんだ。

何をしている?
早く助けなくては。)

黎翔は必至で自分を律した。

速やかに毛皮の付いた外套を脱ぎ、彼女をそれでグルグル巻きにして包む。
夕鈴を引き上げ狭いカマクラの中で背負うと、持ってきた縄で彼女の身体を自分の背中にきつく縛りつける。

「…やだ…」と小さく夕鈴が動いた。

黎翔は首を振る。


「ゴメン」
黎翔はそうつぶやくと、テキパキと身支度を整え、脚で思いっきり蹴りカマクラの一部を突き崩すと外への移動を開始した。


夕鈴は黎翔の背中で揺られていた。

そのうち、深い闇の中から微かに意識が浮上した。

身をよじる。


「へ か…

や…!!」

背中の声。

黎翔は唇を引き結び、見えぬ前方をひたすらにらんでいた。


「―――夕鈴。

すまない。

お願いだから、暴れないで」


ビュビュウと叩きつける風のなかで。心から願う。

(…助かってほしい。
だから今は我慢して。)




「――へっ!?」

陛下だったんですか?




「…あ… へ か…?」

陛下、こんな嵐の中…
危ないですよ?

ダメじゃないですか、大切な大切な
この国で一番大切なお方が…無謀なことをなさっては


「私では―――
嫌だった?」


「……?」


「さっきから
『几鍔』クンがどうとか、
『やめて』とか『いや』とか
暴れるし…」


夕鈴は慌てて否定した。

「ち…ちあう」

うまく言えない…。

私、夢を見ていたんです。
明玉や几鍔は…夢だったんです


「―――心配した」


「…ごめ  …い」

ごめんなさい。

私が勝手に離宮をぬけだしたから…
心配かけて、ごめんなさい。


大好きなのに、ごめんなさい。


ごめんなさい、陛下…。


夕鈴は黎翔の背中で揺られ、泣きながら心の中で謝っていた。


* * * * * * * * * * * * * * *

離宮に近づいたのか、遠くに灯火がチラチラと増え始めた。

近づいていくに従い、妃を探して大勢の人達が灯火を手に手に、声をあげ鈴を鳴らし、竿を片手に雪を突きながら大捜索が行われている状況だと分かってきて、夕鈴はズキンとした。

…こんな大事になっていたの?

「陛下っ!」

主人の気配に、いの一番に李順が気付いた。

眼鏡にはビッシリと雪がへばりつき、前髪からはしずくが垂れている。
良く通る声で手近にいる者に即座に指示を出す。

「戻りです!
あちらへ。
急ぎ手を貸しなさいっ!」
と周辺の者たちは一斉に振り返った。

ざわざわと騒がしい男たちが近づいてきて取り囲まれる。
夕鈴は黎翔の背中に顔を押し付けてギュッと眼をつぶった。


「お妃さまは?」

「――連れ帰った」

「何よりです
…さあ、早く中へ。

陛下も…びしょ濡れではありませんか!?
お風邪でもひかれたらどうします!
急いでお手当を!!」


部屋に入るなり、黎翔はその身に縛り付けていた縄をほどき、
大切に夕鈴を抱えるとそっと降ろした。

女官らが四方八方から助けながら、冬装束を解く。
顔をグルグル巻きにしていた布を外し、長靴を脱がせ、手袋を外させる。
辺りはしずくでビショビショになった。

胴着を脱ぐと、黎翔の肌から汗が蒸気になって立ち上る。


一方夕鈴は、黎翔の大きな毛皮製外套で包まれていたが、身体は冷え切り、濡れそぼっている。

張り付いた前髪、紫青な唇…。

黎翔はその姿を真正面から燃える赤い眼でとらえると、両手が吸いつけられるように夕鈴の頬へと伸びた。

離宮の侍医が小瓶を差し出す。

「体を暖める気付け薬です」

横から差し出された小瓶を片手でスッと取り、黎翔はやおら自ら含むと夕鈴の口元へそれを運んだ。

口移しに液体が夕鈴に届く。

「―――んんんん~~~っ!!!」

驚いた夕鈴はあまりのことに軽いパニックをおこした。

軽い抵抗を感じたが、黎翔は強く唇を押し付け、離さない。

(温かい…陛下のお熱。)

夕鈴は目をつぶったまま、ふと力が抜けた。

唇を開く…。

トロリと液体が流れ込み口の粘膜にふれたとたん、苦みと、カーッと熱い刺激を生んだ。

「…んっく!」

小さくイヤイヤをする夕鈴は、閉じた目尻から涙を流した。

コクリ、と喉が動いたのを見届けると、黎翔はゆっくり唇を離す。


ペロリと口元を舐める。

(…度数の高い酒で生薬を抽出してるな…)
と黎翔は思ったが身体を芯から暖めるには効果的だろう。


「嫌だろうけど。
今は、飲んで…?
頼む」

もう一度、黎翔は瓶を傾け口に含むと夕鈴の口へと運んだ。

今度は素直に受け入れられ、半開きの唇からするりと液体は飲み下された。

黎翔は夕鈴の両頬を挟んだまま、そおっと唇を離す。


涙をこぼし、濡れたまつ毛をしばたたかせ、夕鈴は目をあけた。


真っ青だった顔の唇と頬に、少し赤みが戻ったような気がする。


「よかった…無事で」

黎翔はホッとして毛皮の外套に埋もれた夕鈴を抱きしめた。

夕鈴は目が覚めたばかりだというのに、口から食道から吸収され、回り始めたアルコールでポーッと目が回ってきた。

カーッと血がめぐりはじめ、耳元でドクンドクンと鼓動がうるさい。
手足がチリチリ針を刺されたように痛みはじめ、
身体の中がグルグル動いた…


「へ、か…」


夕鈴は、クラリと目を回し
再び真っ白な夢の中へと旅立った…。



(つづく)


*
131128ずぶぬれ夕鈴-M

雪うさぎ-5

吹雪の中、夕鈴を救出した陛下。

『女子会』の回。


【バイト妃】【捏造・パラレル】【甘甘】

行事&世界観はあれこれミックスのパラレルSS(サイド・ストーリー)


宜しければ、どうぞ。

* * * * * * * * * * * * * * *
雪うさぎ-5
* * * * * * * * * * * * * * *

離宮自慢の湯で体を暖め、乾いた夜着を身に付けた黎翔。
再び妃の部屋へと向かうべく、隣室の扉に手を掛ける。

『また、ぞろぞろと付き添いの者どもが居るのだろう』と思っていたが、妃の部屋からは人の気配が薄かった。

拍子抜けしながら扉を開けると、寝台に横たえられた夕鈴の傍に、一人だけ。
付き添っている者がいた。

官服姿ではない。

旅装のままの見慣れぬ姿の静麗女官長に黎翔は声をかけた。

「…静麗か?」

「はい。
先ほど戻りました。

この非常時に不在にいたしまして
大変申し訳ございません…」


「いや…。
私がそうさせたのだから」

黎翔は目を伏せた。


「お妃様のお手当は万全にて。
もう落ち着かれました。

ご安心ください」

静麗のことだ、何事にも万全を期しているだろう。
と、黎翔は深い安堵をおぼえた。


乾いた清潔な衣類に身に包まれ
寝台に横たわる夕鈴。

手足の血色が良くなり、頬がほんのりそまっている。

もぞもぞ動くと、
ムニャ、と笑った。

黎翔の表情も思わず和らいだ。



「――ただ。

…ご処方の飲み薬のため―――」

静麗が真面目な顔で目を合わせぬ様に黎翔の方へ向き直った。

「―――大変危うい状態にございます」



「…なにっ?」

黎翔の眼が急に険しくなった。

「御記憶が混乱されたまま
他人に漏らせぬ情報をお口になさる可能性がありましたので
他の者を遠ざけ、私がお守りしておりました」

「…分かった」

黎翔は少し慌てた。


「暫く私がかわる。

お前は戻ったばかりで疲れているだろう。
旅装を解いてこい」


「畏(かしこ)まりました」

黎翔は夕鈴のほうをじっと見つめたまま、静麗に命を下す。

「…そのまま待機せよ
いや、
休めるとき休んでおけ。

必要があれば、呼ぶ

他の者は近づけぬよう」

「――御意」


静麗は跪拝をすると、音もなく下がった。


* * * * * * * * * * * * * * *

「さむ、い…」


うわごと?

黎翔は夕鈴を見つめる。
眉根をかるく寄せ、薬酒に酔い熱っぽく艶のある唇が動く。

「さむい…

さむい…

寒いです。

…陛下。」



(え?

今、私を?)


黎翔の胸はドキと跳ねた。


「…そのような顔で呟かれては…

罠と分かっていても
誘いにのってしまうな…」

黎翔は苦笑した。


寝台の布団の端をめくり、体を滑り込ませた。


彼女と少し距離をとり、横たわる。

肘枕をして彼女の寝姿を見守る。

軽く額を触れる。…体温は戻っている。

首筋に指をはわせる。
トクントクンと力強い脈動が指の腹に伝わる。


「…静麗。
どこが、危険な状態なのだ…?」

黎翔はつぶやき、首をかしげた。



…ゆうりん
君に嫌われて。
―――拒絶されるのは、辛い。


黎翔は触れていた指をはなし、ため息を一ついた。



彼女は、すぅ…すぅ…と吐息をもらし、
穏やかな表情に戻っている。

黎翔は穏やかな夕鈴から目を離さない。
みつめ続ける。


「―――私を翻弄して。
悪い妃だ」

頬にかかったひと房を指ですいて絡めとると、
滑らかな髪の束が指の間を滑りぬけてゆく感触を楽しむ。


「…そのくせ、
きみは、几鍔のことを、考えているのか?」

黎翔は寂しげに、意識のない彼女を責めた。




―――救出の際、
意識が混濁した彼女は
几鍔の名を呼び、

自分を拒絶したのだ―――、



黎翔の胸の内には忸怩たる思いがわだかまっていた。




ビクと夕鈴の身体が突然、跳ねた。

「寒い…!」

夕鈴は急に大きな声を出した。

「え?」
黎翔はドキとする。


「めいぎょくぅ~!
寒いから、
もっと炭を足してよ?」

「あ…」
黎翔はオロオロとした。

「…明玉ったら、…
××じゃない?

…××で

やっぱり私の…××

よく分かってる。うん。
ありがと~。
やっぱり親友ね~~」

夕鈴は、コロリと向きを変えると
ガバリと黎翔に抱き付いた。


(もしかして、夕鈴。ぼくのこと
友達の明玉と間違えてる?)


腕を体に回しギューっと抱きしめられた。
胸に顔を埋め、嬉しそうにすり寄ってくる彼女の可愛らしさ。

不覚にも黎翔は思わずかぁっと身体の熱が上がってしまった。



…おい、まて。

『危険』というは

―――これのコトか?

静麗…。

真面目な顔をして、想像以上に意地悪だな?




抱きしめ返して良いのか、迷う。

眼が醒め
私と気づき
怯え
「大嫌い!」
…と、泣いて責められるのは、正直辛い。

罠だ。
これは罠だ。

…罠だから…

ね?
罠でしょ?

お願いだから、足を絡めないで?夕鈴…(苦笑)


あーーだから、足は絡めないでって。
密着しちゃうよ?

あぁ、暖かいのがいいんだ…
うん。

――じゃあ、二人で暖まろう、か。


「仕方ない」

言い訳しながら、
黎翔は彼女をこわごわ…だが嬉しそうに、抱きしめた。

「これって、ヤクトク?
それとも、やっぱり、罠?」



胸に顔を摺り寄せた夕鈴の意識がまた浮上してくる。

「――明玉ぅ?」

うっすら目をあける。

「ああ、はいはい、
なに、夕鈴」

キョトンと夕鈴を見返す黎翔。

目が覚めたのかな…?
でも、逃げない?

大声で叫ぶようなら…
と、
黎翔はいつでも口をふさげるように手を準備した。


じーっ…と目を合わせた後

「明玉ったら。おかしい!」

夕鈴は黎翔をみつめ、クスクスと明るく笑った。


大丈夫、なんだ。
じゃあ。
…とりあえず相手をしてみよっか。


「さっきの続きだけど」
夕鈴は手を振りながら、首を振る。

ああ、話し、続いてるんだ。ちゃんと。
…ふぅん。


「ああ、うん」

適当に相槌を打つ。

なんだか、起きてるみたいなんだけど。
本当に明玉に見えてるのかな?


「几鍔…」
彼女の唇から飛び出した人の名に、
…ドクン!と黎翔の胸は一撃を受ける。

「…を、勝手に私へ押しつけないでってばぁ!?」

想像した言葉と違う内容で、黎翔はホッとする。


「――押し付け?」

「そう、あんた。すぐ、
几鍔と私をくっつけようって、お節介ばっかり!!

も、ホン・トーに!!
これっぽっちもっ!!
そんな気まったくないから。

いい?
この際、はっきり言っておくから。
よぉく覚えておいてちょうだい!!

最悪・最低のっ!!
口の悪い金貸し男とくっつけられても
迷惑だってばぁ…」


夕鈴は怒ってドンと拳を黎翔の胸に叩きつける。

イタたた 夕鈴、本気で度付いてる。


「--え、でも。
実は、
まんざらじゃなさそうな…」

黎翔は慎重に質問をしてみた。


「やーーめーーーてっ!

それっ、いい加減にしてって!

二度と勝手に、
几鍔なんかとくっつけないでって
言ってるでしょ~?
もうっ!!」

夕鈴はプリプリ怒っている。

これは…。

 完全に …酔っ払いだ。




「じゃあ、なに?
夕鈴には、他に好きな人でも…?」

(この際だ、明玉に成り代わって女子トークに参加させてもらおう)

ここに至って、黎翔は楽しくなってきた。


「…好きな、ヒト?」

夕鈴はうろんな表情で目をきょろきょろさせた。


「几鍔はナイとして。
じゃあ別に、本命がいるの?

あー、あの。お役人の李翔さん、とか?」

黎翔。
もうひと押ししてみる。

夕鈴の眼が据わってる。

「だ~~か~~ら~!
悪女とか、
勝手に言いふらさないでよぉ!?

そんなんじゃないってばぁ…」

ダメだ、カスらない…。
少し期待していただけに、拍子抜けの黎翔。

ならば、別のアプローチ。


「夕鈴は、
いったい誰が好きなの?

本当に好きな人は、誰?

…教えて?」


囁く様に、耳元に。

「明玉、くすぐったい!」

「教えて?

夕鈴が一番好きな人って、

ほんとは
---誰?」



黎翔は夕鈴を抱きしめ、逃がさないようにその耳にささやく。

「…言えません」

夕鈴は、プイと横を向いた。


「えーー?」

残念…、ダメか。


「いくら親友の明玉だからって」

夕鈴は、もじもじうつむいた。
おや?
これは、もしかして。…まだ押せる?


「でも、夕鈴。
君には貸しがあるよ?
ペナルティ。

言わないと、許さない」


あ、しまった。
ちょっと固い言い方だったか?


「ええええーーー?
…明玉。
それって、ズルい」

大丈夫、夕鈴酔っぱらってるから、脳内変換してる感じ。
ちゃんと会話、続いてるみたいだな。


「大丈夫、秘密は守るから」

「ほんと?」

「うん、絶対。誰にも言わない」

結構ノルなぁ…






「…眠い」

え?急に反応が鈍くなる。

「え?!
ちょっと、今いいとこ…」



「…



だめ、

眠 い…」



ああ…
意識がまた消えて…


夕鈴はスースーと寝息をたてながら、寝入ってしまった。




「…」


黎翔はがっくり肩を落とした。

酔っ払い夕鈴から聴きだしたこれまでの内容を、もう一度頭の中で整理し、悶々とする。



夕鈴は、明玉に几鍔を押し付けられて
それを嫌がって逃げている。

あのときも、そんな夢を見ていたのかな…?

だと、いいなぁ…。


腕の中の彼女をぎゅっと抱きしめて。
良い香りのする髪の中に顔を埋めた。



しばらくすると、また夕鈴がピクリとうごいた。

ふぅっと意識が浮上したようだ。


「あのね…」


「うん。」

…まだ、あの話しは、続いてる?
それとも、別の世界?

黎翔は固唾をのんで
腕の中の夕鈴の顔を覗き込んだ。

「一番、好きなひと、ね?」

「うん」

よかった。…続いてる。

コクと頷き、黎翔は神妙に次の言葉を待った。


「…あの、ね?

その。

ぜったい、口にはできない


お名前、なの。」



「---- ?」



「庶民の私たちは
…口にしちゃダメな、

特別な

お名前、なの」


「え…?」

黎翔の胸は高鳴った。
…もしかして。

それって…?


「一度だけ、聞かせて?
ナイショだから。
明玉、すぐ忘れる。うん。」



「ほんとうに?

…明玉、約束できる?
すぐ、忘れてくれる?

誰にも、言わない?」


夕鈴は真っ赤になって戸惑いながら目を伏せる。


「大丈夫、安心して。

…誰にも、言わない」


背中を優しく撫でる。


「…」


―――沈黙が続く。

なかなか言い出せないようだ。


「ほら?」

明玉役の黎翔は、優しく促す。


夕鈴はすぅっと大きく息を吸い込むと、
はぁ…と吐いて

それから、ゆっくりと唇が動いた。

「――――れいしょう、 さま」


夕鈴はそう言うと脱力し、安らいだ表情になった。



そして、それはそれは蕩けそうな乙女の顔で

「…だいすき」

とつぶやき。



こんどこそ、深い眠りに落ちて行った。





(つづく)


*

雪うさぎ-6

夢の中の告白の翌朝。


【バイト妃】【捏造・パラレル】【オリキャラ】
【可愛い嘘。笑って許して】

行事&世界観はあれこれミックスのパラレルSS


宜しければ、どうぞ。

* * * * * * * * * * * * * * *
雪うさぎ-6
* * * * * * * * * * * * * * *


翌朝、夕鈴が目を覚ますと傍に女官長が控えていた。

「お目覚めですか?」

女官長は優しく微笑んだ。

「あ、おはようございます」
夕鈴は明るい光にまつ毛をしばたたいた。

なんだか頭が重い…。
手足がだるい。

「大丈夫ですか?」

「は? …はい」


「昨日は申し訳ございませんでした
お妃様の一大事に不在にするなど…」

静麗女官長は、寝台から少し離れた場所に下がり、
床に膝まづくと深々と額を擦り付けて謝った。


「え?や、やめてくださいっ!
女官長さん
頭をお上げくださっ!」

夕鈴が叫ぶ。
静麗は申し訳なさそうに頭を揚げた。

「…その、昨日は…私が悪かったのです。
一人で外に出るなど…
悪いのは私です。


―――陛下はっ…!?」

夕鈴はハッとした。
夕鈴は、昨日、救出された時の記憶が断片的に思い出された。
夢と入り交じり、何が本当だかよく分からない。

「お隣のお部屋でお休みです」

夕鈴はあわてて体を起こし

「…お詫びを…!」
と素足のまま寝台から飛び起きようとした。


「…あ、お妃さま…!?
急に起きてはなりません!!

手足には布が巻かれていることに気が付いた。

静麗女官長から温石(おんじゃく)を渡される。


「よく、暖め、血の巡りをよくいたしませんと。

後程、離宮自慢の温泉にてお浸かりいただき、
血の巡りをよくするマッサージも行いましょう。

…昨日は本当に、大変な目にお会いになったのですよ…?
お身体が芯まで冷え切り、手足に凍瘡(しもやけ)をおこしております。
心配いたしましたが、軽く済みそうでなによりでございました」

と寝台に押さえつけられた。


その時、そっと隣室からの扉が開き、寝間着に上着を羽織った黎翔が現れた。

「…わが妃の具合はどうか?」

黎翔の顔色は悪く、頬や目の下に影が落ちていた。

「ご心配には及びません、わが君」

静麗は落ち着き払った返事をしたが
夕鈴は黎翔の顔を見て驚いた。

「陛下っ!? どうしたんですか…?!」


げっそりとしているのだ。

このように憔悴した黎翔の顔をは見たことがない。

常日頃は、長身のその体躯からはらみなぎる覇気が身を包み
気高く鮮やかな身のこなしをする、あの陛下が…?!


「…へっ 陛下っ!?
ご病気ですかっ!?

もしかして…
私を助け出そうと…
お風邪をっ…?!」

夕鈴は慌てて裸足のまま寝台を駆けおり、
黎翔の元に走り寄ると手にしていた温石を放り投げ、
黎翔の額にペタリと手を当てようとした…

が、治療の為手にまきつけられた両手の包帯に気が付く。

「えーい!」と
黎翔の首に手を回し首筋にかじりつくと、
コツンと額と額をあわせた。

夕鈴の想定外の行動に
黎翔は息が止まるかと思った。

ボッと熱があがる。

「…大変ですッ!?
陛下、お熱がっ!?
どうしましょうっ
ごめんなさい、ごめんなさい陛下~~っ!?」

オロオロする夕鈴に、
静麗女官長がとりなした。


「夕鈴様、
どうか落ち着きくださいませ」



夕鈴の女子会の夢の中で告白をされ、天にも昇る思いではあったものの、手も出せず。
夕鈴の身体から薬酒が抜けるまで目がはなせず。
手足を絡められたまま朝まで拘束されつづけた黎翔。


それはそれは辛い一晩を送った。


早朝に世話に入った静麗と入れ違いに、ようやく拷問から解放され自室に戻ったのであった。


* * * * * * * * * * * * * * *

まだ朝の光の届かぬ蒼い闇の中。

彼女が“わざと”気配を露わに部屋へ入ってきたとき、黎翔は心底ほっとしたのだった。

「そろそろ、お役をお代りいたしましょうか」

「頼む」


黎翔は、妃を抱きしめたまま、ぶ然として背中の気配に向かってつぶやいた。

「静麗。
―――私は、明玉に似ていると思うか?」

「明玉…?」

「下町にいる、夕鈴の親友だ」

(ああ…あの方)
静麗は下町に潜んだときに見かけた飯店の看板娘の顔を脳裏に浮かべた。


「畏れながら、…さほど。」

静麗はごく真面目に答えを返した。

「…そうか」
ホッとして黎翔は答える。


「心安らぐお相手とお思いになったのでは?

心行くまで話したいお相手、だと。

普段、口にできず心の澱になっていること
一番気になっていること、
欲していることが
夢の中で体現されたのでございましょう。


…私は“墓石”でございました」


「“墓石”…?」

黎翔はきょとんとした。

「夕鈴様の、母上の」

平然としている静麗とは対照的に
…クっと黎翔の背中が揺れた。


「―――で?

彼女は墓石相手に、何を」


「抱きしめられ。
拝まれ。
日々のご苦労を語られました。

…プロ妃として、夕鈴様が日々の研鑽されていらっしゃる具体的なご様子がほとんどでございます。
その中でも“特にお困りになるシチュエーション”は大変詳細に。
他に、李順様の成されようと、その対処法について、また借金の返済状況など。
…様々にございます」


「…ああ…」

黎翔は手で目を覆った。


(しかし。
それも
―――聞いてみたかったな)

黎翔は口にしたわけではなかった。
しかし静麗は返す。


「聞かれたことを知ったら、
穴に入ってしまわれましょう」


普段笑うことのない間柄の二人の間にながれる静かな笑い。


「主上…?」

「何だ」

「お目覚めになりましたら」

「…ん」

「お任せいただけますか?」


「-―――…?」

「では
しばしお休みくださいませ。
あとは私が」



* * * * * * * * * * * * * * *

朝。
憔悴しきった様子で現れた黎翔に、夕鈴は慌てた。

「―――陛下、どうか早く横に!!」

夕鈴が声をかける。

「は?」

黎翔はぐいぐいと寝台のほうへと押しやられた。

「夕鈴っ…!
まて」

「いえっ!
陛下に何かあったら
私、死んでもお詫びができませんっ!!!」

夕鈴は泣きそうだった。


「お妃様!落ち着きくださいませ。
大きな声をお出しになりますと
皆が…」

静麗が低い声で。

「…陛下。お妃様もおっしゃっております
一度、お横におなりくださいませ」


「え?」

黎翔はぎゅうぎゅうと夕鈴のぬくもりの残る寝台へ押し込まれた。

静麗女官長から、新しい温石(おんじゃく)を包んだ布包みを渡される。
夕鈴は手に温められた石を持ち、陛下の身体の傍へと差し入れる。
次々と石をいれ、安心する。

「夕鈴様も…裸足では
悪化いたします」

手に温石を渡され、
寝台の端に腰かけさせられる。

夕鈴の足を静麗女官長が温石を当て暖め、刺激にならない程度に柔らかくさする。



「畏れながら、お妃様。
…おり入りって
ご相談がございます」

治療を行いながら女官長が畏まって口火を切った。


「はい。なんでしょう」

足の治療をされながら、申し訳なさそうに夕鈴は答えた。


「実は。
陛下は昨日あなた様の救出で
身も心も冷え、疲れておいでです」

(え?)
当の黎翔はキョトンとした。


「…は、はい…。」
ションボリとする夕鈴。


「また、お妃様ご自身のお身体も、寒さで傷ついておいでです」

「…あ」
夕鈴は自分の手足にグルグル巻かれた包帯を見つめた。


静麗は深刻な声で説明を続ける。

「…運よく、寒さで体の組織が壊死してしまう“凍傷”に至らなかったとはいえ。
凍瘡(しもやけ)は最初の治療が肝心でございます。

手当、治療を軽んじてはなりません。

寒さにあたり、後になって手足を切り落とさねばならなくなった例は数限りなくございます。
けっして、侮ってはなりません」


(手足を…切り落とす?)
「…はっ、はいっ!」

夕鈴はゾッとして、姿勢を正した。

「…それで、最初の治療とは?」

夕鈴は真剣な表情で、女官長の言葉に耳を傾けた。


「湯や温石(おんじゃく)で温める治療もおこないますが、
温めすぎるとカユくなりますゆえ。
長時間の治療には“人肌”が特効薬にございます」

夕鈴は温石を包んでいた自分の手を確かめる。


確かに。温石を手にしている指先が…
むずむずと…かゆい。


「人肌?」

「人の体温で温めるのでございます」

「陛下も?…ですか」

「もちろん。
わが君にも必要な治療でございます」


「…そこで、ご相談と申しますのは…」

「相談?」

「離宮の女官らの中から、ご人選を早急に、と仰せつかっているのですが…
その人選を…」


人選…?!

陛下のお身体を、暖めるっ?
あの綺麗な女官さんたちが~~~っ!!??

「李順殿にお任せしてもよいのですが。
女性の立場からお妃様にお選びいただいたほうが良いのでは、と」

夕鈴は蒼白になった。

「――だっ!だっ!!
ダメですっ!!!」


夕鈴はとっさに叫んだ。
ハッとなって、口を塞いだ。


「そそそそ…そんな、
陛下のお傍に仕える大役の人選を…
私ごときが選び決めることなど…

…あのその
…へへ陛下が
そのお気に入りの方がお見えならば…

わ、私には…
その
止めることもできませんが」

ぎゅと胸が痛む。

夕鈴は、涙が出そうになった。


(陛下にとって必要な『大切な治療』に。
ヤキモチ焼くなんて、どうかしてる

単なるバイト妃が…。
そんなこと、言える立場じゃないのに…。

…でも、嫌。)

夕鈴は涙をこらえるので必死だった。



そのとき。

「…妃が良い」

黎翔がポツリと。



「君の方がひどいしもやけなのに…」


「え?」


「なにも、別々に治療を受けずとも…。
二人同時には出来ぬのか?

…君の身体が気になり、おいおい治療に専念できぬ」


と黎翔が向こうをむいたまま。


「君が嫌なら…仕方ない

妃の体が優先だ。
私のことは放っておいてくれ」

…垂れた耳が見える。



夕鈴の胸に刺さった。


「私のために。
傷ついた陛下をお助けするためです!

当然。
私がご看病をっ…!!」


夕鈴は雄々しく名乗りを上げた。







(つづく)


*



雪うさぎ-7

雪のおかげで兎がお皿に乗って…。
必殺闇の仕掛人と、弱みを見せれば漬け込む奔放なお方のファインプレー。

据え膳食わず我慢した、おヤツレ陛下に、ご褒美の回。


【バイト妃】【捏造・パラレル】【甘甘甘】

行事&世界観はあれこれミックスのパラレルSS


宜しければ、どうぞ。

* * * * * * * * * * * * * * *
雪うさぎ-7
* * * * * * * * * * * * * * *


「容態が安定した」という報を受けた李順は、国王夫妻の部屋へ足を運んだ。

妃の部屋で寝台で並び横たわっている二人を見て、ユラリと髪が揺らめき逆立つ。

(こーむーすーーーめーーー?!!!)

地獄の底から、ギチギチギチ…と歯噛みする音が聞こえるような気がする。
夕鈴は肩を竦め後ろを振り向きギュッと目を閉じた。

しかし黎翔は何事もない平常の表情で李順を見詰め返した。

静麗が丸め込んだ侍医より『治療』についての説明が既になされていた李順は、一瞬のど元までこみ上げたものをぐっとこらえた。

反射する眼鏡をクイッと押し上げ、礼を尽くした態度で主人に丁寧なあいさつを奏上する。


「…陛下のご容体は」

「治療を優先すれば問題ない」

じっと眼鏡の奥から見つめる。
黎翔はサラっとした顔で顔色一つ変えない。


(捜索から無事お戻りになったときは、ピンシャンしてたではありませんかっ!?)

(今日は一日ゆーりんから離れないっ!! ”治療”に専念する!)

…二人の駆け引きが水面下で行われているとははた目にはわかるまい。


「お妃様のお身体は…?」

「思ったほど悪くはない。心配をかけた」

「それは、不幸中の幸い、
本当に良うございました…」

李順の口から安堵の吐息が漏れた。




しかし、その後は想像通り『昨日のこと』についてガミガミ二人に説教が始まった。


「大事に至らなかったとはいえ…
もし一歩間違ってたらどうするおつもりですかっ!
私は、生きた心地もいたしませんでした。

“冬の恐ろしさ”の侮ってはなりませんよ!

そもそも、お二人とも。
分別というものは無いのですかっ?
どれほど周りを心配させられたことか!

あなた方のなさった『無謀な冒険』のため
国をも揺るがしかねない危機を迎えていたという事実を
今一度真摯にお考えくださいっ!!」

「―――申し訳ありません」

夕鈴はうなだれた。

「陛下や浩大の『無茶』をお手本になさっていただいては困ります!

陛下の『お忍び術』の真似をなさるなど…
言語道断ですっ!!

まったく、悪いことばかり真似をして…」

ブツブツと李順は愚痴を連ねる。




黎翔は静かに問うた。

「…管理責任者は誰だ?」


「―――!!
私ですよっ!!

ええ、ええっ!そうですともっ!

この北の離宮ツアーの引率責任も、
カマクラ遊びの総責任者も、私ですッ!!

ですが、
お二人は集団行動のマナーとルールが欠けております!

心臓が持ちませんっ!」


「それは悪かった」

黎翔はあっさりと謝る。

李順のたぎる説教魂の火力は衰えない。

「…本当に悪かったとお思いですか?
…そもそも、夕鈴殿!
貴女は妃として、どうあるべきか!もっとしっかり学んでいただかなければならないようです!」

「李順、よせ。病人に」

「…では、それは。
後日、王宮に戻ったら、みっちり、ぎっちり組ませて頂きましょう」

夕鈴はゾっとした。

黎翔が矛先を変える。

「…それで、本日の予定は」

「ええっ!
お二人がそのような状態では仕方がありませんっ!
…今日の前夜祭の宴はご欠席で」

「そうか」

「カマクラ遊びも中止ですっ!!」

「中止、なぜ?」

「あたりまえでしょう!?
お二人とも病床で。何をおっしゃいますか。

それに、朝方見てまいりましたが…
カマクラは雪に埋もれ、壁は崩れ大破しておりました
使い物にはなりません」


(…ああ、そういえば
夕鈴を背負って出るとき、壁を蹴破ったっけ)

黎翔は思い出した。


「…え?
カマクラ遊び、できないんですか?」

夕鈴が残念そうに。

「夕鈴殿っ!
あれほどのことがあったのに。
まだ懲りてないんですかっ?」

「…でも。
一度失敗して、悪い思い出のままにしたくないんです…。

陛下が『一度もカマクラで遊んだことがない』とおっしゃっていたので。

陛下のために、素敵な思い出を作りたいって
私本当に楽しみにしていたんです…

それを、私の勝手でダメにしてしまって
申し訳ないです」

と泣きそうな顔になった。

「…李順?」

「は?」

「―――李順。」

黎翔が重ねる。


「…分かりました」
ハァ…と李順が眼鏡を外して手布でキュキュと拭く。

「…一度言い出したら、
聴きゃしないんだから…まったく」

ブツブツいいながら李順は

「ともかく。
…明日の開会式は必ずお二人ともご出席いただきます!!

カマクラはまた別日にセッティングしておきましょう
とにかく今日は一日、衆人監視の元、治療にご専念下さいませ!!」

李順は飲みこんだ。

「任せる」

はぁ…と言いながら、急いでやるべきことが増えた、とばかり、李順は足早に次の仕事へと取り掛かった。



* * * * * * * * * * * * * * *

その後『絶対安静』が解除がされた途端、離宮側の女官、侍女たちが、高貴なる方々のお部屋へ入れ替わり立ち代わりで詰めた。

『離宮側としても十分な対応をしております』という対面のために
甲斐甲斐しい世話が行われた。


その日は、妃の寝台に国王と妃は釘付けになり
囲まれかしずかれ、食べるも寝るも、ずっとお二人で。


寝台で横になり、抱き合うようにお互いを暖めあう。


夕鈴はそれが『治療』と思い込んでいるので、恥ずかしさを押さえ込み、必死で黎翔の身体にすがりついていた。

「…すごく恥ずかしいです」
ヒソとささやく。

「治療だから」

「…仕方ありません」
真っ赤になった妃を更に抱き寄せる。

二人は無言で暫く見つめ合い、再び耳元に小さな繰り言を。


傍目からみれば仲睦まじい限り。


ひそっと低い声が夕鈴の耳に響く。

「さあ、夕鈴。しっかりお仕事してね?
国王夫妻の熱愛っぷりをしっかり離宮でも演技しなきゃ」

夕鈴が赤くなって見上げれば、黎翔はやつれた頬ながらもウキウキと嬉しそう。


陛下はツイっと妃の手をとる。
包帯が巻かれ痛々しいその手をさする。

その瞬間、黎翔の眼が怪しい色気を帯びた。

---夕鈴の耳には『戦いのゴング』が鳴り響く。


「憂い顔もことのほか胸をさすが、
やはり君の笑顔が一番だ。はやく元気になって私を慰めておくれ」

黎翔は夕鈴の手の包帯の上から軽く口づけた。

(きーーーたーーーーっ!!!)


「…包帯をほどいてみてもよいか?
見せてくれ。
君のあの愛らしい手がどのようなのか
…確かめたい」

夕鈴の手の包帯をほどく黎翔の指の動きは、無駄なほど色っぽい。

(ぎゃあーー!? なにするんですかっ)

赤くなっている手は少し腫れてむくんでいた。

「かわいそうに…」
黎翔がゆっくりと唇で触れる。

(…ひっ!)

「…このように赤く腫らして
…薬を塗ってあげよう」

夕鈴の胸がキュンと鳴る


視線を振り向けると、すぐに静麗女官長がしもやけの特効薬の軟膏の入った小壺を手渡す。

黎翔は軟膏を自らの指で掬うと、丁寧に妃の手に薄く塗り拡げる。
指先、指の股、手の甲、手首、肘…。
そしてまた指の間に絡めあい、ゆるゆると優しくマッサージを繰り返し、最後に一つ口づけを落とした。

黎翔にされるがままの間、周りを取り巻く離宮の女官たちの視線にさらされ、夕鈴はプロ妃の仮面をかぶり正気を保つことで必死に耐えた。

(へ、へ、へ、へいか…
いつにもましてオーバーです…!!!
甘々マックスで、私どうにかなりそう…)
夕鈴の体内の圧力は否応なしに高まり、今にも吹き飛びそう。

黎翔は夕鈴の手からそっと唇を離すと、自分の懐に導く。
胸に押し当て、心配そうにつぶやく。

「どうだ、痛くないか? かゆい?」

(ギャー!! ふ、ふ、懐っ!!
お、押し付けないでくださいっ)

気を確かに!!
ここはプロ妃の維持を見せて、頑張るのよっ!!

「い、痛みは…かなり和らぎました

陛下の甲斐甲斐しくしていただき、勿体ないことです。
もう大丈夫ですから…」

にっこりとほほ笑みを浮かべ、手を引き抜こうとすれば
頬へと押し当てられ、指を絡められる。


「いや…まだまだ。
足りぬようだ…

我が掌中の珠の妃の手。
念には念を入れ、元通りに戻してあげなければ。

…ああ、こちらの手もお出し」


今度は反対の手を掬い取られ包帯を外されると、唇でひとしきり触れ、また丹念に薬を塗られる。

チラと黎翔の視線が布団の中に隠れている足元のほうへと…

「妃の愛らしい足は…」

(ひっ!? 足は…足だけはご勘弁くださいっ!!)

白目をむいて、必死に夕鈴はパクパクと告げた。


黎翔は(クス)と内心で笑い、そこは勘弁してやろうと思った。

「…すまないが、女官長。診てやってもらえないか?
私は妃の手の手当てで忙しい…」

「畏まりました」

足は黎翔の魔の手を逃れたものの、その分念入りに両手をもてあそばれることになった。

夕鈴は両手をひとしきり手入れを施される間、
触れられる手の感触にドキドキ脈打ち呼吸困難に陥りそうだった。


「足のお薬は塗りなおしました」
女官長は夕鈴の両足に包帯を手早く巻き直す。


「ほら、おいで」
今度は重ね着した衣の内側に誘われ、温かく包まれる。

もう、どうにかなってしまいそう…
夕鈴は目が回りそうだった。

「―――へ、陛下」

「ん?」


「あ…あの。

『ひと肌で暖めあう』治療のためとはいえ
ここまで密着する必要は…?」

夕鈴がコソッと耳打ちをした。

「非常に…大切だ」

黎翔は、周りに聞こえないよう
夕鈴の耳に唇を密着させ低い声で呟く。


「…密着してないと。治療効果が半減するだろう。

本当は、肌と肌で直接触れ合う方がより効き目が高いというが?
…やってみるか?」

ゾクリと夕鈴の背中に旋律が走る。

(ぎゃ~~~~っ!!!)
夕鈴は真っ赤になり固まる。


黎翔はぷっと吹き出しそうになった。


「うん、良い。
暖かくなった。
赤くなった君は、可愛い

…その火照った唇で、
私を暖めてくれるか…?」

黎翔のいつも以上にエスカレートしている甘々口調に夕鈴は爆発しそうだったが、今日の立場を思い出しこれもプロ妃の腕の見せ所と受けて立った。


「ど、どこをでしょう…か?」

真面目に答える夕鈴に
黎翔は意地悪そうに

「…ああ、冷たい…。手が」と言う。

仕方なく、夕鈴はそっと黎翔の手をとり、
頬に当て、ためらったあげく、そっと唇で触れた。

たしかにちょっと冷えてる…?かもしれない。

…でも結構あったまってる?感じも、する。


「夕鈴。ここも…」
と、黎翔は鼻を指さす。


「えっ―――お顔?」

「耳や鼻は、皮膚がうすく、手足と並んで寒冷障害を受けやすい部分だという」

…とまじめそうに答える。


夕鈴はカーッとして

(無理…)

と胸の内で呟いた。

(私ができないっていったら、
離宮の女官さんの誰かにさせるのかしら…?)

---それは、嫌。

布団の中で寄り添っていた身体がひときわ固くなる。

(でも…私のために、
助けにきてくれたせいで
陛下のお顔に万が一、障害でも残ったら…)

『最初の治療が肝心です』
『後で切り落とすことにも…』

先ほど耳にした怖い話が頭の中をぐるぐると回った。


夕鈴は責任を感じて観念した。

恥ずかしさを封じ込め
おずおずとモゾモゾと布団の中で陛下のお顔近くまで頬をよせ、お鼻をめざす。

陛下の綺麗な瞳がこちらを見つめている。

「へ、陛下…」

「ん?」

「眼を」
「…?」
「眼を閉じていただけますか…?」

(おや、ホンキで…?)と黎翔は思った。

「ああ、…わかった」
…ちょっと声がかすれたかもしれない。
黎翔は、緊張を隠し口を噤むと真面目な顔をして目を閉じた。


そっと近づく熱感。
温かい動物が寄り添うような、ふかふかと息づかいを感じる。

ふわっとした唇が鼻梁の中央に横から乗ってきた。

(…うわ……)

黎翔は背中に走る電流をこらえ、布団の中で接している彼女にこの動揺を知られまいと必死に耐えた。

「このあふぁり(辺り)で、
よろしいでふか?」

「もう少し先も」

夕鈴はモゾモゾと唇を這わせ
「ここでいいでふか?」
と尋ねる。


うわ。感じる…。


(しまった。
…逆に、墓穴を掘ったか)



暫くそのまま温かい感触を堪能していると、
かふかふと夕鈴の息遣いが荒くなってくる。

「…も、もう。
ふぉのくらいで、
いいでふか?」

微かに接したまま、感じる部位で唇を動かされて
更に黎翔は窮地へ陥った。

(ちょっと、反応しちゃうよね…) 苦笑



「もう、少し」


黎翔の鼻に唇を寄せ、黒くて長いまつ毛を見つめていた夕鈴。



まだ…?

その胸中はグルグルと急速に渦巻き動悸はうなぎのぼりに速まる。

黎翔も、
(うわぁ…
夕鈴のドキドキが伝わってくる…

もう、限界…)

と思ったものの、やはり。
この際『墓穴は重ねて掘るべき』かと思いなおす。



「夕鈴。
ここも」

と彼女の後頭部を腕で掻きよせる。

唇と唇がスレスレのところへ、引き寄せた。

「唇が、冷えた」


見つめ合う。

「それ…ほんとですか?」

アップで夕鈴が大きな目をウルウルと揺らす。



「無理?」

「ほんとに…治療、ですか?」


ニコと笑う黎翔。

「…」

(主に心の病の、かな)




(私を助ける為、傷ついた陛下のため。
陛下のため…

陛下のため…)


…夕鈴は何度も決断しようとするが、
さすがに踏みとどまってしまう。

なんども行きつ戻りつ躊躇するたび
モジモジと足を擦り付けた。

いよいよ黎翔も待つのが辛くなり、ついに攻めに回る。



「…では、こんどは私が
君の治療する番だな」


黎翔は目を閉じて…
その唇を合わせた。


……はっ… うっ…



『――――――う、うそつきっ!!

熱いじゃないですかぁっ!!!!』


黎翔は腕を夕鈴の背中に回し、ぎゅと抱きしめた。

(…~~っ!!!) 



~~~~~!

~~!

~~… 

…きゅう…。

眼を回したホカホカの兎が
午睡に入った。





まあ、初々しいこと

と。

有能な仕掛け人の静麗女官長が思ったかどうかは、秘密。



(つづく)


*


雪うさぎ-8

雪国でのご公務。
どうやらお妃様はプリプリ怒っていらっしゃるご様子…?


【バイト妃】【捏造・パラレル】【甘】

行事&世界観はあれこれミックスのパラレルSS


宜しければ、どうぞ。

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雪うさぎ-8
* * * * * * * * * * * * * * *

李順は、違和感を感じた。

妃が椅子ギリギリ一杯端っこに寄って国王から身を遠ざけている。

「…どうかいたしましたか、陛下?」

黎翔は李順を無表情に見返した。

「…」

これから大切な式典が始まる。
国王、妃揃っての席に着くため、今はこの控室に待機しているのだ、が。

普段であれば妃を膝にのせ必要以上にイチャイチャと構い倒している国王が、静かに頬杖をついて座っている。

「もしや…お妃様と。
───ケンカでも…?」

と李順が聞こえよがしに言うと、夕鈴が真っ赤になって反応した。

「もうっ! …知りませんっ!」

ツーンと顔を背けると、妃は勢いよく立ち上がった。

「…っ痛」
夕鈴は脚の皮膚がピリと引きつれる痛みで、思わず包帯の上から足をさすった。

「ほら、まだ足が…。
無理せず。───座って」

黎翔が言うが妃は怒り冷めやらぬ様子で、拳をプルプルと震わせ、立ち上がってまま。

その瞳に、じわりと涙が溜る。

ギクリと黎翔が驚いた表情で、慌てて妃に駆け寄る。

「す、すまなかった。許せ」
「触らないでくださいっ!」
「いや、しかし」

「陛下は離宮の美人女官さんでも誰でも、手当していただいたら宜しいじゃあありませんかっ!
お遊びはほどほどになさって、私のことは放っておいてくださいませっ!!」

「ゆ…夕鈴…!!」

ただ、オロオロとなだめる国王。

(…ああ…。
また何か、やりすぎましたね…?
陛下)

李順が眼を瞑り、コホンと咳払いをした。

「お二人とも。
今からは大切な───お仕事、ですよ?
プライベートを仕事に持ち込むのはおやめなさいッ!」

「…はい」
ショボンと夕鈴が肩を下げる。

「ほら。
もうすぐお成りの先触れが」


「ああ。では、参ろうか」

黎翔は普段の落ち着きを取戻し、ツイと妃の方へ手を伸ばす。


夕鈴は唇を噛みしめ上目使いで黎翔を見つめ、
その後李順の方に恨みがましい視線を送った。

李順は容赦しない。

「…ほら! 夕鈴殿!」

「…はい」

夕鈴は国王の手を取って寄り添った。

(まったく、世話のかかる…。)



* * * * * * * * * * * * * * *

一昨日の地吹雪にまきこまれ遭難、救助から丸一日余り。

裾、袖に隠れてはいるものの
まだ手足に包帯が残っている夕鈴。

黎翔は心配で公務に妃を連れ出すことを躊躇ったが
「今回この地を訪れた理由である公務を、個人的理由で放り出すわけにはまいりません!」と妃本人が頑なに言い張った。




「…だいすき」

という(酔っ払いの)あの一言で、天にも昇る思いと、据え膳に指をくわえる辛さの両方を味わった国王陛下。

「夕鈴に、嫌われていない」と自信を持ってしまった。


『ひと肌による治療』という説明を鵜呑みにし、心配し、恥ずかしさを押し殺し、甲斐甲斐しく世話を尽くしてくれる夕鈴があんまりにも可愛らしくて、思わず口づけたところ

あまりの甘美な心地に、ついつい貪るように兎を追い詰めてしまい、

キュウと獲物が目を回せば
『口づけで気を失うところもまた初々しい』とご満悦

『ついでに、もう少し味わいたかったナ』とテヘペロしていた狼に。

───兎は屹然と立ち向かった。


今朝の夫婦水入らずの朝餉の食卓で、派手に兎にキックを食らわされた黎翔。

『昨日は少し弱みに付けこみ過ぎた』と、軽く反省はしているらしい。

(…かるく?)←




李順が確認を迫る。

「…何かありましたか?」

「何か、とは」
黎翔は知らんぷりを貫く。

「あのようにお妃様がムクレていらっしゃる理由をお伺いしたい、と」

「いや?───ああ、まあ…
離宮での仲良し夫婦像の定着を図るべく。
…まあ少々?」

「ですから。何をされたんです?」

「でも。あれくらいで怒るとは。
可愛らしいにもほどがあると思わんか?李順」

してる。
確実に、なにか。やらかしてる。

…李順は確証を得た。


「…本当に、反省していらっしゃるんですか?」

「なぜ?」

「あーーーもーーーっ!! あなたというお方は…」

救いようがないワガママ、と思う李順であった。


* * * * * * * * * * * * * * *

陛下の女ったらし!
陛下の女ったらし!

陛下なんか…
陛下なんか……!!!


夕鈴は『治療のため』という言葉を質草に、自分の純情をもてあそばれたと思い、激怒していたのであった。


「唇が、冷えた」
だなんて。

「治療してくれ」
だなんてっ!

陛下のためだから。
他の人にさせたくなかったから。
だから頑張ったのに…!!


あの、あの、あのあのあの口づけは
…なんなのっ!?


バイト妃だろうが。
離宮の美人さんだろうが。

女ったらしの陛下にとっては
女だったら誰でもいいんでしょ…?

…人をからかって。

どうせ、どうせ、どうせ陛下にとって
口づけなんて日常茶飯事かもしれないけど…

私にとっては…
必死に、陛下のためっておもってたのに…

心配させて。
治療にかこつけて

あんな
あんな!
あんな!! くくく口づけするなんて~~~。

(思い出して赤面する)


乙女の純情を何だと思ってるのよっ!

バイトに、あ、あんなことするなんて…。


馬鹿!

陛下の、バカバカバカ~!!!


夕鈴は心の底から怒っていた。

* * * * * * * * * * * * * * *

雪の祭典は国王陛下夫妻を迎え、にぎにぎしく開会式は執り行われた。
臨席している間中、はた目から見れば『冷酷非情の狼陛下』はその二つ名の通り厳しく冷酷な表情であたりを威圧し続けていた。

しかし、その脳内は、というと。


(…たぶん
彼女は大人の口づけに慣れていないから。
それで怒ったんだろう)

と、黎翔は考察をしていた。

(あれだけ煽られれば、
“口づけの内にも入らんようなやつ”では収まりようもないからなぁ…
ウウム───)
と。

たぶん、すぐ横の席についていた夕鈴が、国王の心の中を覗くことができたら
「まじめに反省しているんですか? それとも、そうではないのですか?!」
と、ますます激昂したに違いない。

(───ああ、そうか!
ちゃんと練習して、慣れればいいんだ)

と、一つの解決策が見つかり、念入りに『より妃らしい仕事』の次なるステージの課題を練るのであった。


(だって、ゆうりんは、ぼくのこと
だいすきなんだから…♪)


小犬の顔が出ないように…。

…ム。

黎翔はますます眉間のしわを深くした。



開会式は滞りなく終った。



(つづく)

-----

次回、浮かれる子犬にしっぺ返し。


---

今回は『ライブ感覚』優先で、先をあまり細かく決めずに自由に登場人物に動いてもらっています。


狛キチさんのおっしゃるとおり、この陛下には、少々「ラ族で狩人なあの方」の血が流れてるのかもしれない、と納得しかけた私です ←



後日、カテゴリーがいきなり「ラ族狩人」に移動していたら笑ってください。


*



雪うさぎ-9

雪国での雪の祭典がいよいよスタート。
喧嘩中(一方的に夕鈴から)の二人は…?


【バイト妃】【捏造・パラレル】

行事&世界観はあれこれミックスのパラレルSS


宜しければ、どうぞ。

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雪うさぎ-9
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「―――は?」
李順はわが耳を疑った。

「『雪ん子No.1決定戦』に出てまいります」

「…え?
夕鈴殿。いま、なんと?」

「ですから、李順さんに以前おすすめいただいた、
行事のイベントに参加してまいります、と」

夕鈴は決然と言い放った。

「…あれは、単なる冗談の…
ご公務でもなんでもありません」

「空き時間、ですよね?」

「はあ、まあ。本日のご予定に差し障りはありませんが…。
しかし、小さな余興の一つにすぎませんよ?」

「いえ。
以前李順さんにお薦めいただいたのですから、
私に向いているのだと思います。
陛下の民と一緒に祭りの喜びを分かち合うことも、大切なお仕事ですよね?
私、ちゃんとまっとうしてまいります!」

困りましたね…、大分こじれていらっしゃるようですよ?

「―――陛下。
いかがいたしましょう?」

「うむ…」黎翔も困った顔で見返した。

(一方的に)喧嘩している今現在、なんとなく気まずくて息が詰まる。
しばらく離れて一人になりたい。
でも、『夫婦そろって』を要求される公の行事、合間もお互いずっと顔を合わせた状態は重苦しかった。
かといって勝手に抜け出しすわけにもいかない。
それならば、行事の中で自分が何かできることをすればいいのではないか、と夕鈴は思い立った。

腹が立って。
切なくて。

…でも好きで。

好きな人に『戯れの女遊び扱い』をされるのは…。
―――嫌。

夕鈴はまた涙がでそうになった。

(雪ん子なら、陛下は一緒にはいられないわよね。
とにかくちょっと陛下と離れていたいの。
私は…!!)

黎翔は、腹の中で(雪ん子ナンバーワン決定戦なら、きっとエントリー受付のときに、年齢制限で引っかかってスゴスゴ戻ってくるだろう)と思い直し、
「妃も少し祭り気分を味わいたいのだろう。
好きにさせてやれ」と行事への参加を認めた。

「えっ?よいのですか?」
と、李順。
(やっぱり、ヤマシイことがおありなのですね…?)
ますます疑い深く黎翔の方をジトリと見つめた。

「ただし、浩大を傍につける。
絶対一人になるのは許さん。
それだけは約束してくれ」

「わかりました」

李順が即座に付け加えた。
「ああ、夕鈴殿。
民の祝典に水を差さぬよう、
あくまでも『お妃様』というお立場は伏せて。
ばれないようお願いいたしますよ?
―――それとも、ぞろぞろ後ろにお偉いさんに囲まれて
特別扱いされたい、とおっしゃるのでしたら別ですが」

「わかりました。気を付けます」

* * * * * * * * * * * * * * *

「―――こんな格好で受付してもらえるかしら?」

「うーん。予定になかったから、準備もないし。
次の公務の間までに着替える時間もないし。
まぁ、いーんじゃね?
格好なんか、どうでも」

浩大はヘラヘラと笑った。

…でも。どうみても着飾ったこの格好で「雪ん子」はないわよね?

(陛下がさ。『受付で断られてこい』ってゆーから。
まあ、そこは勘弁な)

夕鈴は正妃の正装の上から、ざっくりと雪蓑をかぶっただけの変装を気にしていた。

「そのわりに、浩大は、ちゃんと変装して」
「へへ、コンセプトは『ちょっと裕福な商人の息子』だぜ。
ど? ちょっと賢くみえるだろ?」
祭りに繰り出すパリッとした晴れ着に、長靴、外套。
眼鏡をかけて、帽子をかぶっていた。
「俺が兄ちゃんで、お妃ちゃんが妹。そんな感じ、ね?」

「私がちょっと裕福な商人の娘?
浩大の妹役?」

「そーそ。
商人が愛娘に贅を尽くして着飾らせて祭りに送り出したってかんじ、かな?」
ケラケラと笑う。

「あー、あっちのテントが受付だネ」

きちんと雪かきされた道を、浩大が指さす方へ進む。

大きな会場の入り口の前にテントが二つ。
コンテストの受付をここでするらしい。

「飛び入り参加、できますか?」

「あー、あー、大歓迎!
さっ、お嬢ちゃん!こっち名前書いて書いて!」

と周りの人にワッと押されるようにして、紙を差し出された。

「エントリー名、でいっからね。」
夕鈴は包帯が巻かれた両腕を眺めた。
「ごめん、浩大、代わりに書いてくれる?」

隣のおじさんが勝手に夕鈴の手の紙を取り上げ、
サラサラと勝手に書き込み始める。
「っていっても、みんな『陛下の唯一』って書くからさ。
ことしは自称『陛下の唯一』そっくりさんだけで10名超えてるよ~
はい、姉ちゃんで『そっくりさん11号』?
決まり?それで、いい?。
オーケーオーケー!
しっかし、豪華な服あつらえて…お姉ちゃんのご両親も、これはずいぶん張り込んだな~!わははは
ぜひ優勝目指して頑張ってくれよなぁ~!」と背中をバンバンと叩かれた。

「あ?
お兄ちゃんの方も?
んー眼鏡キャラじゃないとおもうが…まあ、念のため出るだけでるがいいさ」
とこれもまた勝手にサラサラと「そっくりさん9号」と書いた紙を渡された。

「はい、じゃ、これ持って、会場に入ってね。
右手のドアが控室になってるから。
もうすぐ始まるから、二人とも、頑張れよ~」

「…なんのことかしら…?」
夕鈴は腑におちない。

浩大も
(あれ?)と眉をひそめた。

背中を押されるように会場に通されて、はじめてその理由が分かった。

例年行われている「雪ん子No.1決定戦」に、加え

『祝!陛下ご夫妻・初ご来臨 特別企画
狼陛下のそっくりさん&お妃様そっくりさんコンテスト』
が急きょ相乗りで開催されていたのであった。

「あちゃーーーー」
浩大は頭を押さえて叫んだ。

「どーする? お妃ちゃん
違うよ、雪ん子じゃないよ、これ?」

着飾った男女がエントリー、となれば
雪ん子じゃなく「当然こっちだな」と勝手に受付されてしまったようだ。

「ひゃー、これ、予定外だよ?
どうする?」

「いいじゃない、…もう。
浩大もしっかり陛下のマネすれば?」

「でもまさか、こんなお遊び企画に…本物が出るわけには。
万が一、優勝できなかったら、あとでケチつけられんのは陛下だぜ?
やめよ?お妃ちゃん。
ここはさ、ご辞退ってことで、さ」

「や!」
夕鈴は

「…や、じゃなくて」

「…私がどんなに妃に向いてないか
はっきりしてもらったほうが、まだまし」

「向いてないって、
まし、って
どうしてさぁ…そんなイジケるわけ?」

「どうせ偽物だから
偽物のそっくりさんの一人で。
お似合いなのよ、私は」

「…お妃ちゃん…」

浩大は、これは、ずいぶん。
…むつかしいなぁ…とため息をついた。

「じゃあ、ま。
気楽に…ね」

止めようがない、と悟った浩大は頭を抱えた。

予選が行われ、会場の拍手の大きさと審査員の合計点で上位三名がそれぞれ本選に進む。

浩大は予選で敗れた。

『…陛下のキャラじゃねーよ。いくらなんでも。』
浩大は頭をかいた。


夕鈴は審査員の点数もさることながら、会場の拍手が大きかったため上位三人の中に残った。
…というのも、本物の正妃の衣装は伊達でなく、宝石や金糸銀糸の細工の素晴らしさに会場中が度肝抜かれ、大きな拍手が湧いたためだった。

「…そりゃ、外身は正真正銘、妃の正装ですよ、本物ですよ!?
国家の威信をかけてますから… 立派よね、当たり前よね…。」

最終審査に残ったのは、
「自称・狼陛下のそっくり」さん三人と、
「自称・陛下の唯一のそっくり」さん三名。

「陛下のそっくり」さんは三人とも、陛下とは似ても似つかぬ人で、夕鈴はがっかりした。

―――気品がないじゃない。
陛下はすっごくお強くて。しかも、ものっすごい美人なのよ?

そりゃ、あんたたち。普通よりかはチョットだけ顔はいいかもしれないけど、ぜんぜんヘニャヘニャのヘッピリ腰。剣も振るえそうもないくせに、よく「自称・狼陛下」だなんて言えたものだわ、恥ずかしい。

夕鈴は憤懣やるかたなく、ぎゅーとこぶしを握りしめた。



しかし、自分の周りを見回すと。
今度は激しく落胆した。

他の二人は大人っぽい色気をたたえたすごい美人と、
巻き毛がかわいらしい少女漫画から抜け出してきたような美少女の二人。

それにくらべれば、自分なんて地味な顔立ちだろう。

夕鈴は「衣装で選ばれた」事実に、ちょっぴりむくれた。

反対の会場をみると、雪ん子No.1が決定したようだ。
大きな拍手が上がっている。

10歳くらいの小さな色白の子の優勝だった。

雪ん子は、ないわ、やっぱり。
小さくてあどけない
李順さんの眼も節穴。
いくら私が色気がないっていっても、雪ん子は、子供でなきゃ!

ツラツラ考えているうちに、最終決定戦が進んでいたらしい。

「ではっ! 最後になりました
陛下の唯一そっくりさん11号さんで~~す!
皆様、審査をお願いいたします~!!!
にしても素晴らしい衣装だ!? 本物の妃衣装に勝るとも劣らない…!
いやぁ素晴らしい!!
みなさん、どうぞこの方が一番のそっくりさんと思われる方は今一度盛大なる拍手を~~!」

会場だどよめき、拍手で揺れた。

なぜか自分が妖艶な美女と、くるくる巻き毛の美少女を押さえて、
「おめでとうございます、お妃様そっくりさんNo.1は、あなたです!
陛下の唯一のそっくりさん11号!がみごと優勝です!
みなさま、どうぞ大きな拍手で…」

ええ?
私?
優勝??

どういうこと?

あわあわしているうちに、陛下のそっくりさんNo.1になった若い青年が近寄って隣に立った。

「おめでとう」と言いながら予選に残り惜しくも敗れた二人が両側から抱きしめて祝福を送る…ふりをした。

「金に飽かせて衣裳作って。お顔が地味な成金は、お金で解決なさるのね…」と美女が小さな声で捨て台詞を吐いた。
「本当に図々しいのは天下一品ね。
まあ、その容貌で、よくもお妃様のそっくりさん、なんて名乗れるものだわ。おめでたい人。」と巻き毛の美少女がささやい。

夕鈴はギクリと左右の二人を交互に見つめたが、二人の声は観衆の大声で騒然となった会場ではほかの誰にも届かなった。

「妃よ?おめでとう!」

「え? (ぜんぜん似ていない)陛下のそっくりさんも、おめでとうございます
(ぜんぜん、そっくりじゃないけど)」

「それでは、優勝のお二人さんに、国王陛下ご夫妻名物『抱っこ道中」をやっていただきましょう!
これから、会場の通路をぐるりと一周、皆様の周りにお邪魔いたします。
どうぞ皆様、拍手でお迎えください~~~!」

え?
ちょっと、やめてくれませんか?

と言い出すこともできず。

勘弁してください、と思ったとたん、勝手に腕を取られ、首に回させられ、
腰を抱えて持ち挙げられた。

「く~~~~っ!!!」
(ぜんぜん似ていない)陛下のそっくりさん男が悲痛な声をあげて顔を真っ赤にして
夕鈴を抱っこする。

浩大が指をくわえて声をおしころす。
(うわっ、非力っ!!)

よろよろとしながら、会場を回り始めた。

「ちょ、ちょっとおろしてくださいっ!?」

夕鈴は必死に叫んだが、(ぜんぜん似ていない)陛下のそっくりさんの勝者は、最後までやりきらねば男を下げる一生の恥、と必死に頑張っている最中である。

「や、やめてくださいってば~~~!!」

夕鈴は首に回していた手をはずし、ポカポカと相手を軽く叩いた。

「いたた、やめてくださいよっ!?」と身をすくめたその時。
抱えていた夕鈴のほうへ倒れこんだ。

その際、
恐ろしいことに事故チューが発生した。


夕鈴のほっぺたは、(ぜんぜん似ていない)陛下のそっくりさんに奪われた。

「やれやれ~~!
陛下のそっくりさんっ!
そこだ、押し倒せ~~!!」

その場に居合わせたものはヤンヤの大喝采。


(ぎゃーーーー、やめてくださいっ~~)
夕鈴は顔を両手で覆い、心の中で精いっぱい叫び、おもわずボロボロと涙があふれた。

しかし周りはお祭り騒ぎの民だらけ。…逃げ場もなかった。


『まじぃ、お妃ちゃんが泣いてる』

浩大がすかさず近寄り、助けおこす。

「妃は俺がもらったーーーー」といいながら、夕鈴を抱き上げた浩大はスタコラサッサと会場の通路を走りぬけた。

「おい、あれは予選落ちしたやつだろ?」
「お妃様を奪われてやんの!」
「そりゃ~、あんなにひ弱な陛下じゃなぁ、あははははは」
会場はドッと笑いの渦に包まれた。

雪ん子No.1決定戦に、急きょ同時開催された
『祝!陛下ご夫妻・初ご来臨 特別企画
狼陛下のそっくりさん&お妃様そっくりさんコンテスト』
は大盛況のうちに幕を閉じた。

夕鈴は、泣きながら浩大の肩に担がれ。
浩大は妃を担いで一目散に会場を飛び出した。

(だから、言わんこっちゃない…!!)




「―――ダメですよ、李翔さま。

佩きものに手をかけちゃ…
他愛のない、民のお祭り騒ぎの場で」

いつの間にか李順の手がのびてきて、
マントの中で握り締めていた剣の柄の上から押されていることに気がつき、黎翔はハッとした。


…事故?
これが?

(もしも。
偶然を装って、不埒なチャンスを狙っていたとしたら、その命はないぞ…?)

ギヌルっ!!と、離れた場所から、睨む。

黎翔は頭巾をかぶっていてすら異様な眼光を発していた。
しかし李順に制され、目を伏せうなだれた。

国王とその側近は、あっけない結末に騒然とする観衆にもみくちゃにされながら通路を走り、会場を後にしたのであった。


(つづく)


*

雪うさぎ-10

(ぜんぜん似てない)陛下のそっくりさんと『抱っこ道中』をする羽目になり、あまつさえ事故チューまでされてしまった夕鈴。その様子を目撃してしまった黎翔…。
ますますややこしくなってしまった、二人は…?


【バイト妃】【捏造・パラレル】【切なキュン】

行事&世界観はあれこれミックスのパラレルSS


宜しければ、どうぞ。

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雪うさぎ-10
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憤懣やるかたないおももちで、黎翔は大股で会場を後にした。
後ろから李順が足早に続く。

大騒ぎの会場からはまだ沸き立つ余韻が届く。
少し離れた場所でようやく黎翔は立ち止まる。

「陛下…?」李順が声をかける。

「浩大!」

音もなく浩大が現れる。
「…は。御前に」

「…妃は?」

「この角まがったところに居ます」
「何をしてる?」
「顔を洗ってマス」
「顔?」

黎翔はぎょっとした。

この雪国の寒空で…?
彼女は何をしてると?

あわてて黎翔は駆け出し、角を曲がった。

…ふ
ぐすっ…
ひっく… え…く。

建物の陰で、夕鈴は雪を両手で救っては顔に押し付け、ごしごしとこすり付けていた。
包帯を巻いた両手は雪まみれ。
涙と解けた雪があちこちに張り付き、ぐしゃぐしゃになりながらべそをかきながら…。

折しも、どんよりとした空からチラチラと粉雪が…。

あまりの光景に黎翔は切なくなって、つい、これまで昇っていた血がスーッと冷める。

「…どうした?」

びくっと振るえ、夕鈴はそろりと振り向いた。

「…」
黎翔とわかると、夕鈴はぐっと唇を噛みしめ
大きな目からジワリとまた涙があふれ出した。

「―――見た、んですか?」
夕鈴はあられもなく涙をぽろぽろとこぼし、ぐっと口をへの字にしてくちゃくちゃの顔になった。

「…ああ」

「李順、さんも?」

なぜ、ここで李順が、と黎翔はむっとした。
「ああ」

黎翔の言葉にトゲが交る。
夕鈴はその言葉を聞くと
ああ…と小さく最後の止めを刺されたように、雪に打ち伏した。

「……」


「…濡れる。
いや、もうびしょ濡れか」

「…た、大切な、衣裳を…汚してしまって…
申し訳ございませんでした」
伏せた夕鈴は、嗚咽をこらえながら、謝った。

「衣裳なんか…」

黎翔が近づく。

「よ―――汚してしまって…」
夕鈴は繰り返す。

「…夕鈴?」

「失敗したバイトは。
もう。おそばにいられないんですね?」

「え?」

「汚れた妃が
陛下のおそばにいたら…
迷惑ですよね?」

「―――は?」

「…申し訳ございません。
お詫びのしようのございません
いっそこの場でお手打ちに。」

「―――えええええっ!?」

思わず黎翔は素っ頓狂な声を上げた。


…ちょっとまて。
落ち着いて…

いや待て。
どうしてそうなる?


「えっ…
えっ…うっ… ひっく…」

夕鈴は泣き続ける。


「…傷ついたのは、君の心だ。」

黎翔は、ゆっくりとかがみこみ夕鈴にそっと手を置いた。

「…汚れてなんか、いない」


「汚れて…ます

あんな…
あんな…
あんな、あんな…!!!!」

夕鈴は、悔し紛れに両手をバタバタと降り回し、雪を手当たり次第に散らした。
そして、またごしごしと雪を顔に押し付け“あの跡”をこすり落とそうとした。

「夕鈴…」
黎翔はかがみこむと夕鈴の頭に手を置いた。

「君は、汚れてなんか、いない。
汚れた衣なんか脱ぎ捨ててしまえばいい。

君自身を汚すものなど…ない。

他の誰にも、もう、二度と。
させない。

―――大丈夫だから。」

夕鈴が顔を合わせないように必死にうつむいているのに、黎翔はひょいと夕鈴を担ぎ上げその顔を覗き込んだ。

「陛下……」

いやな思い出を削り取ろうと、ごしごし雪でこすったのだろう。
左の頬は雪で擦られ真っ赤になり、化粧も髪もぐしゃぐしゃになっている。

黎翔は優しく見つめ、おでこをこつんと合わせた。

「…戻ろう?
もう、大丈夫だから」

夕鈴を抱きしめる。

「…そんな資格、
私にはないです」

夕鈴は突っぱねる。

「美人でなくて。
家柄も、教養もなくて。
何をしても、足手まといで…
いつも李順さんに怒られて。

そのうえ
へんな人に抱っこされて、チューされて。

何から何まで。

ふさわしくないんです。

もう分かってます。
どうせクビです。

陛下のおそばにいられる身ではありません。

今すぐ離してください!」

一気にまくしたてた夕鈴は、ぜーぜーと肩で息をした。

「君がそんなに傷ついているのは…
―――嫌だったからでしょ?」

「いやも、いいも、ありません」

「気にするな。大したことではない。
忘れてしまえばいい」

偶然とはいえ、夕鈴の頬に口づけをした男が…
はらわたが煮え返るほど口惜しく、心の底から許せないのに。
黎翔は反対のことを口にした。

「私にとっては、大したことです!
陛下は…あんな、あんなことなんか…。
誰とでも気軽にする行為の一つだから…
すぐ忘れちゃうことだってできるんです」

夕鈴はついケンカ腰に…。

「…私は、嫌だ。

好きでもない者に
触れたくもないし、触れられたくない」

(うそ…!
あんなに手馴れた風情で…。

バイトをからかうためだけに寝台の中で『治療』とうそぶいて、
平気で口づけだってなんだってできるお方が…!!

女ったらしの陛下には、好きな人だらけってコトですか!)

夕鈴は思わずカッとした。

「…陛下をお好きな女性なら山ほどおいででしょうから…!
いいですね、モテモテの陛下は慣れていらして。
これくらいのチューなんて。
…なんでもないんですよね」

「…じゃあなに?
君はあの男がもしちょっとでも気に入っていたら、
チューされて、嬉しかったの?」

「…いや、です」

夕鈴は口をへの字にして、目を伏せた。

黎翔はそっと右の頬に唇を寄せた。

頬でチュっと音が立つ。

夕鈴はカッとして、耳まで真っ赤に染めた。

「…!!」

「いや、だった?」

「~~~~~~~っ?!!!」

「嫌?」

「嫌
じゃない…です
でも―――」

「でも?」

「―――恥ずかしいんです。
…それに、
たかがバイト妃のご機嫌取りに
こんな演技までさせて、心苦しいんです」

「私は誰の機嫌も、取ったりはしない」

「…取ってるじゃないですか」

「そうか?」
黎翔はキョトンとした。

「とってますよ。
それも、偽妃のご機嫌を」

「なら。
妃のご機嫌を伺おうか…。

大丈夫。
きれいにしてあげるから。
もう嫌なことは忘れてしまえ。
…行こう」


「もう、いいんです!
その場の雰囲気で慰めてくださらなくてもっ!!
陛下は、陛下のお立場がありましょう。

どれだけ女性とおつきあいされようが、
何をされようが。
私は口出しできる立場ではありませんから」

「…」

夕鈴の誤解はなかなか解けない。
かたくなな気持ちも凍り付いている。

粉雪がチラチラと、二人の間を吹き抜ける。


黎翔は悲しくなった。


雪がひどくならないうちに、と
追い立てられるように…。


それ以上は何も言わず、妃を抱きかかえたまま足早に宿舎のほうへもどっていった。

夕鈴は先ほどの非力なそっくりさんによる「抱っこ道中」があれほどハラハラして、嫌でたまらなかったのに。今ようやく安心して身を預けていることを、自分自身はまだ気が付いていなかった。



(つづく)


*

雪うさぎ-11

【バイト妃】【捏造・パラレル】

行事&世界観はあれこれミックスのパラレルSS


宜しければ、どうぞ。

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雪うさぎ-11
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泣きべその妃はおとなしく黎翔に抱きかかえられた。

黎翔が戻ってくると李順は軽く礼をし、声をかけた。

「人目につかぬよう、どうぞこちらへ。
…お妃様のお召し替えをご用意させております」

「うむ」


三人が会場近くの貴族館に宛がわれた控えの間に戻ると、女官長が出迎える。

黎翔は抱きかかえていた妃をようやく床に降ろした。

女官長は平静と変わらぬ態度で、泣きべそをかいてバツが悪そうな夕鈴をそ知らぬふりでテキパキと預かった。

「お手を…すぐにお手当いたしましょうね」
女官長は優しく夕鈴の手を引いた。


タイムキーパーの李順が少し焦った声を出す。

「次の行事の予定が迫っております。お急ぎください」

言うまでもなく女官長は心得ている。

コクと小さく頷くと夕鈴を奥へといざなった。

「あとはお任せください。
陛下も次のご準備を」


こうして、二人は慌ただしくと次の行事の準備へと駆り立てられた。


* * * * * * * * * * * * * * *


化粧が崩れるほど、左ほほをこすった跡がある。
衣裳を台無しにして…両手の包帯はびしょ濡れで雪のように冷たく。
泣きべそをかいて…

───何かあったに違い無い。

でも、何も聞く必要はない、と静麗は心得ている。
訊けば傷つけるだけだ、と。


「女官長さん?」

「…はい」

「…私…」

「…私は。
夕鈴様のお味方でございます」

優しく微笑んだ。

夕鈴はその笑顔を見ると、またポロポロと涙が出たが、それまで強張っていた身体からようやく力が抜けた。


夕鈴の衣裳を手早く脱がせ、包帯を外し、新しい単衣に着せ替える。
静麗女官長は、湯の入ったタライの熱い湯で手布を固く絞り、夕鈴の顔や手を綺麗に拭った。


「…沁みませんか?」
赤くなるまで雪でこすった頬を労わり、女官長は尋ねた。

「…沁みても構いません。
よくよく、清めてください」

「…心の痛みに比べれば、少し浸みるくらい…?

───いえ。出過ぎたことを」


「…あの。

見知らぬの方が
はずみで…あの。…
事故なんです…」

夕鈴は再び涙がにじんだ。


静麗は首を振った。

「…仰る必要はありません。

静麗が拭えば何も残りませぬ。
…何も。
夕鈴様もお忘れ下さいませ」

「…はい」

ポロポロとこぼれる涙を、
新しく絞った温かい手布で静麗は受け止めた。



手足の手当てをする。
女官長の処置は、羽の様に軽く触られたかどうか分からないうちに、するするとすべてが進んでゆく。

静かで、なめらか。…音もない。

そんな時間が流れる間に、少しずつ夕鈴は気持ちが落ち着いた。


「手と、おみ足は…少し痛みが出てはいませんか?
お顔も…」

「女官長さんは心配性ですね」
と夕鈴は少しおどけたような言い方をしたが、実際は少し痛みがあった。


「お顔も…少しお肌が赤くなっておりますから、
浸みぬよう、今日はお化粧を施すのは止めておきましょうか?」

「…え?
でも。それでは大切なご公務の行事に、差し障りが」


「面紗(貴婦人がかぶりものとした衣、打ち掛け衣)をご用意いたしましょう。
お顔が見えない様に目深に被ったらいかがでしょう?」

「…それは。助かります」

───陛下とも、顔を合わせずにすむ。

夕鈴は一寸ホッとした。


妃衣裳を着つける。
先ほどとはガラリと異なる色合い、柄で、気分も変わる。
髪型も変え、お化粧の代わりにポイントだけ目と眉を描き、唇に紅をさす。




ほどなくして、扉の外から声がかかる。

「静麗様。…李順様がお妃様に」

取り次ぎの侍女が声をかける。

「どうぞお入りくださいと」

李順は部屋に入ると一通りの儀礼を手早く済ませ、

「お支度は?」

「はい、滞りなく」

「御具合は?」

「手と足に御痛みが出ております。
お化粧は差し控え軽く目と眉、紅にとどめました。
本日は面紗(貴婦人がかぶりものとした衣、打ち掛け衣)を目深に御被り頂きますよう」

「仕方ありませんね。

妃が大衆にジロジロ不躾に観られると
陛下のご機嫌も悪くなりますし…。

───良いアイデアです」

「ありがとうございます」

「では、参りましょう」


* * * * * * * * * * * * * * *


お妃様様にと輿が用意されていたが、
黎翔は妃を手放さず、移動の時は足を気遣いずっと抱きかかえていた。

小さなレセプションの席に着く。

次から次へと役人、貴族、地方の名士…次々と紹介を受け、ただ面紗の陰から微笑むだけの退屈な行事。


夕鈴は疲れで少しうとうとしそうになったが
「お次は、陛下のそっくりさん大会の優勝者と、お妃様そっくりさん準優勝のお二人です」という説明に、ぎょっとして目が覚めた。


ハッと前を伺うと、あの(ぜんぜん似ていない)陛下のそっくりさんと、巻き毛がかわいらしい少女漫画から抜け出してきたような美少女の二人が手に手を取り合い、陛下の御前に静々と進み出て、伏せた。

「畏れ多くも…」

「…堅苦しい挨拶は良い。構わぬ、面を揚げよ」
黎翔は二人に声をかける。

(…なんだか、陛下のお声が怖い)

夕鈴はドキドキした。

(…この声は。超大型ブリザード級の…?)
そっと団扇と面紗の陰から、隣の黎翔を垣間見た。

「…」
夕鈴は思わず凍りついた。



(…うわぁ…)別の角度から、浩大が背中をブルッと震わせた。

(お手打ちになっても、おいら、知ーらね!)


鬼気迫る国王。

…しかし若い「そっくりさん」の二人は全くそういうことには無頓着で、低気圧を感じる能力に欠けていたようだ。


「堅苦しいことは、いらないって。
ラッキー!
結構、陛下ってフランクなんだね~、助かったぜぇ。
俺ってさ、あんまりこういう正式なおじぎ?
跪拝叩頭とかさぁ、慣れてないっていうか…」

と、ため口でペラペラと話し始めた。


目通りする者等の名を読み上げていた高官は一瞬血の気が引き「地獄を見るのではないか」と思ったという。


「そうなんです~。私、本当は恥ずかしかったんですけど。
実は私、2位で。お金にあかせて衣裳フンパツした人が優勝したくせに、逃げちゃったから、しょうがないけど繰り上げで初代『ミス陛下の唯一そっくりさん』させていただくことになりました~♪」とダラダラと鼻にかかった甘え声でが続いた。

夕鈴は汗をダラダラかきながら、二人に顔が見えない様に面紗をさらに深く引き寄せた。

高官らは、いつ国王の手が愛剣の柄にかかるか、ゾーーーッとしながら動向を見守っている。


「ほう…?」
カタリ。
黎翔が貴賓席から立ち上がる。

高官らは血しぶきのとばっちりを避けようとつい腰が引け、ジリジリと三歩下がった。


「───お前たちが…?」

コツリと沓音が嫌に響いて聞こえる。


黎翔は、(ぜんぜん似ていない)陛下そっくりさんの男の顔を、屈みこんで顎をクイと引き上げた。

赤い眼は、完全に座っている。

ギリギリと指先に力が入り、爪が顔やあごに食い込んだ。

「…それほどまでに、愚弄するか?」

その段階に至って初めて、彼らは目の前の国王が「狼陛下」と誰からも恐れられる人物であることを何となく理解した。

腰の佩きモノの柄に、手が掛る。

夕鈴が立ち上がり、黎翔の背中からそっと袖を引いた。

「…陛下、おやめください」

黎翔が剣に手を掛けたことに気が付いた巻き毛の女が「ヒ…」と短く声を立てて、あわてて地面を頭にこすり付けひれ伏した。

「…お、お許しくださいっ!!」

「───何を許せと?」

「…いえ、ただ、何となくですけど。
ごめんなさい。
とりあえず言っておいた方がいいかなって」


(ひーーーーっ!!

だめだ、これはW血の海だ…)

と周りの大人は誰もが走って逃げたいのを我慢した。



その時、夕鈴が黎翔にすがりついた。
背中から腕を回して力いっぱい黎翔を抱きしめ、震えながら叫んだ。


「…どうか。…陛下っ!!
私にできることがあれば…何なりと…
どうか御容赦下さいっ!!」

黎翔はぐっと気迫を飲み込み、包帯の巻かれた夕鈴の痛々しい手に触れた。

ギッと奥歯を噛みしめると、黎翔はつぶやいた。

「───失せろ」


二人が青くなって腰を抜かしへたり込んだ。
周りの高官らが同時にホーッツと息を吹き返した。

「…若者の教育!!
とくに、道徳、マナー、また国語力について
更に徹底教育するよう州牧に伝えよ!!」

黎翔は冷たく言い放った。


「お妃様のお具合もよろしくございません。
陛下、今日はここらで…」

と李順がすかさず声をかける。


黎翔はさっさと妃を抱き上げると、
「大事無いか?」とつぶやき
妃の面紗をそっとめくり頬に口づけを落すと
颯爽とした足取りで会場から退席した。


「…あれが、狼陛下の抱っこ道中かぁ…
カッコいいなーーー。ラッキー!
おれ、生ライブで初めて見ちゃったぜぇ~
惚れちゃうなぁ…。痺れるぜー」と叫んだ。


その後、(ぜんぜん似ていない)陛下のそっくりさん男は身体を鍛え、女性を抱えていかにカッコよく歩けるか追及する人生を送ったという。

鈍さ、打たれ強さも一つの才能と周りが認め始めたころ、州試にスレスレで合格し役所に就職した彼はお客様対応のクレーム処理部署に回され、厚顔無恥な打たれ強さを発揮しながらのらりくらりとクレームの対応をするプロフェッショナルとして大成したという。

命あっての物種。


そして
翌年から雪まつりでは『抱っこ道中競争(嫁さんを抱っこし雪道の障害走でタイムを競う競技)』が新たな目玉行事として派生したとかしなかったとか。





(つづく)

*

雪うさぎ-12[最終回]

北国の雪のお話、最終回。
両片思いですれ違うお二人の結末は…?


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宜しければ、どうぞ。

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雪うさぎ-12[最終回]
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会場を出た国王夫妻の後ろに、側近の李順が静かに続いた。

黎翔の腕の中で夕鈴は衣に焚き染められた雅な薫りに包まれる。
抱き抱えられ、歩く黎翔に身を任せ揺ら揺らと揺られるうちに、ぎくしゃくとした気持ちは次第になだらかになった。
もたれかかるように夕鈴は脱力し、目を閉じている。

「―――李順」
振り返りもせず、黎翔は。

「はい。この後は、ご自由に。」

「よいのか?」

「…お止めしたところで、あなたはしたいようにされるでしょう?
ならばあなたのなさりたい様にセッティングするのが、私にとって最もスムーズだと考えまして」

「李順にしては、理解があるな。どういう風の吹き回しだ?」
黎翔が笑う。

「陛下…! 笑い事ではありません!
無理して阻止しようとすればするほど、多大な労力を失うということを、学んだだけですよ。私は」

「そうか」

「ええ。―――今日は、例の『夜のロマンチック・ナイト・イリュージョン』が行われるそうですよ。あの、百のカマクラに1万個の蝋燭を点灯するという。
会場もお近くです。…宿舎に、庶民のお衣裳と雪橇(そり)をご用意させてあります。」

「…えっ!?」
夕鈴がそれを耳にして、おもわず声をあげた。

「…私は優秀な側近を持ったな」
黎翔も目を丸くした。

「夕鈴殿と、約束をしましたからね…。
私は約束を破りたくないだけです。
それも、極力安全に。ちゃんとした対策をしたうえで。
羽を伸ばしていただきたいと。
…あの日の地吹雪のような一件は二度とごめんです」

「李順さん、本当ですか…?
カマクラ、行かせて戴けるんですか!?」

夕鈴は目をキラキラさせた。

「橇(そり)の御者に浩大と、夕鈴殿のお世話に女官長をお連れいただきますよ?
監視のもと、安全に。…この条件だけは、おのみいただきますよ?」

「ああ、わかった」
夕鈴の頭の上から、珍しくも非常に機嫌の良い声がした。

(…ああ、よかった。陛下もやっぱりカマクラ遊びしたかったんですね。
陛下の夢をかなえられて、嬉しいです)

夕鈴はそう思うと少し幸せになって、頬をそっと摺り寄せた。

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宿舎に戻るとさっそく用意されていた庶民の服に着替える。

「夜は冷え込みますから。しっかり着込んでくださいませ。
とくに、夕鈴様の手足は…」

静麗女官長は、まだ具合がよくない夕鈴の手足のしもやけを苦にしている。何重にも綿の入った衣類を重ね、温石を懐に仕込まれる。

「こんなにモコモコでは、何もできません!」

「大丈夫でございますよ
ただ遊びに行くだけですから…
お気楽に」

「女官長さん!
お餅は…?」

「はい、ご用意してございます」
「甘酒は?」
「これ、こちらに」
侍女たちが捧げ持っている籠の中には、いろいろなものが詰め込まれていた。


外に出ると日が傾き始め、手に手に提灯を持った人の列が見えた。

「…寒い!!」

頬をかすめる風は鋭利な刃物のように冷たい。夕鈴が慌てて頭巾を目深に被ろうと両手を挙げると、大きな手が先に降ってきて夕鈴の顔を両手で挟んだ。

「陛下!」

「…陛下、じゃなくて。今は李翔、でしょ?」

 毛皮の縁取りのある外套を羽織った李翔は、夕鈴の頬から額にかけて撫でると、襟巻にしていたショールをしっかりと巻き直し「もう寒くない?」とおでこをコツンと近づけた。
「さあ、出かけよう」


浩大が御者をつとめる4~5人ほど乗れる大型の橇に、李翔に手を引かれて乗る。
侍女たちが大きな籠を積み込み、最後に静麗女官長が橇に乗り込む。
夕鈴が目を丸くして浩大に声をかける。

「浩大、橇も操れるの?」

「んー。まあ、おいらも昔、冬雪の降るトコに住んでたからさ~。
有能な大ちゃんには、お茶の子さいさいって」
とヘラヘラ笑った。

「寒くないように、しっかり捕まっててね」
李翔が夕鈴に向い合せに引き寄せ、抱きしめた。

少し恥ずかしいけど、橇に初めて乗る夕鈴はよくわからなかったので、黎翔と一緒に馬に乗る時のようにしっかりと李翔の腰に手を回し、ギュッとくっついていた。

風のように橇は進む。

暫くすると、イベント会場が近づいてきた。
遠目にもキラキラたくさんの灯がともされ、白く光るコンモリしたカマクラの中から漏れる暖かい灯に心を奪われた。

「わぁ…、きれい」
夕鈴は声を上げた。

「本当だね」

「陛下も、楽しみにされてたんですね?
カマクラ遊び」

「夕鈴と一緒に遊べるのを。
すごく楽しみにしていたよ」

耳元で、そうささやかれて夕鈴はついつい顔を赤らめてしまった。

「雪国で暮らしたくせに、陛下がカマクラで遊んだことないっておっしゃってたから」

「…陛下じゃなくて。
今は?」

「りっ!
…李翔さまっ!!でしたっ。失礼いたしました!」

「失礼なんてないから。
今は一緒にぼくと楽しんで」

「あ、はい!」

李翔さんが、眼鏡の奥で本当に嬉しそうににっこり笑う。
夕鈴は胸がきゅんと鳴った。

粉雪がちらちらと降り始める。

「―――ああ、ここ、ここ。
今日は、このカマクラ使わせてもらえることになってるって。
お二人さん!」

手配されていたカマクラに入ると、見た目より中は広いけれど、面と向かって座るのはなんだか恥ずかしい。

浩大は『お餅が焼けたら呼んでね?』というと橇を片付けにどこか行ってしまった。

女官長さんが手早く周りを整え、火鉢の炭に火を起こし、網を乗せる。

もう一つの火鉢に、甘酒の入ったやかんを乗せる。

「―――では、わたくしはこれで。
隣におりますので、何かございましたらいつでもおよびください」

女官長さんは、支度を終えると下がってしまった。

「え?! 女官長さんと一緒じゃないんですか?」

「二つカマクラ借りられたって。
すぐ隣だから、何かあればすぐ呼べるでしょ?」

『監視のもと』と李順さんが言っていたから、ずっと四人で遊ぶのかと思っていたら…いきなり李翔さんと二人っきりに。

火鉢を挟んで、向い合せ。夕鈴は胸が痛いくらいドキドキ鳴っている自分に気が付いた。

「…そっち、行っても、いい?」
李翔が奥へ詰める。

「ほら、外の雪が、一緒に見える。」
李翔は夕鈴と肩を並べ、カマクラの小さな入り口から外を指さした。

「わぁ…雪。だいぶ降ってきましたね」

ふわふわと大きな塊が音もなく落ちてゆく様子は、不思議な光景だった。

「お…お餅を焼いて食べましょう!」

夕鈴は、真っ赤になってあわてて籠の中の餅を取り出そうとした。
しかし、包帯の上からはめられた厚手の手袋で、うまく手先が扱えない。
夕鈴が手袋をはずそうともたつく手を押さえ、夕鈴に覆いかぶさるように籠のほうへと手を伸ばした。
一瞬視界を奪った大きな李翔の体に、夕鈴はドキと息をのんだ。

「…すっ すみませんっ!」

「え?何が?」

「り、李翔さまに、そんなことさせてしまって…!」
夕鈴が目を伏せて謝る。

「…私、大事な時に役に立たなくて…」
きゅっと唇をかんだ夕鈴の手を、李翔は握り締める。

「二人で、遊ぶんでしょ?
お餅を網にのせるくらい…
ぼくにさせてくれても、いいんじゃない?」

「でも…」

「雪を見ながら。
夕鈴と、一緒にお餅を焼いて…。
お餅が膨らんではじけるのを一緒に待って…
焼き立てのアツアツのお餅を君に食べさせて、
喜んでもらいたいって…

そう思ったら。
―――ダメなの?」

「え?」

「普通の人みたいに。
大好きな人と
なにげないことを、楽しいって感じて
当たり前のことを、普通に過ごしたいって

…そう思ったら、ダメなの?」

李翔は、そういいながら、細長い指で餅をつまむと、器用にくるくると上下をひっくり返す。

(大好きな人と、って…?!)
ドクンと胸が跳ねた。

「…陛下!」

「―――李翔、今は。」

「あ。…り、李翔様っ!
重ね重ね、申し訳ありません…」

「…様は、今はやめて」

「それは…」

「お願い」

「む、無理です」
夕鈴は眉を下げて申し訳なさそうに…

「…じゃあ。代わりに。
さっき、あの男を助けるとき。
なんでもしてくれるって、約束」

「―――え?」

確かに。
あの時、(ぜんぜん似ていない)陛下のそっくりさんと、妃のそっくりさんを助けるため、
「私にできることがあれば、何なりと」と口走ってしまったことを、夕鈴は思い出し、背中に冷たいものが走った。

「なんなりと…だったか?」

「はあ、確かに。お約束いたしました、ね」
夕鈴は自分がまな板の上のコイであることを自覚した。

「…あ、お餅が膨らんできたよ?」

李翔が指さす。
お餅がぷーっと膨れ始めた。

「…いきなり膨らむとこなんか、夕鈴そっくりだね」

李翔があまりに楽し気にいうから夕鈴は少し気を許して、頬を膨らましながら
「えぇ? 私、そんなに膨らんでますか?」といじけて見せた。

「…うん。」
その顔を見て、ますます李翔は、笑った。

「…ほら焼けた。」

「浩大が、焼けたら呼んで、って」

「…あいつの分は、後でよかろう」
李翔は、急に冷たい声を出した。

「…焼いてます?」

「―――何が?」

「陛下も。ときどき、やきもち焼きますね?
とくに、食べ物のことでは。

…じゃあ、浩大の分はあとで。
まず二人で食べましょう!
はい、陛下!…じゃないっ! 李翔様~~っ!」

と、何を自分で言っているのか、夕鈴はワタワタと挙動不審ぎみ。

しょぼん…と、お皿の上に乗せたお餅が急にしぼむ様子を、夕鈴は残念そうに見ていた。


「…食べ物のことだから、ではなく」

「え?違うんですか?」

「―――そうじゃない。」
李翔は、餡子を乗せたアツアツのお餅を夕鈴の口許に運びながら

「…はい、夕鈴。お餅、餡子乗せたから、食べてみて?」

「あ、はいっ! むぐ!」

噛み切れずにムニューンと引っ張られ伸びるお餅の反対側を、黎翔はパクリと自分の口に入れた。

夕鈴が目の前の出来事に瞬間判断ができず固まっている間に、伸びた餅の端を手繰り寄せるように黎翔は食む。

伸びたお餅をたどり、夕鈴の唇まで到達すると、黎翔はそっと口づけをした。

―――ごっくん!

夕鈴はお餅を飲み下した。
目を丸くし、真っ赤になり、わなわなと震えている。

こ、これは…?
ポッ□ーゲームの…お餅版 でしょう、か…?

「…甘酒、飲む?」

夕鈴が目を白黒させていると、黎翔はすかさず杯を夕鈴の両手の間に挟み持たせ、もう一つの火鉢にくべられていた薬缶から甘酒を注いだ。

「食べ物―――じゃなくて。
それは夕鈴がぼくのために、かかわってくれていることだから。
…だから、他の男の名を君の唇から紡がれるのを聞きたくない、だけ。

食べ物には、夕鈴がくっついてるから。
僕は君のだから、食べたい、って。
…そういったら、君は…怒る?」

いきなり口づけをされて夕鈴の頭の中は大混乱。

リアクションをする前にアツアツの甘酒が入った杯をままならぬ両手に持たされ、こぼさないようにと思えば身動きができず、おのずと神経はそちらへと向かった。

「―――君だから、
って言ったら、君は怒る?

女の子なら誰でもいいとか…そういう誤解を、しないでほしい…」

黎翔は夕鈴を見つめ、夕鈴は手の杯から目を離すことができなかった。

(い、い、いまの口づけは
…ゲームじゃないんですね?
なんなんですか…?!)

「黎翔…れいしょう、って。
呼んでみて」

唐突に、黎翔は顔を上げた。

「―――へっ?」
夕鈴は想定外のことを言い出した相手にさらに混乱をきたした。

「偽の名前の李翔、じゃなくて。
私の名を―――」

夕鈴は手に持たされている甘酒の杯をこぼさないようにただそれだけ集中したいのに、目の前の黎翔は…とんでもない意地悪を言い出した。

「なんなりと叶えてくれるって。言ったでしょ?」

「―――それは…」

(李翔さま、を李翔って呼び捨てにするより、
さらにハードルが上がっています…)

夕鈴はだらだらと汗をかいた。

「…こぼれるよ?」

夕鈴はハッと思いついた。

『それなら、こぼす前に飲んでやれ』と。
ふぅふぅとアツアツの甘酒を吹いて、冷ました。

「…大丈夫?
熱いの苦手?」

間近にアップで迫る。

「あの…陛下…じゃなくて
李翔様」

少し口をつけてみたが、沸いた甘酒は熱くて、とてもではないが簡単には飲めない。

「李翔じゃなくて。
外に聞こえないように、小さい声でいいから。
…呼んで?」

「では、お呼びしたら、この甘酒の杯をあちらに一度置いていただけますか」
泣きそうな顔で夕鈴は見上げた。

「うん」

夕鈴の口許に、黎翔は耳を寄せた。

「…どうぞ」

「―――ん…。」

言葉に詰まって、夕鈴が息を吐き出す。
耳元にかかる吐息がくすぐったくて、黎翔はくすくすと笑う。

「…笑わないでください!
こ、こぼれちゃうじゃないですかっ!」

ヒソヒソと夕鈴は抗議する。

「…れ、黎翔 さま?」



…しばらく黎翔は動きを止め。

表情が分からず、夕鈴はぽかんとした。


「…ああ、ゴメン」

黎翔はようやく思い出したように動き出し、
夕鈴の手から甘酒の杯を貰い受け、コトンと離れた場所へ置いた。

「…もう一回」

「ええ?」

「もう一回、お願い」

夕鈴は黎翔の耳元に顔をよせ、再び小さな声で囁いた。

「―――黎翔… 様?」

黎翔はガバっ夕鈴の首に手を回すと

「君の声は、甘美だ…」
と笑いながらついばむように口づけを落としてきた。

「あの、あの…陛下っ…!」
子犬のようにじゃれてまといつく大柄な陛下の腕の中で翻弄され、夕鈴は目を開けていられなかった。

「…ダメ。黎翔、と」

「あの、あの、李翔さまじゃなくて、陛下じゃなくて…、あの…
れ、れ…?」

困惑する夕鈴は、全身を真っ赤に染めて今にも爆発しそうだった。

「ぼくが、こんなことをするのは、ね?
―――」

黎翔はそういうと、夕鈴の襟巻をかき分け首筋にキュと強く吸い付き、そのあとに耳元へと囁いた。


「君のことが、大好きだって。
そう伝えたいから。」

「…!?」
夕鈴は、一瞬、息をすることを忘れた。


「バイトとか、演技とかじゃなくて。
本当に、君といられることが嬉しいって。
そう伝えたいから…」

黎翔は、真顔でそういうと、
唇を探るように指でなぞる。



「本気で―――君のことが好きだ、って。
君とずっと一緒に居たいっていったら、
君は…どうする?」

夕鈴はようやく息を吹き返す。
心臓は早鐘のように打つ。


夕鈴が黎翔を見つめ返すと、吸い込まれそうなほど透き通った目で見つめられる。

───今度は黎翔の真剣な目が怖くなった。

「…私は、何もできませんよ?」
と涙ぐんだ。

「では。
君は、私に何かを望んだか?」

「…いいえ」

「では、私も。
君が伴にいてくれる以上のことを望まない」


「―――私は、何も持ちません」

「…何も、いらない。

君の身一つだけで
…私には十分だ」

夕鈴はそれを聞くと、くしゃくしゃと顔を崩し
泣いているのか笑っているのかわからない表情を見せた。


「…この世のものは、なんでも手に入れられるお方が…。
陛下は、とことん、おバカさんです」


「―――そうか?

私は何にも代えがたいものを狙ってるのだ。

金や、家柄や、地位のような
人が奪い合いをする一般的価値とは程遠いかもしれないけれど。

私にとっては、
君の笑顔こそが、一番、この世で欲しかったものだ。

だから、お願い。
笑って?…夕鈴」


夕鈴は笑い。
黎翔はその笑顔に口づけた。


「ありがとう」


「黎翔さま
…大好きです」

夕鈴は、ようやく素直に
この言葉を口にできた。


もう一度口づけを落とされ、火照った頬のまま視線を外す。


「…夢、みたいです。
来て、よかった」


「うん…私もだ」

肩を抱かれカマクラの外を降りしきる雪と幻想的な景色を二人でぼうっと眺めた。



「―――さあ、遊ぼう!夕鈴」

はしゃいだ青年の声に、夕鈴はハッと気を取り戻した。




この日、二人で見た幻想的な雪景色は、
黎翔にとって人生の中の暖かく幸せな雪の記憶として、長く残った。







お二人のご成婚が世に発表されたのは、
それから間もなくであった。




(おしまい)





23000HIT御礼 風花さまからのリクエスト。
-------------------
【お題】
陛下×夕鈴で、雪が降っているけど暖かく感じるお話
寒くても2人でいれば幸せ... そんなお話を、とリクエストいただきました。
-------------------

イメージは、雪の中をピョンピョンと跳ねる雪うさぎ。

子供のころ国語の教科書に、雪うさぎは追っ手のキツネの眼をごまかすために、わざと反対方向へジャンプして足跡を残す、と載っていました。

今回のお話は、ほんのりした恋心と、ぴょんぴょん、思わぬ方向へ足跡をつけるウサギに翻弄される陛下のお話を、あまり深刻にならず、軽~く、かわいらしく、仕立ててみたいと思いました。

冷たい雪のなかでも、温かくホカホカ、と。お二人がお幸せになってくださればなぁ…と。

るふるん、るふるん、雪うさぎ~ のお歌を
久しぶりに思い出させてくださったFullさま。ありがとうございます。

そういうわけで、エンディングは

雪降る夜~は~

で締めくくらせていただきました。


楽しんでいただけたでしょうか?


風花様、素敵なお題をありがとうございました。


*

身代わりの花(1)

少し短いですが。

【バイト妃】

* * * * * * * * * *
身代わりの花(1)
* * * * * * * * * *


「家に帰ってほしい」と手紙が来た。

父さんの文字、懐かしい。


また何かやってしまったのかしら?

…もしかしたら、青慎を困らせていやしないかと
心配で堪らなくなった。


どんな用件なんだろう。

なんだかドキドキしてしまう。


ほどなくして、
李順さんから呼び出しがあった。


多分、いつも手紙の内容はチェックしているから
父さんが何を言って来たのか既に御存知だとおもう。



眼の前の椅子を勧められる。

李順さんが、珍しくお茶を出してくれた。
しかも…濃い!?

どうしよう。いつも白湯か、よくて薄っすいお茶しかださない李順さんが!?
バイト妃に…!?? 

このもてなしぶりは、何なんだろう。
───嫌な予感がする。


「さて。夕鈴殿」

なんだか改まって呼ばれると、怖い。

「はい」


「御父上の手紙は、…もう御覧に?」

「…あ。───はい」

やっぱり李順さんの用事というのは。
私が下町に帰りたいと言い出すだろうと、その一件。


「もしかして…
やっぱり、帰るのは、無理でしょう、か?」
と尋ねる。

「…」
李順は表情を変えない。

「とりあえず様子を見て、すぐ王宮にもどってきますので。
───あ、3日後の。公務には、必ず間に合うように。
お約束します」

やっぱり、コワイ。

大切な公務が明後日っていうことが自分でも気にかかってるし…
李順さんにすれば、絶対、ダメって言うにきまってる。

父さん…。
お願いだから、この間のおばば様の件みたいに拗れたことになっていませんように…。

おねがいします、という気持ちを込めて、
私はもう一度、深々と頭を下げた。


「───結構ですよ、公務の方は」

「え?」
OKってことですか? …でもまさか。
嫌味の一つもなしに、こんなに簡単に承諾のお返事がもらえるだなんて…!?

「三日後の公務は。
バイト妃の貴女であろうとなかろうと。

陛下の御身代わりには誰もなれませんが、
妃は。───なんとでもやりようはあります。
貴女が気にすることはありません」

「…え?」

妃の、代わり…?

それって…。


李順さんは、深く息を吸い込むと、大きく息を吐いた。

「最初に申し上げておきます。

夕鈴殿、あなたの幸せを邪魔するつもりは、
私には毛頭ありません」

「───は、あの…?」

「ですから。
お帰りいただいて結構です。

もともと短期間のバイト、というお約束でしたし。

これ以上は、お引き留めしてもあなたにとっても、
我々にとっても良いことはありますまい。

その代り…
ここでの出来事は、
全て忘れていただきたい」


「それって…。
あの。私
…クビ、ってことですか!?」

私は思わずガタンと席を立った。


「…お妃さま。…どうか、お心を沈めて。

あなたはまだここでは
『狼陛下の唯一の妃』なのですから。
…ここに居る間は、そのように御振る舞い下さい」

李順さんの声は低く、やんわりと手で私の方を制してみせた。


「…私が。
しょっちゅう下町に帰ったりして
陛下や李順さんにご迷惑をおかけするから…?

私は不適格、ってことですね?

バイト、クビになった、ってことなんですね…?」

李順さんを見つめたけれど。
全然は動じることなくいつもと変わらぬ表情でこっちを見返している。

一片の曇りもないその眼差しに
面と向かって「自分がどれほど無能な役立たずだったか」と
つきつけられているようで。

──私は唇を噛んでうなだれた。


「貴女は傷つくかもしれませんが。

…そういうことに、しておいた方が。
よいのかもしれませんね」

李順さんはそれ以上、何も言わなかった。




(つづく)

身代わりの花(2)

今回も、短くてすみません。

【バイト妃】

* * * * * * * * * *
身代わりの花(2)
* * * * * * * * * *

「―――もう、宜しいでしょうか?」
部屋の隅から声がした。


衝立の陰から人の気配。

…はっ、と振り返ると、
――― 一瞬、鏡があるのかと思った。

違う…。
『鏡』じゃ、ない


私と同じような妃衣装。
同じように、二つの輪に結い上げられた髪。

きれいにお化粧された…

でも、それは私じゃ、ない。


「お妃さま―――」
李順さんが声をかける。

しずしずと一歩踏み出し、近づいてくるその女性は、
私と同じような服装と同じ髪型で。
よぉく見れば、違うけれど。
お化粧を施した私と大差、ない。

「夕鈴どの」

「「はい?」」
二人の声が重なった。

「…いえ。そちらの、―――夕鈴殿」
李順さんが『夕鈴殿』と呼んだのは、
…もう『私』ではなかった。

「この方は、貴族のご出身の…
―――ああ。
後宮においては関係のないこと。
俗世の氏素性とは少々ことなりますが。
これから、この後宮では
夕鈴殿、と呼ばれる方は、このお方になります。

ですから、あなたは、安心して…」

私は…

李順さんと、新しく「夕鈴」と呼ばれるその女性を交互に見つめた。

にこ、と『夕鈴殿』が私に笑いかけた。

違う。私、じゃない。

「―――遠目にみれば、さほど変わりもないでしょう?
世の中には、いるものですね。
同じような人、というのは」

おなじ…?
―――違う。

その方は…
私じゃなくて。

貴族のお嬢さんで…
陛下にきっと。―――私なんかより、もっと。
ふさわしい方なんですね?


「―――陛下のお好みであるというのなら。
きっとこの夕鈴殿も愛でられることにございましょう」


もう。
―――無能な私はいらない。
―――足手まといな私は、いらない。

―――ふさわしい方は。いくらでも、いるんだから。

「…これで、ご安心いただけましたか?」

李順さんが頭をさげた。

* * * * * * * * * *

その後。

私は静かに手早く身辺を整理すると、
その日のうちに、後宮を辞した。

妃など…
いくらでも、代わりはいる。


私は、お役に立てない。


父さんや家のこと。青慎のことも。
私は捨てることができないから―――。

痛くて。
痛くて
―――ただ、痛くて。

涙も出ないうちに
景色は変わった。


あのお方に
さよならも言えず。


(つづく)

身代わりの花(3)

辛いお話で、ごめんなさいね。

【バイト妃】

* * * * * * * * * *
身代わりの花(3)
* * * * * * * * * *

「夕鈴。お嫁に行く気はないかい?」
父さんは申し訳なさそうな顔をして、私に尋ねた。

「───え?」

青慎がオロオロと心配げに私の方を見ている。

父さんは、顔を伏せて
手を握り締めている。

…気楽な『お見合い話』とかとは、根本的に違う空気がする。

父さんはすごく困った顔をして、机に置いた自分の両手から目を離すと今度は青慎の方をチラと見上げる。

短い手紙の文章と。
この父さんの様子から
私は
『ささやかな恋の夢から目を覚まして
現実に目を向けないといけない』ってことを
もう。
年貢の納め時なんだ、
───と、悟った。


「…父さん。
───そのお話しは、私に選べるものなんですか?」

父さんは、私の方を見ると
悲しそうな顔をして、
ゆっくりと首を振った。

「姉さん。…ほんとうにゴメン」青慎が謝る。

「───どうして、あんたが謝る必要があるの?」
私は、動揺を押し殺して…明るい声を心がけた。

───そう。この子に心配なんかかけちゃダメなんだ


「…役所で公金が紛失する騒ぎがあってね?
父さんが手をつけたんじゃないかって
変な噂がながれて…」

「公金の紛失…?
───お、横領とかっ
父さんがそんなことするわけ、無いじゃないっ!!
バカバカしい…
青慎、あんた、それ信じたわけ?!」

「そんなわけ、無いじゃない!
姉さん!!」

青慎は泣きそうな顔をしている。

二人の深刻な顔を見れば

父さんが泥棒扱いされて、
どんなに肩身の狭い思いをしたんだろう…と
痛みを知った。

「大きな額で、
とてもとても…私がどうこうできるような金額じゃなくて…
それで」

「それで? 横領したって、認めたの?
───父さんは?」

「私は絶対そんなことしていないと、
もちろん、潔白だと
そんなときに私を助けてくれたのが
絽長官で…」

「───絽長官?」

「横領事件を穏やかに解決する代わりに、
息子の嫁を、と」

「…どうして、そこで息子の嫁、が出てくるのよ?
話が違うじゃない」

私は青ざめながらも反論してみた。


「今度、隣国の遠征のために、
独身の若い男子ということで徴兵にひっかかって…

大事な息子さん、らしいんだ。
絽長官にとっては。

───それなら今日明日にでも結婚を、と。
形だけでも手直にと…
とても困っていらしたんだ」

「…それは。すぐってこと?」

「もう。明日にでも───お式をと」

「はぁ?
会ったこともない相手と、話を聞いただけで
いきなり結婚って…
父さん、そんな…!?」

私は目の玉が飛び出しそうになるほど驚いた。

「とにかく式を挙げて。
一緒に暮らしていると
形だけでも成しておきたいと…」


唇を噛みしめ、知らないうちに握りしめていた自分の手の存在に気が付いて
震えながら指を開いた。


もう、この手を取るのは、
あの方じゃ、ない───

どうせ
どうせそうなら

もう、早くにあきらめた方がいいんだ…

「わかった、父さん。

お嫁に、行きます…」

そういうのだけで精いっぱいで
私は戸口から駆けだした。

夜の道を走って
走って
───走って


丘の上まで走って。
涙で霞むキラキラ輝く満点の星に

遠いとおい、お月様がぽっかりと浮かんでいた。



(つづく)

身代わりの花(4)

さくらぱんさんからお誘いいただいた、
ブロガー連携クリスマス企画、用意しています。
甘っつ甘のお話。24日の0時に公開です。
…どうかお楽しみに。



【バイト妃】【泣かないで】

* * * * * * * * * *
身代わりの花(4)
* * * * * * * * * *

世界を満たす柔らかい光。
月を見上げる。

全ての人に光を与えてくれるのに。
誰からも遠い。

遠い遠いあの方は
決して、私の手の届くところにはいないんだと。
私は知っていた。

世界は、冷静で、冷酷な真実に満ちている。

夢は、夢。
みえないふりをしていただけ。

嘘と偽物は、ほんとじゃないって。
知っていた。

───いつか分かれがくることも。




「形…。
形って───なに?」

あの方とも、
───形だけの偽物の夫婦を演じてきた。
それが私の仕事で。

私はお金をもらって…たんだ。


だから、変わんないじゃない? たいして。
お仕事と思えば───。


「とにかく式を挙げて。
一緒に暮らしている…形だけでも成しておきたいって…
それ、なに?
…形だけってなに?」

…思わず、涙がこぼれた。

形だけのために、私は
会ったこともない、好きでもない人に
嫁いで…抱かれるの?


『すまん、夕鈴
父さんが不甲斐なくて…』

青慎もポロポロと泣いていた。


…青慎の将来に
傷がついたらいけない、のよね?

…父さんの疑いも
絽長官のお力があれば、
晴らしていただけるのね?

…私が。
私が素直にお嫁に行けば───
青慎は、泥棒の子供って…後ろ指さされずに
済むのね?

将来のある、青慎の。
未来を、傷つけずに済むのよね───?



だったらせめて

お月様
お月様
どうか、忘れさせてください
───あの方の面影を

忘れさせてください
───あの方のくださった、温もりを


明日、見たこともない人の花嫁になる私。
胸の中を占めるあの方のことを、このまま抱いていることなど許されないのに。

捨てようとすればするほど大きくなっていくあの方への想いを…
どうか、不実と責めないでください。

お月様。どうか、お願い

決して口にできないあの方への想いを
全て消し去ってください

私、苦しくて、
苦しすぎて───生きていけない


* * * * * * * * * *

窓から月が見えた。

灯りもともさず、あのヒトは強張った表情で指を組んで座っていた。

「───浩大」

「…御前に」

音もなく姿を現す、影のオイラ。


あー。こんなコワイ顔しちゃって…余裕ねえな

夜目が効くことがこれほど恨めしいことはない。
…いっそ見えなかったことにしたい。こんな恐ろしい狼陛下の表情なんて。

「───夕鈴は…なぜいない?」

窓際から差し込む静寂な月の光を背に…。
何、怒ってるんだよー?

「…居た、と思いますが?
───後宮に。ちゃんと」

へらへらと薄笑いを浮かべたって、いいだろ。
それくらいは、さ。


つかつかと近づいてくる。

「…馬鹿を言うなっ!!」
声を荒げてオイラの頬を思い切り叩く。

俺は首を竦めるフリをする。

痛みを感じてるのは、オイラ?
…それともあんたのその左手かい?

「あれは、夕鈴ではない」

…ふうん。

「今日から『あのヒトが、夕鈴様』ダソウデスよ。
───有能な側近さんの、指示によれば?」

ひりひりとする頬を触れもせず、オイラはそのまま知らんぷりしてやった。
こんな痛み…
───に、比べれば。

「指示?」

「これ以上あのお妃ちゃんだった子を
命の危険にさらさないためには、
『手段を択ばない』って、
そのあたり、陛下もご了解済み、と聴きましたケド?」

ギロリと睨まれる。

「…お前と問答をする気は、ない。
お前の主は誰だ?
李順か、───私か」

「───全ては我が君の御為に」

こえー。
めっちゃコエーわ。陛下。

冷気が漂ってるって。
俺、命縮まっちゃうぜ?


「どこにいる?」

沈黙が重たいぜ。


「───それ聞いて、どうする気?」

「…」


「今の情勢、ヘーカ知ってるはずでしょ。
あんたの『唯一の弱点』だって。
─── 的(まと)、だよ。
狙われてるだぜ? 
こんだけ大掛かりなテロ組織の絡みじゃさ…
あんな無力な兎、守りきれないかもしれない」


どんなに厳重に囲って護っていようと、さ
隙っていうのは必ず生まれるものだから。

弱い奴は、ヤラれる。
…それは、この世の掟じゃんか
だよね?

知ってるだろ?
そうやって、どれだけの敵を屠ってきたんだよ、あんた自身!

「───失うことは、できない」

「あの子の命がおしけりゃ、ここに居させちゃダメだな」

「…だが、手放すことを許した覚えはない」

「───ふうん。
…巻き込んでおいて、勝手な言い草だね?」

おいらは思いっきり意地悪な顔をしていたと思う。

赤い眼が燃えて
マジ、射殺される勢いで睨まれた。


まるで獰猛な野生動物と対峙しているような緊迫感。

睨んで睨んでにらんだあげく、
ようやく目をそらしてくれて…、俺はホッとしたぜ。

「…で、どうしてる」

「ん…。


これ言っていいのかな?」

正直、ためらった。

俺だって、喋って吐き出したいことって、あるさ。
どっちにしても、主に隠し通して、一生話さずに済むことでも、ない、わな…。
訊いてくれた方が有難い───。

あんた、訊きたいか?

その耳を塞がずに、聴けるか?

「聴こう」

…肝は座ってるさね。さすがオイラの主人。
有難いこった。

いや、あのお妃ちゃんが。
特別、だから。
あの子は特別なんだって…、思い知るんだ。

むしろ───こういう時、切ないだけじゃんか。


「結婚、するって。
───明日」

さりげなく言うよ。
せめてもの隠密の情けってやつ。

「───!?」

二の句が継げない陛下なんて、初めて見た。






「…あい、ては?」

「…あの子の父ちゃんの役所がらみの上司んとこの、ボンボンだったっけ?」

顔を思い浮かべたけど。大した奴じゃない。

「───なぜ、これほど急に?」

ま、そら、そだな。

「独身男子枠の徴兵逃れ…?」

ほんっとに…馬鹿らしい。

「詳しく」

「…何でも昔っから、かなり女癖悪いボンボンでねー。
13の齢で下女孕ませたってサ。その後も手当たり次第で。
大事な息子だって甘やかしすぎだぁな、ありゃ。
おかげで、慌てて結婚させようとしても、すぐにゃ、良縁に恵まれないってさぁ…
そりゃ、当たり前って。大事な娘嫁がせたくないわなぁ。
…あんな息子に。

で。
なんだか、あー、元お妃ちゃん? …だったあの子の父ちゃんがね。
公金横領の罪を疑われて。
だーいぶ、肩身狭い思いしたらしーよ?
ま、役人なんてだいたい、誰でもやってることだろうけどー?
こんなくらいでビビるんんだから、人が良すぎら(笑)。

───で、そこで、その上司が、切り出したらしーよ。

もみ消す代わりにぃ…って? 
役人目指して頑張ってる弟クンの将来、考えてみろ
『便宜を図ってやるから、娘を嫁に身代わりで寄越せ』って。
まあ、そーゆー話、らしいネ」

そもそも、その。公金横領の騒ぎってやつ。
大方、だれが仕掛けたかなんてさ…。遠目に見れば分かるだろ?
───けどさ。そんなチンケなもめごと、オイラの仕事じゃ無いからさ…。


「───そんな下衆なヤツのところに嫁いで、
夕鈴は幸せになるのか?」

「さあ? 知らねー」

ケラケラと俺は嗤ってやった。

「───でも、少なくとも。命は失わねーなぁ。
長官の息子の奥さんだろ?
生きながらえて、静かに暮らしていけるサ?
命惜しさにかけては、才能あるゲスい奴らだから。
…多分、ね」

…怒れよ。ヘーカ。


今、泣いてるんだ
───あの子は。



───あんたが怒ってる以上に、さ。

なんだって、あの子がこんな目に合わなきゃいけねーんだってっ!!

───俺だって、腹わた煮えくりかえってるんだぜ?!!


(つづく)

身代わりの花(5)

夕鈴の結婚式の日がきてしまって…。

【バイト妃】

* * * * * * * * * *
身代わりの花(5)
* * * * * * * * * *

まんじりともせぬうちに夜が明けた。

今日は輿入れの日。
絽長官の家から、昼前には迎えの輿がくるという。

既に花嫁衣装の誂えが届けられており、
女手がない我が家は三軒隣の奥さんに支度と着付けの手伝いを頼んだ。

「たいそう豪勢な衣裳だぁね。夕鈴ちゃんは幸せ者だわ」
そう言われたが、
これ見よがしに金糸銀糸でギラギラするばかりで
手に取れば重くざらつき生地の質は宜しくない。
本物の妃衣裳に比べれば上辺ばかり飾り立てた安っぽい衣裳だった。

古くさく野暮ったい髪型に結われ、かんざしだけは豪勢にこれでもかとありったけ挿されたので、頭が重たい。
塗りこまれた香油もべたべたと気持ち悪いものだった。

どうせ形だけ整っていればよい身代わりだから───。


何くれとなく世話をしてくださった後宮の女官さんや侍女さんたちの顔が目に浮かんだ。

女官長は朝起きるといつも、良い香りのする櫛で、一櫛、一櫛、丁寧に心を込めて髪を梳いてくれた。
香油を塗る手はひんやりと柔らかだった。
涼やかな声は心地よく、私を愛おしみ、大切に慈しんでくださった
天女のように雅なあの方たちは、今どうしているのだろう。

いえ、あれこそが。
夢物語。
わたしはもう、二度とあの夢の世界に戻ることはない。



約束の時間の少し前に、輿が到着する。
父さんと青慎は徒歩で、四人の男が担ぐ輿の後を付いてくる。

幸いにも天気は良く、輿に揺られて移動する道すがらあちこちの家から子供たちも大人たちも出て来ては、祝福の声をかけて下さった。

「これほど華やかな道中なのに、どうしてあの父っつあんは、渋顔なんだろね。緊張してんのかね」
「弟さんも、まるで葬式のような顔をしてるじゃあないか」
…そんな風にひそひそ会話する人もいた。

父さんは長官の顔をたてるべく必死で作り笑いしようとすればするほど、ひきつった渋顔に見えた。
青慎は意気消沈してとぼとぼと列に続いた。


人のことは言えない。
ベールに隠れた私の顔は、多分死にそうな顔をしていたと思う。

朝鏡をみたとき、なんて酷い顔をしているんだろうと自分でも思った。
おばちゃんがどんなに化粧を施しても無理だった。

「この目の下の隈は隠せないねぇ、せっかくの花嫁さんが。
あんた独身最後だからって夜更かししたんだろう、まったく。」と私を責めた。
目深にベールをかぶって、俯いていた。


ああそういえば。
花恵宴のときは、輿が壊れてしまって徒歩で離宮の庭園を延々と歩いたわね。
あのときは、花々に囲まれて、音楽と、大勢の偉い方々の中緊張して歩いてフワフワ雲を踏んでいるような気がしたっけ。

たどり着いた式典場には、
たなびく幕と花吹雪の中央に、あの方がいらして。
───陛下… 装いも華やかに、麗しく。
私を、待ちわびたと。迎えてくださった。

陛下の一言で、この世は春に包まれ、
祝福された瞬間を、私は目の当りにしたのだ…

それはこの世のものとは思えない、美しい景色だった。



───思い出したらダメだと、思えば思うほど
どうして思い出してしまうのだろう。


花恵宴のときみたいに、
輿が壊れてしまえばいいのに。
その後は、そんなことばかり願っていた。

速度も遅く、ギシギシと軋む輿の上に緊張して載っているのは案外疲れるもので、ようやく絽家の館が見えてきたときは、この苦行から解放される、という思いだけが強かった。


門をくぐって、父さんと青慎が先にあいさつに伺い、私は花嫁の控室へと通された。
付き添いもなく一人っきりだ。

母家の方は賑やかな人の出入りが聞こえるが、こちらの離れは静かなものだ。
特に監視がついているわけでもなければ、家の作りも特に複雑というわけではない。

これなら、このまま逃げ出せる、と一瞬思った。

───でも、
私が逃げたら、父さんは?
青慎の将来は? 

そう思うと、実行に移せなかった。


かなり待たされた。
昨晩あまり良く眠れなかったので座ったままウツラウツラしてしまった。

「───夕鈴さん?」と扉の外から声がかけられたとき、ハッと目が覚めた。
やたらめったら挿されたかんざしのおかげで、首がどうにかなりそうな痛みを訴えている。

「そろそろ、お式の準備が整いました。
どうぞこちらへ」

…頭が痛い。これは、寝不足もたたっているわね…。
首をふって、息を吸うが、具合はあまり良くならなかった。

案内をされて、廊下を通り、母家の方へと渡った。

濡れ縁を通るときは、縁の下に注目した。

あるいは天井裏から?
どこからヒョイと浩大のあの笑顔が覗くんじゃないかと
今か今かと待っている自分がいる。

…できるだけゆっくり、ゆっくり歩いたけれど
───私のそんな小さな期待は叶えられるはずもなかった。



宴会場となっている大きな部屋に通される。

───うわ、お酒臭い。
扉を開けた途端、もうもうと立ちの盛る熱気。

がやがやと祝宴は進んでいる。もう半分出来上がった人たちが大声で叫ぶ。
「いやあ、花嫁さんが来た、来た」と。
拍手喝采がおこり、私は案内の人に押し込まれるように背中を押されて、中央に用意されている座へと進んだ。

そこには当然のことながら二つ席があり、もう既に片方には男の人が座っていた。

私はベールを目深にかぶっているし、相手も儀式用の顔の隠れる冠を被りギラギラ精いっぱい着飾っているので、正直、よく顔が見えない。

案外背の高い、すっきりとした背格好の人だった。

…ああ、頭が痛い。
着物の作りが悪く、窮屈で動きにくいうえ、肌触りがわるいのは、長時間我慢するにはつらいものがあった。
それに頭のかんざしが重たすぎる。
お酒の匂いが気持ち悪い。
…とにかく、何もかも、居心地が悪い。


父さんから引き出した僅かな情報によると、花婿の絽亥は、齢22歳。
かなり女性にもてるというから※、チャラチャラした好男子なのかもしれない。
(※岩圭の情報操作:女好きで手が早く、孕ませた内縁の子供が8人も存在しているとはどうしても娘には言えなかったらしい)

…どちらにせよ、ここまで来てしまえば、もう逃げ場もない。
私にはえり好みする余地は無いんだわ。

───私は仕方なく、案内の人にグイグイと押されるまま、席に座った。
裾を直され、ベールを整えられ…
花嫁としてあとはここにジッと座っているだけが仕事?


耐えられないほど、頭は痛い。
ベールで隠れていられてよかった。
これで笑顔を振りまけって言われても。無理だと思う。

恥ずかしい内容の春歌を大声で歌うもの、料理をこぼしまき散らすもの。あたりは大騒ぎだ。
「可愛いぃ嫁さんだなぁ~。絽亥のやつのあっちのご活躍はそりゃもう有名だから、せいぜい可愛がってもらいなぁ?」「××が〇〇で、いひひひ…」「ひゃひゃひゃ…」
酔っ払いの下卑た会話も、何もかもが、頭痛と一緒くたになって、ガンガン私を襲う。

───嫌。気が狂いそう…。

作法にうるさい李順さんがいたら、さぞかし眉をひそめるだろう…。

宴会といえば、陛下のお出ましになる格式の高い宴会は別世界のお話だった。
私が列席するとしても、睨みを利かせるあの御方が来臨されていらっしゃる間だけだし。
しつらえ、料理、酒、舞など隅々まで趣向が凝らされていた。
いつも陛下に甘い演技を要求されて困るばかりだったけれど、大切にあの方に護られていたのだと思い知った。

陛下にされて嫌なことはなかったけど
もし。今日、花婿に何かされたら、どうしたらいいのかしら…?
───不安は募るばかり。

でも。私はプロだったんだから。うん。
ここはせっかく培った経験を生かして、冷静に対処するだけよね。

───でも、その後は…?

もう、いっそのこと。お酒を飲んで身を任せてしまおうか…?
怖い。泣きたい…。

ここまで案内してくれた年配の女性が、絽長官にご夫妻に二人そろって挨拶を、と耳元でささやく。

私のあとに、花婿にも近寄り、同じことを伝える。

花婿は頷くと、私の手を取るため腕を伸ばしてきた。
私は肩をすくめて身を固くした。
袖の上から手をやんわりと手を重ね、少し緊張をほどく時間をあたえてから、そっと布越しに掴まれ、手を引かれる。
───変なことはする様子がなく、ホッとした。

すぐわきにいらっしゃる新しいご両親の方へ挨拶へと向かう。

礼をする。
…?
長官ともなると、息子に対しても妙に丁寧なあいさつをするものなのね…?
ベールの陰からちらりと絽長官を覗くと、幸せそうな顔をしているどころか、むっつりと怒ったような、変な顔をしていらっしゃる。

───大切な息子さんの結婚式なのに…どうして?
私、何か気に入らないことをしちゃった…? と、途端に不安がつのった。

よく分からないうちに、父さんと青慎の方へもあいさつに行く。

ベールの陰からそーっと伺うと、
父さんは、思った以上にヘンテコな顔をしていた。
相当私に対して申し訳ないと思っているのかしら。
恨むとかそんな気持ち、私にはどうでも良いことだから。
心配しないで、父さん。青慎。

私は…ただ、この頭痛をどうにかしてほしい。
もう、早く終りたい───形だけの結婚式だなんて…。


花婿はといえば、横並びで相変わらずベールの隙間の角度から顔は見えないのだが、思ったよりはマトモな人物らしい。

しきたり通りとはいえ慣れない重たい衣裳を引きずれば、誰しもノタノタぶざまに振る舞うかと思いきや、
婚礼衣装を着こなし裾捌きも手慣れたもので、その上花嫁の私まで気を配ったスマートなエスコートをするので驚いた。

(絽長官の息子ともなると、一通りの作法は身に付けてるのね?
さすが、女タラシ…。これは気が抜けないわ)

…むしろ、戦闘態勢に火が付いた気がする。
宮廷仕込みのプロ妃がお作法のお手本を見せてあげる───と、気概はおのずと高まった。

人間、なにかしら楽しみを見つければ、苦痛も減るというモノね。
これも李順さんが厳しく仕込んでくださったおかげ、か。

こんなときに、あの鬼上司に感謝するって…。
ふふ…。
今日はじめて笑えた気がした。


その後は、とにかく『プロ妃として身に付いたものを武器に、全身全霊で宴会に立ち向かう』という目標ができたので少し気が楽になった。

二人が座に付きなおすと、杯を持たされた。

これ、誓いを交わすっていう、あれ?

飲んでしまったら…。
私はこの人の花嫁。

一生この人に仕えて、ここで暮らしてゆくんだ。


気が重いけど、避けられない…わよね?

花婿と花嫁に順番にお酒が注がれる。

口をつけようとしたら
小さな声でささやかれた。

「無理して飲む必要はない。形だけに」


───え?

似てる。

背格好や体格が似てると、声も似るもの?
それとも、若い男の人ってみんなこんな声だった?

───違う。空耳にきまってる。


これは。私がまだあの御方のことを忘れられない罪の罰をうけているのだ。


こんなふうに───罪深い幻は、何度も私を試して、惑わしにくる。

私は目をつぶった。



頬を熱いものが伝い、濡れているのを感じた
───涙じゃないのよ、これは


…頭が痛くて、目が開けてられないくらい頭が痛いだけ…

陛下とは、もう二度と会えないって、私は分かってる───


「───いいえ! 飲めます!!」

私はそういって、杯をいっきにあおった。


「…あ…!?」


花婿は驚いたように振り返り、
私の両肩を掴んだ。

ベールの陰からちらりと見えたのは、
花婿の、赤い…瞳だった。


(つづく)


身代わりの花(6)

夕鈴の結婚式。お相手の花婿さんは…?

【バイト妃】

* * * * * * * * * *
身代わりの花(6)
* * * * * * * * * *

「───いいえ! 飲めます!!」

私はそういって、夫婦の誓いの杯を
いっきにあおった。

「…あ…!?」

花婿は驚いたように振り返り、
私の両肩を掴んだ。

ベールの陰からちらりと見えたのは、
花婿の、赤い…瞳だった。




…この国で。
赤い瞳を持つ人は。


…王家の血筋、の

───まさ か ? 

ううん、見間違い。

盃を空けた途端、
私は花婿に抱きしめられ、
深い口づけを受けた。

「絽亥! さすが!!」
「手が早すぎるぞ~!! ウブな花嫁さんに、いきなりそれか」
「長いぞ!! 絽亥~~!!」
ワハハハ…!! と笑いが起こり、周りはやんやの喝采と、はやし立てる口笛がぴゅーぴゅーと鳴り響く。


唇が離れる。

「───飲みこんだ後か。
…すまない、間に合わなかった」

おもわず、濡れた唇を指でおさえた。
私は唇の奥まで深く探られ吸われ、私はその未知の感触に戸惑っていた。


「馬鹿…
自分が、酒に弱いのを知っているくせに。
───この後、どうするつもりだったんだ?」

耳元で叱られた。

「…うそ。
───あなたは…?」

私は、花婿の袖に、思わずしがみついた。

普段お酒を飲まない私は、口の粘膜に酒が触れただけなのに酔いがまわってきた。
朝早く食べたあと、花嫁の衣装の支度にかかずりあい、食べる間もなくお腹がすいていた。
空っぽの胃に触れた酒が、速やかに吸収され、みるみる体にまわってくるのが分かった。


「───夕鈴?

私だ」

やっぱりそれは、陛下の声に聞こえて。

涙がこぼれた。

「───これは、やっぱり。夢ですか?
…だとしたら。
酔っぱらうって、素敵なことですね…」


私は、眼を瞑った。涙が頬を伝った。
陛下の声がする。それで十分。
夢だろうと。
嘘だろうと。
私はそれで十分幸せ、だから───。もう本当でも、幻でも、どちらでもいい。
もう一度、あの方のお声が聴こえたから。
私は幸せ。

(…ああ、もう。この酔っ払いが…)
花婿が小さくため息をついた。


私は、幸せだった。
お酒がまわって、ぐるぐる世界が回る。
頭が痛かったのと寝不足で、けだるい疲労感が一気に体を駆け上がる。

陛下の声が聴こえたから。───夢でもいい。
私はもうずっと、その夢の中に住んでいたい。

その心地よさに朦朧とした疲労感に襲われ多は、ぼんやりと夢の中に足を踏み入れた。



花婿は、酒杯をタンと膳に戻すと、大きな声で告げた。

「───妻が気分が悪いという。
誓いの杯が済んだ早々、申し訳ないが、我々はこれにて円満な新婚生活のために席を外させてもらおう。
どうか皆々この後も、うまい酒、うまい肴を楽しみ、思う存分、楽しんでいかれよ───」

「やれ! さっそく絽亥のやつ、嫁さんにメロメロだ!!」
「晴れて夫婦になったからには、思う存分嫁さんを慰めてやらなきゃなぁ!!」
ピューピューと口笛が吹き慣らされ、下卑た笑いとやんやの喝采に見送られ、花婿は花嫁を抱きかかえ宴会の席を立った。

* * * * * * * * * *

ガラガラと音がして、
世界が揺れている。


ひやり、と額に濡れた手布が乗る感触。

私は、眼を瞑ったまま、その布を指で探った。

「ん…」
身動きをしようとしたが、体が縫いとめられたように動かない。

「…そう…。

かんざし、を。
外して…?
重たくて、頭が痛いんです…」

擦れた声で呟く。

「君は…お酒を飲んで。
そんな無防備なことを…願うの?」

ゆるゆると、髪を触られる。

「古臭くて、野暮ったい髪だな。
君に、似合わない…」

チャリ…チャリとかんざしが抜かれる。

髪の中に手を差し込まれ、ゆるやかに解かれた。

唇の紅を拭われる。

「…寝れなかったのか?───ひどい、顔だ」

「ひどい、ですよ───
どうせ…
逆立ちしても 美人さんに なんか…
なーれませんよー だ

本当の 美人

っていうのはですねぇ

…それは、もう。
眼がつぶれるほど

きれいで…

けだかく、て…」

美しいあの方を思い出して、うふ、とわらった。

頬を、ペチペチと叩かれる。


薄く目をあける。
まだぐらぐらと世界が回っている。

「…飲めないくせに。
酒なんか」

額にまた冷たい布が当てられた。
そのまま、顔を拭われ、首筋を伝う

ひんやりした感触が気持ちが良くて、思わず
もっと…とねだりたくなった。

「お酒…お酒?
…ああ、お酒。
はい。
───えっと。

結婚式だから…。
お酒、飲まないと…。
忘れないと、いけないから」

「…忘れる?
何を」

「口に
できません。

だから

お酒を飲んで…
身を任せたほうが、───楽。」


夢見心地で、朦朧としながらそう言い終わると、

はぁ…。と
傍らから、小さなため息が聞こえた。

唇に冷たい感触が…
唇の隙間から、冷たい水が浸入する。

「ん…───っく」

「もう少し、飲めるか?」

離れた唇がもう一度触れる。
冷たい水とともに、ぬるりとした感触が、私の中に踏み込む。
「ん…!

…あ。
いや」

目をあける。

薄暗がりで、灯りもない。
───ここはどこ?
大きな人影が、私に覆いかぶさるように…

男の人…!?

思わず、背中がぞっとした。

ハッと目が覚めて、起き上がろうとした。
「───嫌っ!」

でも、手も足も動かない。
手足に重石が乗っているように覆いかぶされた人物に体を押さえつけらえていた。

首筋に吐息がかかった。

「…やめ、
やめてくださいっ…」

「───」

「…嫌。…お願い止めて」

首筋を生暖かいものが、伝う

「…お願い。
…いや

だめ。


───へ…

か…


助けて…」

ポロポロと涙がこぼれた。
お酒の力を借りて、花嫁の役目を果たそうとおもったのに
やっぱり、───嫌だ。

「へ


か。

助けて」

「君は。
───誰を、呼んで泣く…?」


耳元で、声がした。

「夕鈴?
君は、誰を───呼んでいる?」

「…陛下!?」

私は、確かにその声を聴いた。

「───陛下!」

私はようやく、背けていた現実に立ち向かう気力が生まれた。

焦点を結ばない眼をもどかしく見開き、その声の主を見返した。

赤い眼が見つめ返す。

「…へい、か?」

「───ああ」
幻でもいいとすら願った、陛下その人が目の前に。

「陛下、ですか?
───ほんとに?」
涙があふれて、目の前の陛下のお姿が滲んだ。

「まぎれもなく、本物だ、夕鈴…。」

ぎゅっと袖にしがみ付く。

「どうして、あんなとこに」

私が問い詰めると、陛下は私を引き寄せて、胸に抱きしめた。

「…花婿の、身代わり、に?」
クックと笑う震動が、陛下の身体全体から伝わってきた。

私は陛下のぬくもりに───安心して、力が抜けた。

「───身代わり?」

私が、何のことかわからず、目を丸くしていると
陛下は思わず笑い出した。

「そう───君には悪いが。
ダンナになるはずだった花婿は
花嫁が到着する前に、布将軍に兵舎にしょっ引いてもらった後、だ」

「───は?」

「花嫁がゆるゆる輿入れしてる道中、
一足早く布将軍自らお出迎えしてもらった、さ。

布将軍のあの強面に逆らえるものはいない、だろう。


私も、たまたま布将軍に同行していたのだが
今日は何でも大切な日とかで、本人がいないと格好がつかないというのでな。
…なら私が身代わりになろうと、引き受けてやった」

陛下は、悪戯っ子のように、ニッと笑った。

(たまたま?…陛下が? わざわざ、将軍直々、新米兵士の出迎え? )

「───はぁッ?

へーかのご身分を明かされたのですか?!」

「いや。ただ、あの絽長官のメンツと
せっかく準備した宴会料理を無駄にしないために
親切を申し出てやったまで、だ。

───たまたま年恰好が似てるから、
このゴテゴテした婚礼衣装ならバレナイだろう、と、ね」

陛下はギラギラした衣裳の端を引っ張って見せた。

(たまたま、年格好が似てる…?)

「おかげで、こんな可愛い花嫁も
───貰えたし…」

陛下は私の手を取ると、やさしく口づけをした。

「えぇ?」

「だって。誓いの杯も交わした、だろ?
───君は、本気で飲んでしまうし。

ときには、人に親切を施すものだ、な?
…なあ、そう思わないか?」

「へ、陛下…。
あの。それ…」


「…しかし。私でなかったら、
どうするつもりだったんだ。
酒など飲んで、身を任せたい、とは…?」

───私は真っ青になった。

「あの、その。
それは…
もう最終手段というか…
決意というか…」


「…ふうん?───じゃあ。とりあえず。
どんな相手でも、どんな行為でも、
君は受け入れる気だった───って
そういう、ことか?」

「…いえ、あの───」


「…とにかく。
今晩は───花婿と花嫁の大切な初夜であることだし…。
誓い合った私と共に過ごして貰おう、か」

「はあっ?───」

何を言い出すのか、この人は───。
まだ酔いの冷めない頭の中が、グルグルした。


ふと窓から外を見ると
馬車は王宮の門をくぐって入るところだった。

───王宮!?

戻っていいんですか? 私?!

(つづく)

身代わりの花(7)

身代わり花婿のふりをして、結婚式から夕鈴を奪取した陛下は…?


【バイト妃】

* * * * * * * * * *
身代わりの花(7)
* * * * * * * * * *
静かに馬車はいくつもの門をくぐりぬける。
王宮の奥の奥。
馬車を降りるときに、陛下の外套に包まれ、抱かれた。

「―――しずかにしていておくれ?」

重たいかんざしを抜いてもらい、髪をほどかれ頭痛はずいぶん和らいでいた。
陛下の腕に抱かれていると、なだらかに溶けてゆきそうな気分がした。
しかし、陛下も私も、まだぎらぎらとした婚礼衣装を身に着けている。
人目をさけ、静かに庭を抜け、陛下はお部屋に戻られた。

陛下のお部屋。
なんだか、ほっとした。

「静麗」と陛下が声をかける。

女官長さんが音も立てず現れた。

「…女官長、さん?」
「夕鈴様、お帰りなさいませ」
長椅子に下ろされ、陛下に優しく乱れた髪をなでられた。

陛下はご自分の装束を改めるため、バサバサとぎらぎらした婚礼衣装を脱ぎはじめた。
おもわず目を背け、ぎゅっとつぶった。

「これは、丁重に返したものかな?」
「畏まりました」
さっさと普段の室内着に着替えおわり、私の方を向くとそっと頬よせてつぶやいた。
「少々、待っていてくれ」

「静麗、妃をくれぐれも頼む。
誰にもしらせぬよう、―――内密に」
陛下はすっと部屋を抜けていかれた。

女官長はお湯をもってきて体をきれいにぬぐってくれる。
べとべとした安っぽい香油のにおいが和らぐと、だいぶすっきりした。
それから、いつもと変わらぬ様子で揃えてあった妃の夜着に袖を通すのを手伝ってくれ、櫛をとりやさしく髪をすいてくれた。

「女官長さん。私…もう妃では…」
私は、心の内を吐露した。

今日、わたしは…よその家に嫁いだのだ。

「何をおっしゃるのですか?」

「私は、ここにいるべきではないと…。
よそへ嫁ぐはずだったのです」
目じりが熱くなった。

「あなたはどこにも行ってはなりません。
あなたがお傍にいることを
―――あの方が、お望みなのですから」

「そう、なのでしょうか?
私はもういらないと。
新しいお妃様をお迎えになり、後宮は安泰だと…」

静麗女官長は、涼やかな目を少し困ったように細め、
小さく首を振った。

「…誰も、貴女様の代わりになど、
なることはできません」

「女官長さん…。
私は、ここに居てよいのでしょうか…?
あのお方の足かせとなり、苦しませてしまうのではと…」

「夕鈴様。
あの方にとって、貴女を失うことより大きな痛みは、
この世に存在いたしません」

「そんなことはあるはずが…

陛下…。あのお方は、お強い人です。

それに比べ、
私は、無力です―――。
そして、そんな無力な私が、
王の足枷となることは許されないのです…」

「お守りいたします。
この、わたくしが」

「―――え?」

「何に変えましても。あなた様をお守り申し上げます
ですから、
もう、お一人で悩まれますな。
あの方をお信じになって、
ずっと。お傍にいらしてくださいませ…」

「女官長さん…」

女官長さんにそういわれると、胸が熱くなって、泣き出してしまいそうだった。

「お酒は抜けたようですね…。頭痛はいたしませんか?」

「…あ、はい」

「陛下が秘伝のお薬を飲ませてくださったおかげでございましょう」
「え?―――あの、馬車の…あの、あれ、ってその―――お薬を飲ませてくれて…いたんですか?」
私は馬車の中で、冷たい水を口移しで飲まされながら受けたあの口づけのことを思わず思い出し、真っ赤になった。
「はて?
どのようにかは…わたくしは存じ上げません」
と女官長さんは生真面目に答えた。

「ひどく、おやつれに…」
女官長さんは、私の様子を苦にし、用意してあった滋養の付く食べ物飲み物を次々勧めてくれる。

(味が…苦い…です)
たぶん、女官長さん自らが用意してくれていたのだろう。
普段出される一流の料理人なり侍女さんたちなりの手によるものお味は、天下一品なのだけれども、
人の手を介さずに女官長さんが直接こっそりつくって出してくれる『滋養のつくもの』は、こういうことが起きる。

「―――ふふふ…」
不思議な苦さを口にしながら、ああ、ここに帰ってこられたと思った。

「今日は陛下にお守りいただき
どうか安らかに、ゆっくりとお休みくださいませ。」

静麗女官長のその白い顔に、
うっすらと冷たい微笑みが浮かんだことは、
私は気が付かなかった―――。

* * * * * * * * * *

真夜中になり、陛下はお戻りになった。
私に目を向けるなり、抱き上げ私を寝台へと伴った。


馬車の中での言葉が頭の中で思い返された。

『…とにかく。
今晩は───花婿と花嫁の大切な初夜であることだし…。
誓い合った私と共に過ごして貰おう、か』

ぶんぶんと頭を振って。
あれは、陛下のいつもの冗談だと思いたい。

「―――え…と。

もしかして。
あの?」

顔がカーッと赤らんだ。
もじもじしていると、

「夕鈴。正直に言う。
―――君は、狙われている」

「は?」

「君が私の唯一の弱点だ。
だから君を狙う手ごわい奴らがいるというのだ。

李順が君を王宮から急ぎ離れる様に仕向けたのも。
君とそっくりの替え玉を用意したのも。

―――すべて。
君の命を長らえさせるため、仕方なくとった方策だ。

狙われている君を、ここから遠ざけ、
何もしらず穏やかで幸せな人生を選ばせてやりたいという一心だったと思う」

「―――え?」

「でも、私は君と離れたくない…」

「陛下?」

「どんな手段をとっても。
何があっても。
君を護るから…

私から
離れていかないで…
お願いだから」

陛下は、私の胸に顔をうずめた。

肩が小刻みに揺れる陛下…
泣いている…?

「陛下…
わたし、ここに。

陛下のお傍に居ても、
いいんですか?

そんなこと、許されるんですか…?」

私も泣いた。


「―――居てくれ」

愛おしかった。

私は黒髪の頭を両手で抱きしめた。

「…陛下」




二人で過ごした夜に、私を護るために何がおきていたか。
私は何も知らなかった…


(つづく)

【お詫び】身代わりの花(7.5) の

2013-12-28 0時 更新

ブログはあくまで"日記"なのですが

公開しているために"公共の場"の一部、でもあります。


照れ隠しに軽口で書いた内容が、
読むお方のお気持ちを傷つける原因にもなるとも思わず
失礼があったとご指摘いただき
深く反省しています。


率直な気持ちを、あらためて日記として書かせていただきます。


---

そもそもこの記事でアップした内容というのは

(最初にお断りしておきますと、ブログ閲覧のみ、の皆様には大変恐縮ですが)

このところ続きで書いているお話の
本編の間の出来事の短いお話し「身代わりの花(7.5)」が存在する、という内容でした。


具体的には、それは
ここではない場所、
「白陽国SNS」という"狼陛下の花嫁"ファンのソーシャル・ネット・ワーキングのサイトで
かつ、
私と個人的なフレンド登録をした「白友さん」のみに限定の日記の中で
読める場所を、ご紹介をしています。



さまざまなブログや同人本があふれるなか、
青少年の目に触れてよい表現かどうかの基準が曖昧なまま公の場で公開されているものも多く見られます。

(表現する側、公開する側のモラルや意識の問題として)
いわゆる「鍵付き」(アダルト/成人指定)といわれる作品に、今回の作品が該当するか、というと

正直、今回の「身代わりの花(7.5)」は、それほどのものではありません。
し、
コミケや商業同人誌団体の基準的にも、「全年齢対象」のカテゴリーに収まる内容の範疇であり
「成人指定(R-18)」対象の作品ではないと判断しています。

ただし、私自身、青少年の眼に触れるのにふさわしい作品とは思いませんでしたし
青少年の眼に触れる場所での公開は選択すべきでないと判断しました。(自主規制)



また、読んでも、読まなくても本編の進行上、問題はありません。

だから「読んでも、読まなくても、各々の読み手さんの価値観にお任せしますよ」

―――という気持ち、ではあったのです。



ですが

「結局ここでよめないなら、知らされないほうがよかった」と思われたのであれば

―――不要な情報を思わせぶりな表現されただけで、シャットアウトされた―――

と受け止められたのであれば

居心地のよくないことだと、想いも至らず、本当に申し訳ありませんでした。




ただ、1) なぜ掲載するのか

2) なぜここではないところに掲載したのか、

そして、3) なぜ、それをここで告知するのか、

です。


1) 掲載した理由

自分のため書いた、というのは

黎翔と夕鈴の気持ちが、どんなふうに動いて
どんな時があったのか
第7話と第8話の間の連続性を維持するため必然であったため
書き残した、というのが正直なところです。


人に読んでいただきたい、というより、
「そんなことがあったらしいのね」 (かすみか雲か)
「なるほど、だから8話がね…、そうなんだ、フンフン」(自由な想像の翼を羽ばたかせ…)
と、自分で納得するためだけ、の短編です。


と表現したのは、
そういう行為が目的というより
心情を追いたかった。

けど、正直、照れくさいので―――。そういう軽い書き方にはなってしまいましたが、
決して読者の皆様を馬鹿にして、ではありません。

そこはお汲み取りいただければと思います。




2) なぜここではないところに掲載したのか、


R15(15歳未満の中学生以下の青少年の目に触れさせたくない)という内容の自主規制上の問題です。

お話上、私にとっては必然な流れでも、万人の目に触れる場にはそぐわないものを
考えなしに一方的にアップする行為で、万が一不快な思いをさせる方がいらしたら心が痛むので
自主的な規制を行っているというのが主な理由です。

こちらのブログのシステムで「鍵」とかよばれている代物は、私の希望する措置が取り得ない。

(ブログの鍵は、ヒントをあげる方法はググれば分かる単なる形式だけのザル。
個人的に直メールで問い合わせという方法は少々不自由)


そのため、
会員制のソーシャルネットワーキング(SNS)で
かつ、
個人的に交流のある白友さんに、
という流れでご紹介をいたしました。



3) なぜ、それをここで告知するのか

では、SNSの中だけで告知すればよいではないか。
こんなところに書いて、におわせる必要があるのか?

という件について
私自身の率直な気持ちをかかせてください。


自分で納得するためだけの作品であっても

その前後を公開しているという理由から、多々ご質問を受けるケースがあります。


「やっぱりそういうのがあったんですね」

「どうしたら読めますか」というお話になりますが、

「存在します」という肯定を隠すつもりはありません。



それについてご興味をもたれ、その先のチョイスはそれぞれの主観と価値観の問題なので、
「連載をしていた当ブログのほうでお知らせをする」という選択肢が不適切とは当初考えていませんでした。

もしも「狼陛下の花嫁」がお好きで、
SNSの公の場でもお知り合いとなっていただけるなら、私は嬉しいですし
安心してお読みいただけると信頼して、自宅に友達をお招きできるというものです。

(ハンドルネームですから、公の場、っていうのも
おかしな話ですね…。
しかし、少なくとも、こどもさんがまぎれる心配はありません)


狼陛下の花嫁ファンのお友達が増えることは、本当にとても嬉しいです。
どうぞ白陽国にご入国の上、「おりざ」を見つけて
お気軽に白友さんのお声がけください。


白陽国SNS
http://ohh.sns-park.com/


以上


うまく気持ちを伝えられず申し訳ありません。




大変失礼いたしました。(2013年12月28日 0時41分 更新)


*

身代わりの花(8)

結婚式の日に、身代わり花婿の陛下に奪取されて
王宮の国王の居室で一夜を過ごした二人。

【バイト妃】【朝チュン】【甘甘】【血なまぐささ少々】

* * * * * * * * * *
身代わりの花(8)
* * * * * * * * * *

目の前の白い敷布に散らばる私の髪に
その指を絡めながらさらさらと優しく毛先まで滑らしたかと思うと
こんどは一房すくい、口づけを落とす

手の中から名残惜し気に滑り落ちる毛先をじっと見つめながら
ふと遠くに視線を移す。

聞こえない音まで掬い上げる人知を超える万能を発揮し
世の中の気配を読んでいらっしゃるのか。
それとも
ただたんに
空が白む前からせっかちに起き出した鳥たちの様子に聞き耳を立てていらっしゃるのか…

―――そんな、気難しげな顔に見えた。

「…何を?」

―――そんなにむつかしいお顔をしているんですか?

「…目が醒めた?
起こしてしまったかな…
ごめん」

ちょっと甘えた小犬陛下の声がして、
ほっとした。

ごそごそ、と身動きをする。

…あ!?

カッ…と血が上る。

気が付かないうちに、私は陛下の寝間着を着せられていた。

ぶかぶかの大きな袖を手繰り寄せ、ようやく指先をのぞかせた。

どうりで、陛下の薫りがすると思ったら…

陛下はくすっと私を見て笑い、
額に口づけを落とした。

「…おはよう」

「―――あ、
あの。
おはようござい、ます…」
私は真っ赤になって、布団に顔を埋めた。

「―――夕鈴。色っぽい」

「え?
なっ なに、おっしゃるんですか!?」

「…人妻になると。
色気がでるな」
そういいながら陛下は私を抱きしめた。

「ひっ 人妻ぁっ!?」

じたばたあがいてみるが、
寝台に押し付ける様に縫いとめられた私は
陛下の重みで息もできず、陛下から逃れることはできなかった。

私が少しおとなしくなったのを見計らい、
体をずらし、布団をめくり本格的に仰向けの私の上に載ってくる!

首筋に顔を埋められる。
首筋の脈動が伝わって耳元でドクンドクンと音がする。

「あったかい。
もう少し、このままでいよう」

「重いです、陛下…」
私は照れくさくって。ちょっと拗ねたように呟く。

「ゴメン、重かった?!
―――苦しい?」
陛下は手をついて、押しつぶしていた胸を四つ這いにして遠ざけた。

私は陛下の首に両手を回し、しがみついた。

「いえ…幸せな重みです。
ずっと。一緒に居たいです」

「…甘えるのが、
ようやく上手になったね」

「…っ!」
私は思わず赤面して、への字口にまんまるな目で陛下を見つめてしまった。

陛下は笑って、チュッと私の唇に口づけた。

体をずらして、陛下がもう一度横になった。

フワっと陛下の薫りとともに
かすかな血のにおいがした。

「…血?」

「―――あ」
陛下が真っ赤になった。

「…なんです?」

「君の、私への誠意の証―――?」

陛下は手を私のおなかに手を当てて、よそをむいて俯いた。

「え?―――あ?」
慌ててガバと身を起こすと
体の下あたりの敷布に赤いシミが広がっていた

「…~~~~!!???」
月のモノでもきてしまったかと思わず下半身を固く引き寄せた。

「…初めて、だったんでしょ…?
―――ゴメン。


でも、
嬉しい」

陛下はそういって、私を胸に抱きしめた。

「…わ、私も
他の誰かじゃなくて。

陛下で……。

う、
―――嬉しい、です」

正視できずにギュッと目をつぶり、胸に顔を埋めた。

「…体は、大丈夫?」

「…あの。
―――はい」

「しばらく。
このまま。
こうしていてくれる?」

「陛下…!
お忘れですか?
今日は、大切な行事のご公務が…」

「私でなくとも…よかろう。

今、私でなければならないのは
契り合ったばかりの
新婚の花嫁の心を慰めることの方ではないか?」

「―――陛下っ!!」
お戯れを、…と怒って見せたけれど

陛下が私の両手首をひとまとめし私が身動きもできぬよう捕え
うっとりする口づけを何度も何度も落とすから…

いつの間にか私は何を怒っていたのかすら忘れてしまう始末だった。

* * * * * * * * * *

黎翔の脳裏には、
先ほど目の当たりにしてきた
血まみれの世界が広がっていた。

未明のうす暗い後宮の一室で
その惨劇は起き、
身代わりの花は散った。

その凶手の糸をたどり、王の忠実なる死神は王宮を離れた。


だけど、この手の中にはこのぬくもりがあるから…

何も言ってはいけない
悟らせてはならない。

君を不安になんてさせない。

今はただ、こうして抱きしめていられれば―――


(つづく)

身代わりの花(9)

みなさん、元気をわけてくれて。
ありがとう。


【バイト妃】【甘】

* * * * * * * * * *
身代わりの花(9)
* * * * * * * * * *

ただ抱きしめるだけでいい───

君という存在が私の腕の中に留まり
温もりを与えてくれる

そんな小さなことで、いい。

「もったいない…朝だな」

私は呟いた。

「もったいなのは、私のほうです!!」

ギュッと私の襟を握り締めて擦り寄る無力な兎から、トクトクと速い鼓動が伝わってくる。
白い皮膚の下を暖かい血潮が巡る生気にあふれた健康な頬を愛でる。
それこそが何にも代え難い宝───であるから。



悠久の平安を願いながら、
壊れるものをたくさんみてきた。

頂点に立つということは
瞬間も気を緩めることができない、ということだ。

古きは滅し、新しき萌芽をみる
───それが、世の習い


のぼりつめた頂点は緩やかな下り坂へと向かい、成したものは直ちに崩壊へ傾く。
───それが世の中の習いであれば。

『今の幸せは、ほんの始めなのだ』と信じたい。



「君を───守るから」

そう言って、囲った腕に力をこめる。

困ったように真っ赤になって。…君はいつまでも初々しい。

「でも。陛下。そろそろ起きてお支度をしませんと…
いつもなら空が白み始めるとともにご政務に罹られる陛下が、こんなにのんびりと御寝坊してはいけません!
誰も起こしに来ないんですか?
李順さんが来るんじゃないですか?

───あの。そういえば、女官長さんは…?」

「───静麗?
ああ…邪魔をせぬ様、用事を言いつけた」

「用事?!…ですか」

「ん…手間のかかる用件を頼んだ故、すぐには戻らぬだろう」

口づけをして、口を塞ぐ。

じたばたとも可愛くもがく。でも、今度は本気みたいだ…。
胸をぐいぐいと押されて、遠ざけられた。

「へ、へーかっ…! お、お色気で騙さないでください…!! ズルいです」

と、君は私をジッと睨む。
───あんまり、むくれた顔をするので、思わず笑ってしまう。

「私は、君の世話がしたいんだ」

「それこそ、そんな勿体ないことはダメです!!
貴方の手は、そんなつまらないことをするために在るのではありませんっ!!」

君に叱られてしまった。

「仕方がない、では起きるとするか」

「お召し替えに人をお呼びいたしましょうか…?」

私は衝立の傍に掛けてあったものを手に取り、さっさと身支度を始める。

「いや、構わぬ。
いやしかし、…妃の衣がないな」

ここまで着てきた婚礼衣装は女官長がきれいに片づけてしまって、見当たらなかった。
(…たとえ、あったとしても袖など通させないが)
着いた途端に着せられた妃の夜着が一枚あるだけ。

「とりあえず、夜着を身につけてます…」

「…では、私のを上から被ってみて?」

無理やり着せてみる。
ブカブカの男物の上衣を重ねた夕鈴は…超絶可愛い。

髪を結う道具がないので、静麗が昨日鏡台に置いていた櫛で元結だけ留める。

「まるで小姓、みたいだな」

「…こ、こんな! 国王陛下の衣を着た小姓なんて…!!」

「ふ…大丈夫。夕鈴は可愛いから」

抱きしめた彼女は華奢で、それがまた何とも愛おしかった。



* * * * * * * * * *

そのとき、
いきなり扉傍あたりから声がした。

「───陛下、宜しいですか」

(李順さんっ…!!?)と小さい悲鳴を上げ、夕鈴が真っ青になった。

こつこつと入ってくる。

黎翔は入り口の方へと顔を向けた。


拱手をして、李順は礼儀正しく頭を下げた。

「おはようございます、陛下」

「早いな、李順」

李順は乾いた笑いを顔に貼り付け、丁寧に述べた。

「早くはございません…むしろいつもより長くお待ち申し上げ、しびれを切らしましたよ」

不気味な李順の笑顔は、夕鈴を凍らせた。
夕鈴はそのまま、直立不動の棒立ちになってる。

その夕鈴の方を見ると、
李順は一瞬両目を閉じ、小さく『はぁ』とため息をついて
再び目をあけた。


「───連れ戻してしまったのですね」

それは、咎めるというより、
李順にしては珍しく、ホッとしたようなニュアンスを含んでいた。

「そういうことだ。
…後は頼む」

黎翔は、サラリと言う。

国王の衣に袖を通し立ちすくむ夕鈴を凝視しながら李順は押し黙った。


「───御意」

李順は短く答え、頭を下げた。


「さて。その件はまた改めて。
取り急ぎ、本日のご予定を。
例の件の事後処理の報告と、いくつかお急ぎのご政務を」

例の件、と言う言葉にも、黎翔は眉ひとつ動かさなかった。

血染めと化した後宮の夕鈴妃の一室の映像が浮かんだ。

黎翔の唯一の弱点である妃の命を手に納め、国王と有利な取引をもくろむ賊の一味が、昨夜後宮を急襲した。

しかしそこにいたのは身代わりの花。
替え玉の妃であること気づくや否や、賊は『用無し』と見なし、証拠隠滅のため女を惨殺した。

…遠目で見ればほとんど見分けがつかない妃を、替え玉だと見抜く。

それは───夕鈴と直接見識のある人間が一味の中に居ることを示唆していた。

女の華奢な身とはいえ、それを一刀両断にする大刀をやすやすと扱う体格、しかも相当の力がある。逃走も見事なものであった…。
…そして、王宮の中を良く知り、冷酷で、刃物や武器の扱いに慣れた人物。


「…お前は、私の蜜月に土足で踏みこむのか?」

「蜜月でもなんでも。まずは溜っているお仕事を片づけてからどうぞ───。
午後は行事へ。
戦場に於いて顕著な働きのあった将兵に対して授与される戦功章授与式及び茶話会へ、陛下と妃揃ってご臨席いただくご予定です」

「こんな時に、か───」

「このような時に、だからこそ。
陛下のお姿をお示しになることが必要なのでは───?」

お前たちには、屈しない───と。

李順のピンと緊張感が張りつめた声に、夕鈴は眉をひそめ、おもわず声を出してしまう。

「───何か、あるのですか?」

「いえ?」
李順は務めて平静に答える。

「もしかして。妃が狙われている、っていう…あの?」

夕鈴は、その身代わりの妃が既にこの世にないことを知らない。


「───だとしたら、私が参ります。
身代わりの方、とか、そんなの嫌です。
私のためにあの方を危険な目に合わせるわけにはまいりません」

「夕鈴殿。貴女がそんな心配をする必要は…」

李順が打ち消す。

「夕鈴、止せ───」

黎翔が大きな声を出す。

「───君は、ダメだ」

「なぜですか?」

───言えない。

軍部の将兵のなかに、テロリストの一味が要る可能性が高い、ということは。
恐らく今日の行事は妃を襲うのにまたとないねらい目なのだ。

しかしそれだけに一味が尻尾をだす可能性が高く、危険はともなうが、おとりを仕掛けるのにこれほどチャンスもなかった。


「…とにかく。妃は欠席だ」

黎翔は頑として夕鈴を危険にさらすことを拒んだ。

そこに李順が口をはさむ。

「軍医殿、看護婦らへの褒章の授与は? お妃様から賜られる予定の」

「誰の手からでも褒章にかわりはない、───よきにはからえ」
狼陛下の冷たい声。


「いえ、大切な行事なのですよね?
…私でお役に立てることなら、私、ちゃんと果たしたいです…
今もまだ───もう一度、私を妃として受け入れていただけるのなら。

それとも、もう私は妃としては、相応しくない、ですか…?」

「ふさわしくない?」

「私は、よその家に嫁ぐ約束をして…
だから、そんな私はもう
陛下のお傍には相応しくない、ですか?」


「───夕鈴。そういう言い方は、ズルい…」

「私は陛下のお役に立ちたいんです」

夕鈴はブカブカの上衣の袖を握り締めた。


李順が夕鈴に近づいた。

「…夕鈴殿」

「はい」


「───あなたは。

あなたは、たとえ自分の身に危険があると分かっていても───それでも。
この御方の妃として
…お傍に立てますか?」

「夕鈴───!」
黎翔は李順の言葉に被せ諌めるように短い声を

「はい。喜んで」

夕鈴は笑いながら即答した。

「…もう、慣れっこですよ。
ご心配なく。陛下のお役に立てるのなら、
私はなんだって頑張ります!」

「…夕鈴、ダメだ」

「いえ、やります。
───やらせてください
陛下の妃を…!」


「君は
…私の妃で
いいの?」


「自分だけ安全なところにいて。
誰かを陛下の妃の身代わりにして、危ない目に合わせるなんて、
私は───嫌です」

夕鈴があまりにも真剣に黎翔を見つめるものだから
黎翔は最後には渋々と受け入れるしかなかった。


「夕鈴。
今の約束」

「───はい?」

「私の妃に。
…傍に立つと、と
今、言ったね?」


「…え? あの
お仕事、ですよね?」

夕鈴はこれまで通り、バイト妃の仕事とは、陛下の縁談よけと、おとりの役であると、十分わきまえていた。


「妃の仕事。
───本気でやれる?」


「本気です!!」

(もう、どうしてそんなにしつこく確認するんですか!?
これまで通り私がバイト妃に入るのが、そんなにおかしいですか?)
と夕鈴は内心いぶかしく思った。


「では。
夕鈴、お前に命じる。

───私の妃として、
とこしえに、傍に在れ」


李順は静かにその言葉を聴き終わると、
厳かな礼をとった。


「え? 陛下…?
妃って…あの、妃?」


「───夕鈴。
きみが、私の正妃だ。

───決して、先に逝くことは許さない。
私のためにだけに
私の傍に。

誓ってくれ。───約束だ」



そういって黎翔は、夕鈴を抱きしめた。




(つづく)

身代わりの花(10)

陛下のために、危険と知りつつ行事へ出席するという夕鈴…

【バイト妃】【甘】【※暴力シーンあり注意】

* * * * * * * * * *
身代わりの花(10)
* * * * * * * * * *

「陛下! さっさと執務室のほうへ」

李順さんに急かされてもグズグズと陛下はしばらく部屋に居座った。

「必要があるものは、ここへもってこい」と言い出す始末。

お忙しいのだから、効率の良い執務室へ行かれたほうが良いはずなのに…。

陛下のブカブカのお召し物を無理やり着付けている私は、袖をたくし上げタスキを掛けた。
筆を整え、料紙を揃える。黒々と丹念に墨をする。

「…うん。こんなふうに夕鈴がいてくれれば
こちらのほうがずっと仕事がはかどる」

「―――そんなはずは、ありませんっ!!
陛下の周りにいらっしゃるのは、有能な方ばかり。
私など、足元にも及びません」

「…彼らは有能だが。
───私への愛情がこもった君の手に勝るものはない」

と言いながら、料紙の束を差し出した私の手を陛下はやすやすと捉える。
あっという間に引き寄せられた。

あごに軽く指を添えると、ちゅっと口づけをされてしまった。

(り…李順さの前でっ!?)

ゴロゴロ喉をならす猫のようにすり寄り、甘える陛下のまつ毛を見つめながら、実のところ私は動揺しまくっていた。


…李順さんがコホンと咳をする。

「…陛下。
お手は止められませんように」


「───李順。
私たちは新婚で。
しかも、いままさに幸せな蜜月なのだぞ?」


「あー! もー! ですからっ!!
新婚でも、蜜月でも!!
陛下の代わりはおりませんっ!!
蜜月が欲しければ、さっさとお仕事お片付けくださいっ!!」

陛下は何食わぬ様子で、書類をかきまぜ鷹揚に何食わぬ顔をしていらっしゃる。

「…資料が足りぬ。
…突き合わせねば」

「ですから、執務室のほうへ!」

「夕鈴を独りにはしては、寂しかろう」

憮然とした表情の陛下と李順さんをハラハラしながら交互に見つめているとき、カタリと音がして衝立の向こうの控えの間へ続く扉の陰から声した。

「…畏れながら。静麗、ただいま戻りました」

「ご苦労。入れ」

「おそれながら、ご報告を…」

女官長さんは陛下のお傍で小さな声で手短に申し述べた。
会話はほとんどが聞き取れない。
またわずかに聞き取れた言葉も、意味をなしていなかった。

…これって、暗号符牒?
何を言っているのかさっぱりわからない。

私の前では話せないような内容ですか…?

「詳しくは
―――後ほど」

「うむ」

女官長さんは美しいまつ毛を伏せている。
白い顔がいつもより白く見えた。

静麗女官長は、なんのお使いをされたのかしら…と思ったけれど、
陛下のご用事だけに、不用意に口もできない。

「取り急ぎ、お妃様のお召し物をご用意し、お持ちいたしました」

女官長さんは一式の箱をささげ持って恭しく頭を下げた。

「…助かる」

「この後は、お任せくださいませ」

「うむ」

「妃は着替えか―――。
女の身支度には時間がかかるもの…
仕方がない、執務室へ参る」

観念した陛下は李順さんに急げ急げとせかされた。


「…私のために、最高の装いをしておくれ?」

ようやく重い腰をあげた陛下は、私を抱きしめ、最後まで甘い表情で口づけを贈った。

「女官長。念入りに、な?」

「御意」

「夕鈴。
ここにいることは、まだ
誰にも知られてはいけないよ?

私がもどるまで、
おとなしくここで待って居てくれ」

「…はい」

その視線は…?

私がまたどこかへ飛びだすと、心配してるんですか?


「―――心配性な陛下。
大切な陛下のお仕事が終わるまで、
私はここで、おとなしく待っておりますから。
安心してお励みくださいませ」

そういって笑って胸を押し出した。

ギュッと抱きしめられた。
そのあと肩を押すように二人の間に距離を取ると、
陛下は微笑んだあと、くるりと振り返り、李順さんを連れて執務室へと歩み始めた。


「…李順? 至急、布英将軍に呼び出しを」

「…は」

―――ほら。
もう、お仕事のお顔をなさっていらっしゃる。

大丈夫。
陛下は、妃なんかで大切なことをお忘れになったりはしない。


狼陛下の厳しい横顔に、胸がキュッと締め付けられた。
その背中をお見送りしながら。

誉れ高き我らが王――― 私の夫、をお見送りした。


ご自身に厳しく、国のために身を尽くすこのお方を、心からお支え申し上げたいと、改めて私は心に刻んだのだった。


* * * * * * * * * *

女官長さんと二人きりになると、さっそくいつものように支度にとりかかる。

続きの間にたらい湯を用意され湯あみをする。

「お美しく…なられましたね。
おめでとうございます」

女官長にそうつぶやかれ、なんだか気恥ずかしかった。

さっぽりとしたところで髪を結われ、お化粧、着付けとすすむ。
いつもなら補助の女官や侍女さんたちがつくのに、今日は女官長一人だけ。

「私が王宮に戻ったことは、―――内密、なのですか?」
髪を梳かれながら、女官長さんに尋ねた。

「…」

女官長さんはいつものように笑っているが質問には答えてくれなかった。


不用意に答えられない、ということは
肯定、と思ってよいのかしらね?

…ふと、血のにおいを感じた。
鏡越しに女官長さんを見つめる。

「女官長さん?
…襟元の、その包帯、は?」

女官長は、官服の襟の下の首あたりに白い包帯を巻いていた。

「…どうされたのですか?
―――っ 首をけがされる、など」

「いえ、大したことはございません」

血の匂いが…。
もしかして、まだ、血が止まらないのでは?
他にもどこかお怪我なさっていませんか、もしかして」


女官長さんは少し困ったようなそぶり。

「…何か、あったのですか?」

「…」

「だったら、無理せず、私のことは良いですから!!
陛下のご用事で、お休みになっていらっしゃらないのでは?」

「夕鈴様。
わたくしにとって、
貴女様のお世話をする以上の
安らぎはございません。
貴女様のお優しさに触れる度、
静麗は幸せを分けていただいておりますよ」

そういって、女官長さんは決して手を休めることはしなかった。


女官長さんは、傷ついている。


―――何でもないふりをして、今も血を流している。

どうして?


…きっと。

みんなが私を大切にかばっているのね―――?

何かが起きている。

だから、陛下なあんなにも心配を…?


嫌な予感は増すばかりだったが、
苦にしていないと。顔に出さないよう。
女官長さんを、心配させたら、―――だめ。


* * * * * * * * * *

昼餉を取るや否や馬車に揺られ、式典会場へと向かう。

「会場では決して私のそばを離れないように」

「君は狙われているかもしれない」

「万が一捕らわれても、抵抗してはいけない」

「相手は、冷酷無比なテロリストの集団だ…決して命を粗末にしないように」

「―――いい? 分かった?
聞いてる、夕鈴?」

「…はい」
私はため息をついた。

狭い馬車の中で、陛下の膝の上で
…先ほどから陛下は心配そうに
何度も同じことを繰り返す。

「大丈夫です
おとり役には、私慣れていますよ?
―――任せてください」

にっこりと笑ってみせる。


でも。後になって。
私はやっぱり、ことの深刻さをよく理解していなかったと、後悔することになるのだった―――。


* * * * * * * * * *


目の前の光景に、私は茫然とした。


大勢の人が無差別に切り付けられた。

辺りは血の海だった。

私の喉元には、今まさに白刃が食い込み、埋まろうとしていた。
背後の男の手は容赦なく、ものすごい力で私の口を塞いだ。




―――それは
戦場に於いて顕著な働きのあった将兵に対する戦功章授与式。

ずらりと正装し、立派な出で立ちで晴れの日を迎えた将校たち。
並ぶ面々は、晴れがましくも勇ましく、各人の武勲をたたえ、陛下御自ら次々に褒章をお与えになった。

私は医療分野で顕著な働きを示してくださった方々に感謝を述べた。

戦場で傷ついた兵士の命を救い、傷をいやし、命を賭して最前線を支えた軍医殿や看護婦の皆さんにそのお働きを称え、褒章をお渡ししていた。

そこまでは、よかった、はず…。
それなのに、どうして―――?



私のそばには女官長さんが付いていた。

陛下も、すぐお近くにいらした。

でも、魔の手は一瞬で私を捕らえた。



式典の途中、不穏な動きは不意に始まった。

いきなり数人の将校が刀の鞘を払い、両隣の屈強の武功者に切り付けた。
ハッと目を奪われた瞬間、私の背後には人がいた。

口を塞がれた。

私は思いっきり、私の口を塞いでいた男の手を噛んだ。

「この…!!」

男は私の後頭部を殴った。
思いもよらぬ衝撃。
痛みが後からガンガンと頭の中を占めた。

刃物をちらつかせ、私の頸にあてる。

「…おっと、近づくな?
近づいたら、殺すぜ―――」

周りの者は凍り付いた。

私は背後の男に脅されているのみならず、

ハッと見回すと二人の射手が弓を引き絞り私を狙っていた。そしておそらく背後にも。

矢を持った男たちの的にされていて、身動き一つできなかった。

ただ、陛下の燃えるような怒りに染まった眼が―――脳裏に焼き付いた。


『ああ、陛下。そんな恐ろしいお顔をなさって―――』

私は悲しかった。


「お前が、本当の妃、だな?
―――偽物ではなく」

「だったら、どうだというの?
…私は逃げも隠れもしないわ。

でも、おあいにくさま。
妃の代わりなど、いくらでもいるわ

だから…私を人質にとったところで無意味なこと。

陛下は冷酷で、恐ろしいお方です!
こんな無謀で恐ろしいことは一刻早く止めて―――…」

私はもう一度固いもので殴られた。

目から火花が散った。
あまりの痛みにクラクラし思わず足元がふらついた。

目が回っている間に顔に黒っぽい布を巻きつけられた。

「逃げ出そうと思うなよ?
俺たちは、いつでもお前を殺してかまわないのだから」

と言って、私の腕を縛り上げた。

「陛下…!!
私のことは構わず
賊を…
捕らえてくださいっ…!!」

「口の減らない女だ…」
今度は猿轡をかまされる。
うーうー唸ることはできても、もう言葉として意味をなさなかった。


刃物を頸へ押し付けられる感触がした

「やめろ―――!」

陛下のお声。
黒い布で目を塞がれ、もう陛下のお顔は見えない―――



どうか、怒らないで、陛下。

おねがいだから―――。



(つづく)

━━━━━━━━━━━━━
<休載のおしらせ>

今日から年末年始を主人の実家にて過ごしてきます。

環境的に長いものは少々むつかしく
連載中のお話しが年をまたぐのは心残りではありますが、
帰省から戻ったら再開しますので
もしよかったら待っていてくださいm(_ _)m

皆様、幸せな年末年始をお過ごしください。

おりざ
━━━━━━━━━━━━━

身代わりの花(11)

あけおめ連載再開。年を越してお待たせいたしました。
時は少々遡り、夕鈴の身代わり妃が後宮に納められたその日の様子は…

【バイト妃】【侍女目線】

* * * * * * * * * *
身代わりの花(11)
* * * * * * * * * *

───話は少し遡る。

夕鈴が李順から暇を出された日。

李順は『陛下の唯一の花』を、背格好が似ている貴族の娘とすり替えた。



身代わりとなり『夕鈴』と名乗ることになった娘は、
衣装や化粧を似せたうえで遠目に見れば、
違いがわからない程度には似ていた。

身代わりの花が後宮に入ったその日、
李順から事情を知らされていた静麗女官長以外ただ一人を除き
後宮に仕える数少ない『夕鈴妃付き』女官と侍女は直接「お妃様」と接することはなかった。

女官長の部下にあたる二人の女官うちの一人はたまたま肉親の忌事で一週間ほどの宿下りを願い出ており、もうひとりの女官は女官長から使いで侍女一人を伴い霊験あらたかな札を戴きに山寺へと向かっていた。侍女の一人は少し前に結婚するため退宮し「他に十分慣れた者がいるから不都合があるまではゆっくり人選すればよいでしょう」とまだ後釜が補充されていなかった。

一人残った小燕と呼ばれる侍女は、夕鈴妃付の者の中では一番地位が低かった。

普段直接夕鈴と言葉を交わす地位になく、主には夕鈴様付の女官の補佐、下働きとして勤めていたので、妃と同じ部屋に侍るときは不敬に当たらぬよう畏まり常に床ばかりを見つめていた。

『今日に限って先輩方の他出が重なり出払ってしまったから。
夕鈴妃付部屋の担当は自分だけ…』

小燕はいつにもまして緊張をしていた。

他所の部署から、位の高い小嬌という名の女官が一名、夕様付きの交代要員として回されてきた。小嬌は普段と勝手が違うため、夕鈴妃付きとしての現場経験は小燕の方が上だった。
更に自分の下に見習い侍女を補充されると聞けば自分もついに先輩役であるし、
一番偉い女官長様から直接采配を受けると知れば
『女官長様のお眼鏡にかなうよう頑張らなくては』と張り切る小燕であった。


───夕鈴様のお着替えの際は、交代要員の女官小嬌さんのお手伝いをして帯を取る。
───夕鈴様のお食事を卓までは上げ下げするお手伝いをする。
───夕鈴様が沐浴をする間、女官長様や小嬌さんの補助をするお役目をして、香油をたっぷりとその身体に塗りこめる…。


小燕は夕鈴妃の間近に仕えることに興奮しつつも、やはり声ひとつ出せず緊張をしていた。

いつもは同じお部屋の中にお傍近くに仕えながらも、直接のやりとりは間に必ず高位の先輩方が入っていた。

ところが小燕は今日ばかりは晴れがましくも夕鈴様の『一の傍付き』である。
大出世したような晴れがましさ。

小燕はすぐ傍らで妃の尊顔を拝し奉り「夕鈴様の優雅さ」をうっとりと見つめていた。


(本日の夕鈴様は大変ご機嫌麗しく
立ち居振る舞いおしとやかで、大変お静かにお過ごしだね。
良いことでもおありだったのかしら…。

ただ…大変珍しいことに───ご自分でお化粧の具合や髪の結い方などをいろいろと試しておいでだわ…?
先輩方がいらしたらさぞ熱心にお世話されただろうに、残念なこと───)
と、小燕は思った。

───というのも、普段妃は自分の身の回りを構いたがらず、華美を戒め切り詰めたつつましやか暮らしをモットーとしているのだ。
いつも直接お身の回りのお世話をなさる先輩方が『髪も化粧は抑えて』『新しい衣や装飾品はまた今度』と言われた『映える御方ですのに。もっともっと美しく着飾っていただきたいのに…』と残念そうに話しているのを小燕は耳にしていた。


その日の午後いっぱい、妃はあれこれお化粧品の蓋をあけ色味を確かめたり、髪をゆい直させたり、かんざしを挿したり抜いたりした挙句、最終的には「…お約束ですから、一番最初の結い方に戻してくださいな」とおっしゃり、地味なお化粧と髪型に戻されため息をついて鏡台からお離れになった。

(おやくそく…?)
───小燕はその言葉にひっかかり、不思議に思った。

『もしかしたら高貴なる御方と、何かお約束でもされていらっしゃるのかしら』と野次馬根性がむくむくと沸いたが、そこはつとめて不敬に当たらぬよう、聞いて聞かぬふりをしてやり過ごした。


* * * * * * * * * *

夜の帳が下りる頃。

妃の身支度を整え、
お茶とお菓子の用意をしたうえ、
何事も常日頃と変わらぬよう細心の注意を払い、万全のお出迎えで備える。


さほどしないうち、いつものように高貴なる御方が現れた。


小燕は感動していた。
『いつも端の端で、顔を伏せていてさえ甘く睦まじいご様子のお二人を、このように間近に』…と思えば、今度は『さぞお幸せなご様子に当てられてしまうのでは?』と想像をしてしまう。

もし国王ご夫妻の熱愛ぶりに動揺し、万が一にも声をあげてしまったり顔を酷く赤らてしまったらさぞご不敬に当るだろうと『今日は侍女の分際をわきまえ平静に冷静に心を穏やかに保てますように』と小燕は心から自分を律し、何があっても動揺しない自分でいようと覚悟をしていた。


* * * * * * * * * *


シャララ…と払われた幕に付いた鈴の音が涼やかに響き
王の訪いを告げる。


「お帰りなさいませ」
「お帰りなさいませ」
静麗女官長と小嬌女官が入口で出迎える。


「…」

高貴なる御方は、後宮の室に足を踏み込むや否や、はた、と足を踏みとどめられた。


妃の傍に控える小燕は、妃の様子をそっと伺った。

いつもなら恥じらいつつも、それはそれは嬉しそうに明るく出迎える妃。
その妃の笑顔に厳格な王の雰囲気もたちどころに和らぐのだ…

だが、今日は───?


「陛下、お帰りをお待ち申し上げておりました」

国王陛下を出迎えた妃はいつになく緊張の面持ちで固い表情と声。
そのくせ、いつもより鼻に抜けた甘ったるい───媚びた作り声のように、小燕には聞こえた。

(───いつも愛らしく気さくなあの夕鈴様が…。
裏返ったこの変なつくり声…? いったいどうされたのかしら?
それとも前からこんな風に鼻にかかったお声だった?

もしかして、お風邪でも引かれた、とか?!

もしそうなら、お世話が行き届かず体調管理が悪かったと、後で罰せられやしないかしら…)

小燕は跪拝を取りながらハラハラしていた。


王は相変わらず入口で立ち止まったまま、奥へ進もうとしない。

「…」


堪らなく恐ろしい沈黙があたりを支配した。


「…静麗」

「───は」

酷薄な狼陛下の声───。

陛下は女官長様をお呼びになった。
女官長さまは跪拝したまま、一歩前にいざり出る。

周囲の者は誰一人として、怖ろしくて顔をあげることができない。


「妃に何か?」

「本日はお妃様に置かれましてはつつがなく。
ご機嫌麗しくお過ごしでございました」

陛下がジロリと女官長を睨んだ。

そこには巷で噂通りの『無慈悲かつ冷酷無比なる狼陛下』がいた。

普段後宮の夕鈴様の元を訪れるときにはほとんど見ることもなく、
それゆえ突然の狼陛下の出現に、小燕は背筋が凍った。

妃も凍りついた。
その場にいた誰も彼もが青ざめ、動けなかった。

───小燕は、息が詰まって倒れるかと思った。



長い無言が続いた。

───狼陛下。が
お怒りになっていらっしゃる───!?

それはほんの短い寸刻でありながら、
凍りついた大地に縛り付けられ
永遠に吹雪きになぶられ続けるような心地がした。


何も言わぬうちに王はくるりと踵を返し
後宮を後にした。




王が去った後、
あまりのことに呆然と立ちすくんでいた妃は
「ヒック」としゃっくりのような変な呼吸をしてようやく息を吹き返した。

そしてその途端、その美しい両瞳には大粒の涙があふれ出し
「…いったい、どういうことでございましょうか?」
と、シクシクと泣き声をあげられた。


(もしかして何か小さな不備でも?
いつもの通り、万全のお茶のお支度を整えたつもりだったけれども、
陛下は何かお気づきだったのかしら…

それとも、いつもと違う私が傍仕えなどしていて、
お気に召さない点でもあったとか?)

と、
真っ青になって震えている小燕も、その傷心を隠せなかった。




(つづく)


この辺りは、
身代わりの花(4) 

のバックグラウンドのお話です。

*

身代わりの花(12)

身代わりの花が襲撃されたその時…
女官長目線で。

【バイト妃】【女官長目線】【流血あり※残酷シーン注意】


* * * * * * * * * *
身代わりの花(12)
* * * * * * * * * *

その昔、
白陽国王家の闇で暗躍した不世出の暗殺者
伝説の死神、リーリーは
一里四方の気配を感じ取る、と言われていた。

彼女を見たものは必ず死の国へと旅立ち
『死神をその眼で見たという証人は
一人として生者の世に存在していない』と語り継がれた。

最早それも先々代の国王の時代の話であり
時代は移り、死神伝説は人々の心の片隅にただ澱のように微かに残っているだけだった。

だが今なお、俗界で不可思議な事件があれば
『新月の闇夜にはリーリーの幽霊がさまよい出る』とまことしやかに噂される。

果たして、リーリーという化け物が本当に存在したのか、
どう生きて、いつ死んだのか―――

誰もその存在について、知り得ることはなかった…。


* * * * * * * * * *

夕鈴さまのお命を優先された
李順様の判断は理解できる。

李順様はご存じない。

“私”という存在がいることを。

『最後の手段』は既知のものではありえない。
最後のその時のため、伏せた札は…たとえ身内にすら、晒すことはない。

今知る限りのこの状況で、
夕鈴様が後宮で生き残る確率は本当にわずかだろう。

だが―――?

伏せた札。
そのような札がこの世に存在することすら、知られない。

毒となれ薬となれ
それが保身の最終手段というものだ。




宵闇に紛れ、静かに一つの門が開けられた。

普段尊いお方が出入りする門にあらず。

しかし幾つかの隔壁を通り抜け呪文を編むように馬車を進ませ
禁裏の内の内、奥の奥に至る。

それは忍びでお出ましのあの高貴なるお方が
やむを得ず馬車でお戻りになる時の作法だ。

…とは、あの方お一人の身軽な態ではなく
馬車が必要な荷物があるということに他ならない。

そこまでして禁裏の奥に運び込む『荷物』が何であるか。
分からぬようであらば女官長のお役目は返上いたしましょう。

すり替えられた偽夕鈴様をひと目ご覧になるや、嵐のような怒りを振りまいたあのお方。
その、昨日の今日のこと…。

それは、あの方の手の中にある最も貴重な存在で、
―――もっとも儚い命に他ならない。

小燕や小嬌に気づかれないよう、お妃様の夜着を一枚と、櫛を一枚だけ、そっと持ち出す。

「小嬌、わたくしは暫く李順様のところへ行ってまいります。
お妃様のお世話をくれぐれもよろしくお願いいたしますよ?」
と言い残し、
夕鈴様のお戻りになるあの方のお部屋へと急いだ。


* * * * * * * * * *

人の世は常に
人の夢を汚し、破壊し、打ち砕こうと
凶悪な牙をむき出しにする


この世に心を分ける存在を作ることは
己の命を削るに等しい。

あのお方は

それを知っているからこそ
幼いころから孤独に耐え

それを知っているからこそ
傍らの存在に気が付いた


魂が引き合う存在をこの世で引き裂くことは
不幸でしかない。
たとえ身体だけ生きながらえたとしても
それは、―――魂の死を意味する

だから、黎翔様は
決して、夕鈴様を
その御手から
放してはならない

それは祈りにも似た悲痛な魂の叫びのよう。


龍は掌中に如意宝珠を握り締め
天に上る霊力を得る。

龍の宝珠は
あらゆる幸運と運気を招き寄せる原動力となる。

王は龍
彼女は龍珠

夕鈴様が国王と伴に在ることこそが
白陽国にとっての最上で、最強、最大の守りの呪文に等しい



白き光の世に降りそそぐ、あたたかな祝福の源を

私は命に代えても、
お守りいたしましょう。

それが闇に生まれた、この私の使命。


* * * * * * * * * *

真夜中に主上は自室にお戻りになり
夕鈴様をその手へ託した


この夜は、危うい

私には後宮を固める役目が生まれた


警告が点滅するこのビジョンは、どうにも言葉で説明しがたく
人に話したこともない。
だからこそ私の眼は一里を見るといわれるのであろう。

大気の底に、ゆうるりと闇の気が流れこみ
悪意へと羽化する時は近い

だれがだれの身代わりであろうと
何がどう動こうと。

私の中の使命は一つだけ。
まことに明快だ。

主上を、その魂を護る。


夜半に後宮へ戻る。

妃は昨日の国王の仕打ちをぶつぶつと愚痴り続けた。
今日は、主の訪れすらなく失意を悪意へとすり替える。
妃の衣装棚、宝飾品、化粧道具に香油…。
高価な香を炉に惜しげもなくくべ、し尽せるだけの贅沢をした。

小燕は人が変わったような『夕鈴様』に一日中振り回され、疲れ切っていた。

うつらうつら船をこぎながら妃の寝室に侍る小燕
私は彼女に声をかけ、妃の番の交代を申し出る。

「お前も今日はさぞ疲れたでしょう、奥の、お前の部屋でぐっすりお休み」
「…でも女官長様。奥では、何かございましたとき駆けつけることができません」
「気にせず、疲れをお取りなさい」

そう申し伝えたのに。

小燕は突如降って沸いた『一の侍女』という栄誉を捨てきれない。

役目に気負い、妃部屋に続く付き人の間の隅で仮眠を取ろうとする。
それが命取りであると伝えたくとも、私にはそうすべき理由がなかった。
人の良い可愛い娘であったのに…。
それ以上の感傷は私には生まれることもない。


闇は、私にとって優しいひと時の休息をもたらす。


私の体は寝ていても精神は起きている。

夜陰に乗じて紛れ込む賊の気配が濃密に漂い始めた。

そろそろなのかと、いつしか体は準備を整え始める。
呼吸が自然と身体中に気をめぐらし、肉体の隅々を賦活化させてゆく。

冷たい体は動かない
賊はそこを狙う。

窓から侵入してきた。
浩大の手下が何人か傷ついている。
人数が多い…。

五名…。
内、三人はかなりの腕前、その内の一人は別格だ
二人は見張りか…。


男たちは妃の寝ている寝台へ、迷わず近づく。
灯に火をつけ、照らされた室内に、初めて驚いたように私は動く。

物音に気が付き、寝ぼけ眼の小燕はすっとんで駆けつけた。

妃はすぐに捕らえられた。

声を上げる前にさるぐつわを噛まされ、手足を縛られる。

「女官長様、女官長様…」と私にすがる無力な小燕。

奥の自室の布団にくるまり、物音に気付くことなくぐっすり寝ておればよかったものを…。
哀れなお前に、私は手を握ってやることしかできない。


―――見届けなければならない。
それが私の仕事。

光に映し出された恐怖にゆがむ白い顔。
まぶしそうに妃は目を細めた。

賊は、妃の顔を改めている。

「―――違う」

一言。

「我々の顔を見られた…殺れ」

ほう…そうか。
お前は妃の顔をよく知る者―――なのだな。
暗闇の中、顔を頭巾で目鼻以外を覆っていながら、そこまで念を入れるは。

小燕が恐ろしさのあまり、私の手を離し、逃げ出した。
賊の網が無力な侍女を逃がすわけがない。


ガタガタと震えながら、暴れる妃の目の前で
まず侍女が背中から切られ命を落とし

発狂寸前の妃は、顔改めをした男のその手によって
真っ二つに体を裂かれた。

部屋中が赤く染めあげられる。

私は見極めたうえで、手練れを避けた。
若いと思われる見張り役の二人のほうへ、隙をついて逃げ出すふりをした。

人を切ったことがあるのかどうだか怪しい程度の
練習台にこの身を預けるのは不本意だが仕方がない

見張りの二人のうち、より血を見て興奮し我を忘れている方
―――端の男を狙う。
手には抜身の大刀を持っている。

「…おおっと、逃げられると思うなよ?―――」
「お偉い女官殿か…? 見られたからには命はねえぜ」

頸に刃物を当てられる。
チリ…と痛みが走り、首筋にプツリと赤い玉が浮いた感覚はやがて首筋を伝って襟を暖かく濡らした。

興奮し異様にギラギラした目で、口から泡を飛ばしながら、大刀に両手を添えて私に向けた。

―――お前、人など切ったこともないだろう。
その安っぽいブザマな刀はなんだ。手入れくらいは―――しろ。

泣き叫ぶ無力な女子供をなぶり、刀のさびにする喜びに、今だけせいぜい浸れ。

「あれ… 命だけはお助けを…」

顔を覆い袖を振り回し…

私は刃物の入ってくる軌跡を正確に予測する。
刃の位置は、目に見えずとも風が教えてくれる。
合わせて体をひねりこみ一番の急所をはずさせ―――切られてやろう。

手練れ相手にこのような演技でだませるかは危ういが
…この男なら、急所に決めたかどうかの…手ごたえすらわかるまい。

倒れるふりをし、血だまりに沈む。

息は静かに途切れ、気を消してゆく。

肺も脈も…その気配を消し、普段の何十倍もゆったりと浅く…
切り離す。


そんな瞬間はたくさん見てきた
今まで何百何千としてきた作業だ…

トドメの刃を頭に打ち込まれたら、私とて、最期だがな…


だが、浩大が追い打ちをかけてくれる。

…ほらみろ。
長居をするものではないぞ


お前たちは、ここから逃げ出すのだ。

暗闇で何も見えぬと思うな。
私には見えるのだ。


糸は―――しかと結びつけた。



(つづく)



この辺りは、
身代わりの花(7) 

のバックグラウンドのお話です。

*

身代わりの花(13)

人質にとられた夕鈴を眼前に、黎翔は…?

いよいよ、物語が動きはじめます。


【バイト妃】【※暴力シーン※乱闘、流血あり。ご注意ください】


* * * * * * * * * *
身代わりの花(13)
* * * * * * * * * *

居並ぶは戦場に於いて顕著な働きのあった将兵。

正装し誇らしくも晴れ晴れと、武勲をたたえられ
時の国王珀黎翔より褒章が下される。

その、戦功章授与の式典会場はいきなり血と恐怖に支配された───。

反体制側と思われる一味が暴力的手段で蜂起した。

その一人は、今しがた陛下御自ら武勲を授けたばかりの鄧朗は衛将軍職まで上った男だった。反対勢力に組みする将校数人が同時に刃を抜いた。


『正面から立ち向っても、あの国王は喰えぬ男───

ならば、狙うは国王の唯一の弱点。
こちらの要求を通すために、なんとしても妃を手に入れろ』

それが彼らに与えられた最大の任務だった。


怒りに燃える赤い瞳で、珀黎翔は目の前の男を睨みつけた。

「───妃を、離せ。

鄧朗(とうろう)、衛将軍」

国王はことさらに衛将軍、と強調して呼びかけ
今ならまだ引き返せるぞ、と言外に譲歩を示した。

「断る」

鄧朗は、即答した。

黎翔は、やむなしと愛剣を振りかざした。
だが、その刀は振り下ろされることがない。

というのも、
鄧朗が妃の首に刃物をあて、盾にしているからだ。

妃の足元には、妃付きの女官がうずくまっている。

妃は轡を掛けられ叫ぶこともできず、目隠しをされ視界を奪われた上
三方から射手が弓で彼女を的にしていた。

鄧朗は動かない。

鄧朗がコクリと呑みこむ音すら会場に響きわたるほど
お互いの心臓の鼓動が聞こえる気がするほど、会場はシンと静まりかえっている。

黎翔も動けない。

同時に四人の賊を倒すのは非常に困難であり
一人を倒す間に夕鈴は刃に貫かれる。

しかも、この会場にいる人間、一人ひとりの誰が白なのか黒なのか。
───他にどれほどの反対勢力派が潜んでいるのか

黎翔は、極力言葉での交渉を優先させた。

厳かな腹から出した低い声で、黎翔は鄧朗に最後のチャンスを与えた。

「もう一度だけ言う。
───鄧朗。

妃を、離せ」

「我々の要求を受け入れる気があるのか?」

「───要求とは、何だ?」

鄧朗は、獄に繋がれている政治犯、腐敗政治の時代に甘い汁を吸いつくした大物の名を筆頭に挙げ、彼らの釈放をまず要求した。組する将校がリストを持ち、次々と釈放を要求する十三名の名を読み上げた。
鄧朗は次に身柄拘束中のテロリストの名を挙げた。将校は続いて二十一名の凶悪犯の名を読み上げた。
「───そして、最後に、珀黎翔陛下のご退位を…要求しよう」


珀黎翔は、長々と続いた要求全てを聴き終るまで、鄧朗らの言葉に静かに耳を傾けた。

だが、最後の言葉を聴き終ると
黎翔は大きな声で笑い出した。

ははははは…と、黎翔の放つ大声が会場に高らかに響いた。

鄧朗は気色ばんで顔を赤らめた。

夕鈴の首元に当てた刃物をグッと首の薄い皮膚にめり込ませる。


「───私がそのような要求を呑むとは、
お前たち自身、はなから信じていないからこそ

…これほどのことをしでかし、
私の妃を盾にするなどという卑怯な手段に出ているのではないか?
───鄧朗」

「我々の大義の為ならば、卑怯と言われようとかまわない」

「───大義?
…どう言いくるめられたかは知らんが。
私には単なる愚かなテロリズムにしか見えない。
お前たちは狂った破壊者の言葉に踊らされる
…哀れな傀儡(くぐつ)だ───」


「…ぐっ…。

…お前、この、妃の命が惜しくはないのか?
これこそ
お前の本物、であろうに!?」

「本物、であるからこそ。

我が妃は
私が、その様な勢力に屈することを
喜ばない」

静かに黎翔は哂った。

「───なに?」

妃を挟んでにらみ合う二人の
膠着した状態は一瞬にして解かれた。


妃の足元にうずくまり怯えていた女官が立ちあがり、国王に向けて懇願した

「おやめ下さいませ…陛下!
夕鈴様がっ…」

悲鳴のような声で叫ぶ女の声に、苛々と鄧朗は片手を振り回し、女官を追い払う仕草をした。

「そこの女っ!! 動くなっ!
誰か少しでも動いたら、この妃の命はないっ!!」

鄧朗は眼をむき出しにし、額にはちきれんばかりの血管を浮かべて荒い語気で周囲をけん制した。

黎翔は、妃の命乞いをする女官と一瞬、眼を合わせた。


そしてゆっくりと鄧朗と真正面に対峙し、強い口調で断言した。

「鄧朗よ。───知っているか?

妃は、私と約束した。

私より先に逝くことは、決してない、と。

お前らの野望を果たしたくば、
まず私を倒してから、果たすが良い!」

剣を構え直し、
黎翔は静かに笑った。


たとえ目隠しをされていようとも
妃の脳裏にはクッキリと
華やかに陛下が笑っていたのが見えた。

夕鈴には、確かに見えたのだ。
その時の、黎翔の美しい笑顔が。


『陛下───!』

あの方の足かせには、ならない。

夕鈴は覚悟を決めた。

「そこまで言うなら、見ておれ、
お前の妃が、わが刃に倒れる様をぉっ!!
はく、れいしょぉおお~~!!! 」
鄧朗は大声で叫んだ。

「破っ」
と黎翔は剣を振るいながら掛け声をかけ、力強く鄧朗に向けた一歩を踏み出した。

…ザワリ、と。
言葉では表現し尽くしがたい異様な感覚を、その場にいた者誰もが感じたことであろう。

辺りを包む、底知れぬ恐怖と冷気。

その瞬間、何が起きたか、
当の鄧朗は既に理解することはなかった。

永久に。

鄧朗は妃に刃を付きたてることも、国王に刃向うこともせず、
ただ音もたてずストンと膝から崩れ落ち、尻もちを付いた。

───その時すでに命を抜かれているとも知らず。

身を盾に妃を守ろうと飛び出し
今やその周りでおびえ震える無力な女官の
その手から何かが放たれたなど、気付いた者がいようか?

鄧朗が大口を開け叫ぶ瞬間にスッと何かがその口に飛び込み、命を司る脳髄を深々と貫いたなど、たとえ注意深く見つめていたとしても、視認できる業ではなかった。

沈んだ鄧朗の身体が落ちるのに驚き、奥の射手が射かける。
黎翔は構えていた剣で一直線に妃に向けて放たれた矢を空中で叩き落とした。

正面の二名の射手は矢を射なかった…
という以前に、射ることができなかった。

静かに後ろ向きにゆっくり崩れるように倒れ、
引き絞った弦を握る腕から力がぬけ、矢は的外れな方向に力なくビヨンと飛び出し、やがて地に落ちた。

倒れた射手は二人とも額に小さな穴があいているだけだった。
国王夫妻の命が眼の前で危険にさらされているこの騒ぎの中で、賊を誰が仕留めたか、など、この時点で構っていられる者など周囲には一人もいかった。

素早すぎて目にもとまらぬ速さだった。

それこそ、女官の長い袖から白い両の手先がちらりと覗いた瞬間など、誰も見てはいなかった。
そこから繰り出された小さな指弾が同時に二カ所の的を射抜いたと、誰が信じられよう?

この距離で正確に眉間を同時に二つ、仕留めるものがいるとしたら、それは神か悪魔だろう。
───まさか死神がここにいるとは、思いもよらなかったに違いない。


瞬間あっけにとられながらも、辺りを包んだ異様な恐怖と冷気に武者震いし、叫び声を上げ武具を振り上げた者。…そいつらが、反乱者だった。
乱闘が始まる。だが入口、窓、いたるところから布英将軍の配下の兵が乱入し、反乱派に組し、暴れる人物と切り結び、やがてそれらも捕えられた。

血のにおいが充満し、興奮と悲鳴とわめき声で騒然とした会場も、
捕えられた反乱派は引き立てられ、傷つき倒れた者らは手当を受け

国王は妃を無事その腕に取り戻し、抱きしめた。


やがて落ち着きを取り戻し始めたその現場で。

妃の無事を喜ぶか弱き女官の存在が目に入る者など
─── 一人として、居はしなかった。


(つづく)

身代わりの花(14)

一難去り。ほっと緩むお二人を取り巻くは


【バイト妃】【微糖】


* * * * * * * * * *
身代わりの花(14)
* * * * * * * * * *

辺りは騒然としていた。
尊き御身の周りを兵が立ち囲み、覆いとなる。

「───李順!
現場の指揮は任せた。
捕えた者たちから急いで情報を引き出し、全容を解明せよ。
首謀者を追い落とすは、一時でも早い方が良い」

「───は」

李順が現場の指揮を引き継いだ。

黎翔の手により、目隠しとさるぐつわを外され、ようやく夕鈴は自由を取り戻した。

もう安心、と分かっていても、かたかたと細かく震える。

「陛下…ご無事ですか?」見開いた目が、黎翔を捕える。


生きて会える喜びを、その瞳の奥にお互いが感じていた。

『これほどの目にあいながら、自分の心配をするよりも先に、私の心配をするのか…』と、黎翔はその気持ちが愛おしかった。

彼女の振るえる白い手をしっかりと握り締め、その細い肩を自らの腕の中にすっぽりと抱き寄せた。
額に口づけを落とし「無事だ」と告げる。

彼女の温かい涙が胸を溶かす。

「お妃様の、お怪我は?」
控えていた女官長が急ぎ白布を持ち、夕鈴の首の浅い切り傷の処置の準備をしている。

「浅い。…がしばし待て。
今は、───心の傷をいやすが先だ」

そう言ってしっかりと王が妃を抱き締める間、女官長は穏やかに待った。

黒染めの装束に身を包んだ布英将軍がカツカツと歩み寄り、国王とその妃の足元にひざまずいた。

「こちらは片付きました」

「やはり…近衛の羽林大将軍、だな?」

「…は。その通りかと」

「近衛大将軍?…あの? 馬(ば)大将軍、ですか?」夕鈴は驚いて顔をあげた。

陛下は一瞬間をおいて「そうだ」と肯定した。

いつも行事やことあるたびに、王と妃の一番傍近く…いつも厳格な面持ちでご立派に働いてくれていた馬大将軍。
警護に付いて護衛する選び抜かれた近衛の、それもあの、大将軍が? 

布英将軍の方をちらりと見て「どうか?」と問う。

布英将軍は、馬大将軍の配下で任を務めていた。

選び抜かれた近衛は家柄、能力、忠誠心の選抜が非常に厳しいことで知られ、その質は国内一高い禁軍であるからこそ、非常に口が堅い。
その禁軍のトップの将が、今回のテロの首謀者であったということは非常に大きな衝撃を与えた。
そしてそれゆえ、今回の裏調査は非常に難航した。

今回のこの難題を速やか勧められる人物として、布英将軍しかないと黎翔は信頼を寄せていた。というのも、布英は以前夕鈴妃にその命を救われ、罪人として生きていたその運命を大きく転じて以来、彼女に対し最大級の忠誠を尽くす人物であったからである。
かつまたその実力、人物においても禁軍内部の人の心を動かす資質を持っていた。

「馬家当主の館に郎党を大勢集め引き込み、立てこもっております」

「引きずり出せるか?」

「三分の二の隊を出し、館を取り囲んではおりますが。
あちらも戦いのプロ。…簡単には…」

「───分かった」

ゆっくりと頷いた黎翔は、おもむろに腕の中でようやく温まり緩んだ妃にむけて優しく声をかけた。

「…夕鈴。そろそろ、静麗が君の傷の手当てをしたがっている、が?」

「あ、はい…」

夕鈴は顔をあげ、ぐるりと首をめぐらせた。

「───そちらの女官殿は…」と布英将軍が声をかけた。

「女官、長、さんです───。
布英将軍」

夕鈴がさりげなく告げた。
おじさん、と呼んでいたこともあった。
夕鈴は布英が好きだった。
だからつい、そんな風におせっかいな言葉が飛び出してしまった。

静麗女官長は、ふっと辺りを見回し、落ちていた女官長の官位を示す簪を拾い上げ、ついと髪に挿した。

「…これは失礼、女官長殿」

「何か」

布英はじっと女官長を見つめた。

「不思議な御方だ…。これほどまで静かにある、とは。
御許(おもと)は誠、肝の据わった婦女子よ」

布英は、気配に敏感な男だった。

「お褒め頂き」

女官長は深々と頭を下げた。


布英。
墨染めの黒装束に包み、近寄りがたい雰囲気を醸し出すこの将軍は、若い頃身に覚えのない冤罪にて罪人の烙印を押され、異国を放浪した身。
刑の痕跡により異形と変わり果てた顔半分を黒皮のマスクで覆い隠し、夕鈴妃との縁あって軍に復帰した。

僅かに左目から左ほほ、口元、あごにかけて顔面の皮膚が露出し、厳しく近寄りがたい風貌に、近づく誰もが緊張を隠せなかった。

それもこの事件の直後。
いまだ会場では血の匂いに刺激されたある種独特な興奮が立ち込め、兵たちですら紅潮し高揚感が満ちていた。

だが、この女官長は違った。

───ただ、静かなのである。

布英がこのような自然体の女性に会うのは、夕鈴妃についで二人目であった。

暖かな包み込むような気を発する夕鈴妃と比べると、さらに穏やかで不思議と透明な気を発するこの女性を、布英は興味を持ったのだった。

布英は、妃の傷を手当てする白い指の動きを見守った。


「───布英。馬大将軍を捕えよ。妃をこのような目に合わせた罪、しかとその身に教えてやれ」

黎翔の命に、布英将軍は厳しいその顔をさらに引き締めた。

「…は!

では、これにて」

「うむ」

布英将軍が踵を返すと、国王を取り囲む兵たちの輪が緩み、通路を空けた。

夕鈴はその背中に声をかけた。
「布英将軍。
陛下を無事お守りくださり、ありがとうございました」

布英将軍は、振り向くと、もう一度深々と跪拝をとり、立ち上がって去った。


「…お妃様の御傷は深くはございません。
もどりましたら老子に傷薬をご処方いただきましょう。
おそらく跡も残らず綺麗になりますから、ご安心くださいませ」

「静麗、苦労をかけた」

「何ほどの」

「良くやってくれた」

「ありがたきお言葉」

「…さて静麗。お前に少し暇をだす。一日。
ゆっくり普段出来ぬ用でも足して来い」

『ふだん できぬ、用』───と、黎翔はさりげなさの中に、意味を込めた。

「───はい」

女官長はその意図を解して、笑顔で拱手し、頷いた。

「陛下…?」

「少し…妃と二人っきりにさせてくれ、と。

女官長が居ると、あれやこれや、うるさいからな。
ゆっくり籠ることもできぬ」

黎翔は小声で呟いた。

「…!?」

夕鈴はそれを耳にするや否や、パッと赤面し、顔を伏せた。

「へ、へいかっ…!?」

声にならぬかすれた声をあげ、ぎゅっと襟元を掴んで握る。


こんな一言で、耳まで赤くなって。
狼狽している夕鈴はいつも愛らしい…。

黎翔は愛しい妃を抱きしめ、耳元にささやく。


「…もうすぐ。もうすぐ君を安心させられる。
だから、あと少しの間。

私と二人っきりで。

辛抱してくれ───?」

かり…と。
耳朶に───軽い痛みが走った。

いかつい兵たちの背中に囲まれたその場所で、恐ろしい狼陛下に甘く耳たぶをひと齧りされた夕鈴は、声も上げられず、破裂しそうなほどドキドキする心臓を押さえるため、黎翔の胸にしがみ付いた。



(つづく)

*

身代わりの花(15)

布英将軍のターン。
暴力的な表現がありますのでご無理なさいませんよう、ご注意ください。

【バイト妃】【微糖】【※死の陰※ご注意ください】


* * * * * * * * * *
身代わりの花(15)
* * * * * * * * * *

白陽国の国王と妃は無事王宮に帰還した。
『主犯格らはじめ今回のテロに関わった者共全てを捕えよ』と、賊ら首謀者に対する討伐の命が下された。
周囲は慌ただしくも物々しい挙兵の支度にくわえ、国王とその妃の周辺は厳戒態勢が敷かれた。
すでに布英将軍率いる禁軍が首謀者と思われる馬大将軍の館を取り囲んでいるが、相手は選び抜かれた禁軍のトップでありその統率力は高く、固く閉ざされた館には歯が立たず、塀の中と外で硬直した睨みあいが続いていた。

国王の寝所となる宮は十重二十重の兵らによって囲まれ、蟻一匹這い入る隙間なく固められている。

そんな緊迫した情勢の中で慌ただしく奔走する周囲の喧騒も…ここ、王の間には届かない。
静かな広い部屋の中に二人っきり。国王は人払いをし、誰も入室を許さなかった。

* * * * * * * * * *

「誰も来ない。
安心するがいい」

いつものように膝の上に座らされながら、
いつもと違う熱を感じ、
囁かれた夕鈴は、真っ赤になって答える。

「そうおっしゃる陛下が…
一番危険な香りがします」

「…わたしが、危険?───」

「その、あの…だって、狼陛下…?」

「───狼陛下の私は

嫌い、か?」

「…そ、そ、そんなはず
ないじゃないですかっ!?」

しどろもどろになる夕鈴の顎をとり

「…ならば。何も、問題ない───」

黎翔のその端正な顔は、妖艶な微笑みに彩られ
徐々に近づく距離を肌の熱で感じながら
夕鈴はただ目をつぶることしかできなかった…。


* * * * * * * * * *

一方、今回の反乱の首謀者であることが暴かれた馬大将軍の館の周囲は国王派の軍勢に取り囲まれていた。
国王派の禁軍を率いるは、布英将軍。
対する近衛の一の大将軍であった馬に組する将校ら信奉者、一族郎党が馬家当主館に集結し、立てこもっていた。

宵闇が迫った今も、膠着した状態は続いた。
先方は一方的に同じ要求を突きつけるのみ。
こちらの呼びかけに対しての返答は一切なく、言葉に依る解決は拒否された。

国王派の軍勢は馬大将軍の館への武力による突入の準備を進めていた。

布英将軍は率いる隊の隅々まで足を運び「相手はこの国一の手練(てだれ)。一瞬でも憶すれば圧されるぞ。用意万端整え、気を引き締めてかかれ」「暗闇の騒ぎの中、敵味方を間違えぬよう、合言葉を忘れるな」と兵一人ひとりに声をかけ気勢を上げた。
相手が百戦錬磨の手練であろうと、こちらには黒い衣の守護神『墨将軍』こと布英がいる。武神の守護を得た我らが軍の勝利を兵らは誰も疑わなかった。

一触即発の均衡を破ったのは、先方だった。

館内から何やら騒がしげな声があがる。
バタバタとした様子から、いまや攻め入るときと布英は「行け」と大刀を振り下ろした。
進撃の開始を告げる銅鑼が鳴り響く。
館の表裏の二カ所から時同じくして大槌で門を叩く。それに対し、塀の上から弓矢が雨あられと降りそそぐ。爆薬に神経をマヒさせる薬草を練り込んだ煙玉に火をつけ、邸内に大弓で投げこむ。塀に梯子をかけるころには門が破られ、大勢の塀が侵入を開始した。

大扉が破られると、布英率いる本隊はワッとばかりに館内になだれ込んだ。
兵が手に手にかざす松明の明りが照らし出す、大刀を握り締めた黒仮面の男。布英の恐ろしい横顔はまさに鬼神であった。

「首謀者の馬を、捕まえろ! ───生死は問わぬ」

いくら国一番の大将軍であったとしても、この期に及び馬は赦される立場ではなかった。
生死をかけ激烈な戦いが想定された。

布は大刀を振りかざし次々と切り裂き、本邸の奥へを目指し進んだ。
だが、不思議なことに館内は不気味なほど、シンとしている…。

勇み足で踏みこもうとする一団を、布英は腕を挙げ、制した。

「───まて。私から行こう」

「布将軍! 危険でございます。ここは私めが!!」

「いや…、ここは私に任せろ。様子を見てくる。
合図をするまで、待て。」

不思議な気配を感じ、松明を一本副官から受け取ると布将軍は暗闇の館内に一歩を踏み出した。

血生臭い淀んだ空気。ゴロンと足元にまといつくものがあった。
暗闇の中、松明をかざし目を凝らして見れば、それは手に武器を持ち骸となった賊のなれの果て。
骸は一つや二つではなく、折り重なるようにあちらにもこちらにも静かに横たわっていた。

「───はて?
内輪もめでもおこったか」

我らが来る前に、我が軍の兵がこの館まで達しているはずもなく。
ならばここに死体がこうも累々と横たわるのは、異様であった。

貴族館の規模は違えど、概ね想像通りの造作であった。
二階に上がり、館の一番奥にある当主の部屋に近づく。

布英は立ち止まる。
不思議なその感覚を敏感に察知し、息をひそめ体中のセンサーを解放した。

恐ろしい… 
久しぶりに感じるこの底冷えのする感覚。

布英は、松明を廊下の壁に立てかけると、暗闇の中を進んでいった。

当家部屋の扉を、音もなく開ける。

そろそろと身体を滑りこませ、当主が執務をとる部屋をぐるりと一望する。
布英の目に入ったのは、室内の奥にある大きく開け放たれた窓だった。


下弦の半月が天空にかかっていた。
その窓に立つ影一つ。

長い黒髪をなびかせた、
女!? ───

ブワッと大気が逆巻き濃密な壁となり、布英の体を押し付けるように気圧す。

布英将軍ほどの男でありながらも、その者の持つ強大な暗黒の邪気に足止めされた。
その間にその影は音もなくひらりと背面にトンボを切り、一瞬で消え失せた。


布英はあわてて窓まで駆け寄り、その影を目で追ったが、すでに闇に溶け霧散していた。

窓際から室内を振り返ると、月あかりに照らされた周囲がようやく見えてくる。
辺りに折り重なるように倒れているいくつかの人影。
もうひとつ。
執務机に伏せた大きな男の姿。
おぼろげな月あかりのもとに、それは───馬大将軍の横顔のように見える。

だがもう、
誰一人、動いてはいなかった。

布英はあわてて廊下に戻ると松明を取り、もう一度慎重に当主の部屋へと戻った。

机に伏せ、絶命していた男の顔を松明の明りの元、確かめる。

偉大なる近衛の大将軍は、その一生を静かに終えていた。

致死傷は首筋にみとめられた小さな一刺しだった―――。


「これが―――人の技であろうか?
それとも、私が遭遇したのは、伝説の死神か…」


布英は茫然とし、
死に満ちた館のなかで立ち尽くした。


(つづく)

*

身代わりの花(16)

ようやく周辺が落ち着いて…。

【バイト妃】【日常】

* * * * * * * * * *
身代わりの花(16)
* * * * * * * * * *

「───陛下が。
眼光で賊をお倒しに…?」

李順んは胡散臭げに、書類から顔をあげた。

「はい。一昨日の式典襲撃の際、
歴戦のツワモノどもが、陛下の一睨みで次々倒れた、と。
あの噂は本当にございましょうか?」

「…。この忙しい時に真剣な質問かと思えば…」

李順は大仰にため息をついた。

何をバカなことを言っているのですか。

妃を盾にした鄧朗は、
しでかしたことの重大さの圧力に打ち負け、心の臓の発作でもおこしたのでしょう。
弓の射手らは陛下の有能なる隠密が陰から仕留めたといいますよ。

「───本当かどうか、
御身でお試していただいても結構、ですよ?

これ以上私の仕事の手を休ませるようであれば。
陛下をお呼びいたしましょうか?」

…大臣という肩書のある大の大人が。

事後処理で奔走し、発狂しそうなほど忙しい私を呼びとめ
何の話かと思えば

全く…



終わってみれば、あっさりと。
式典会場で捕縛した者たちを覗き
首謀者はじめその郎党らは一掃されていた。

今回のテロリスト側の要求は、
そもそも捕えられている犯罪者の釈放が大きな目的であり、
もし、今回大物を生きたまま捕縛したとして、その身の処遇は微妙に難しい問題であった。

厳しく断罪すべきであるが、
近衛の大将軍まで務めたというその家柄・肩書から
各所から酌量減軽の命乞いが舞い込むのは必至であった。
命在る限り、また次の火種となろう───。
だがその心配はあっけなく失せた。

今回の激しい戦闘で、敵の多くは館を守るため命を落とし
館の中では内輪もめで既に互いを殺し合い、
首謀者の馬大将軍は殺され
馬大臣を殺した者は自害して果てたのであろう、という推論に達した。

李順も、報告した布英自身も、
どうにも腑に落ちない細かな点がいくつもある。

それこそ伝説の死神が現れた、など信じることもできず
かといって
不思議な点を解明しようとしたところでその意味はなく、
「敵をせん滅した」それで結構、と相成った。

ただし、状況について細かな報告は李順の胸一つに納まることとなった。


のちに報告を受けた国王は、しずかに頷いてそれ以上追及しなかった。
唯一、国王その人だけは、その裏を知っていたから──────。



「…まあ、よいでしょう。

これも武勇伝の一つ。
『眼光で敵を倒した』という噂自体は『狼陛下』の威光を示すイメージ戦略上、
プラスであってもマイナスになることはありませんから、ね」

李順は、もう一度ため息をついて納得した。

「それより…。
今後の問題は、あちらの方ですね」

* * * * * * * * * *

コツンと窓から音がした。

「───浩大か」

…窓際に向けて黎翔が声をかける。


「お邪魔とはオモイマシタガ…
今よろしいですか?
…二人とも衣、着てるよネ?」

それを聞いて、夕鈴はボフっと身体全体から煙をあげて真っ赤になった。

浩大の声だけが窓の外からする。

「…馬鹿もの!」

もし、その姿が見えたら黎翔はきっと浩大の顔めがけて小刀を投げ込んだだろう。

「もう大丈夫、って李順さんが。
宮の周辺の兵も引き揚げさせて宜しいか?と」

「…終息したか。引き揚げるよう伝えよ」

「布英将軍がヘーカに目通りを願ってるヨ」

「分かった───しばし待てと伝えよ。
支度をする」


「───静麗!」

陛下が声をかけると、しずかにスイと控えの間の方から女官長がいつも通りの頬笑みを浮かべて跪拝をとった。

「ここに」

「王宮へ参る。支度を」

「畏まりました」

「私が不在の間、よくよく妃の世話をするように」

「仰せの通り」

テキパキと支度を済ませると、黎翔は夕鈴を抱きしめ口づけを落とし

「では、しばし行ってくる。
待っていてくれ」

と部屋を後にした。


ほぼ一日半、黎翔と二人きりで部屋の外に出ることもなかった夕鈴は、女官長の顔を見てホッとした表情を見せた。

「こちらに。お庭で朝摘みのお花をお持ちいたしました」
「…まあ、嬉しい」
夕鈴は花々の盛られた籠に顔を埋め、薫りを胸いっぱいかいだ。
「ここ数日、秘密の客人扱いだったので。
お花の薫りをかぐのは、久しぶりです。…嬉しい」

「それは宜しゅうございました。
今日はどのお花を髪にお挿しいたしましょう?」

「…では。…この赤いお花を」
と夕鈴が華やかな大輪のサザンカを指さした。

「サザンカは、困難に打ち勝つ、ひたむきさ、という花言葉があるそうですよ」
「…!」
「まこと、今のお妃様にふさわしいお花をお選びになりましたね」
と静麗女官長が微笑むと、夕鈴は頬をそめて笑い返した。

「もし、女官長さんがご自分の髪に挿すのなら、どれを選びましたか?」
「…え?」
夕鈴は花かごを持ち、女官長に差し向けた。

女官長は遠慮がちに指を伸ばし、
薄紫の細かい花弁が星のように重なる紫苑の一枝を抜き取った。

「…そうですね。では、これを」

「挿してみてくださいな」
夕鈴が勧めるので、少し困ったように笑いながら
薄紫の小花の一枝を自らの髪に挿した。

「…よくお似合いです。女官長さんの黒髪によく映えます。
とってもお綺麗です」
うっとりと頬を染め素直に褒めるお妃様の人柄は誠に愛おしく。
素朴な些細な交流に喜びは満ちている。

静麗はいつものように櫛をとり、夕鈴の髪をすきはじめた。

(女官長さんの手はちょっとひんやりして、気持ちいい…)
ようやく戻ってきた平常に、夕鈴は心から感謝した。

「―――いつ、王宮にお戻りに?」

夕鈴は、鏡に映った女官長に尋ねた。

「今朝がた、早くに
戻ってまいりました」

静麗女官長は静かに微笑んだ。

「休暇中は、ゆっくりできましたか?
…何かされましたか?」

「何、とは…。
そう、普段手が回りかね溜まっていたホコリを…」

「お掃除ですね?」
夕鈴はニコニコと笑った。

「はい、大掃除を」

「分かります!
無性にやっつけたくなりますよね…。
気になりだすと、片っ端から!」

女官長は夕鈴の貴婦人ならぬコメントに、内心くつくつと笑いだしそうだったが
構えて冷静にいつもの女官長モードで微笑を湛え、こく、とうなづいた。

「───でも、女官長さん。お怪我の方は…」

夕鈴は女官長の身体のことを案じていた。

「いえ、もう大丈夫でございますよ。
ご心配なく」

「それならよかった…」
「お妃さまのお怪我は?」
女官長が櫛をおき、そっと夕鈴の首筋の包帯を押さえた。

「陛下が御自ら念入りにお薬をぬってくださいます…」
夕鈴はポッと赤らんだ。

包帯の下は…
傷だけでなく。
赤い印が押されていることを夕鈴は思いだした。

あっ、と小さく声が漏れる。

(やだ、見られたら、恥ずかしい…)

だが、静麗は素知らぬふりをして妃の髪の元を結ぶと
髪飾り選ぶため横を向いた。

「…では、包帯の交換は
お妃さまのお世話を楽しみにされておられる
陛下のために、とっておきましょう」

女官長はさりげなく気を利かせた。

「事件は落ち着きましたから、
もう、ご安心くださいませ」

静麗は優しく微笑み、最後の花飾りを挿した。
朝露を含んだ赤い花弁が、くっきりと映え、鮮やかに妃を彩った。

「美しゅうございますね」

と一言添え
夕鈴の髪をいつものように整え終えた。


* * * * * * * * * *

「夕鈴様と、女官長様に。
至急、王宮へおいでになるように、と
陛下からお呼び出しが───」

数日間、人払いをされていたため、急に外からそのような声が聞こえ
夕鈴は思わず背中をシャキッと真っ直ぐにした。

「…何事にございましょう?」
女官長が、取り次いだ女官に問いかけると、
女官も要領を得ておらずただ伝言のみを受け取ったという。

「───さあ?」

「分かりました。
とにかく、お支度をして早速まいりますと、お返事を」

「はい」
取り次ぎの女官を戻すと、静麗女官長は美しい衣を妃に着せた。

「よくお似合いでございますね」

「私には…少し派手ではありませんか?」

相変わらず夕鈴様は奥ゆかしいこと…と
女官長は微笑んだ。

「ご安心くださいませ。髪に挿した花飾りとよくお似合いですよ。
お妃さまをお引き立てするのにはちょうど良い塩梅かと」

その時また声がかかる。

「お妃さまは、まだかと───」

「ただ今」

女官長が答える。


「…なにをお急ぎなのでしょうか?
なにか大変なことでも…」

夕鈴が眉をひそめた。

「行かれますれば、
お分かりになりましょう」


(つづく)


身代わりの花(17)

王宮のほうから伝令で、陛下の至急のお呼びがかかり…。

【バイト妃】【日常】【ロマンスの神様】

* * * * * * * * * *
身代わりの花(17)
* * * * * * * * * *

夕鈴は静麗女官長に付き添われ、鮮やかな衣装を翻し、王宮に渡った。

「陛下がお待ちです」と部屋に通される。

黎翔の傍にいつものように李順が控えていた。
李順はいつもよりの大げさに跪拝をし、うやうやしく妃として夕鈴を出迎えた。

夕鈴は目を伏せて挨拶をした。
「陛下、大変お待たせいたしました」

「愛しい妃よ、よく来てくれた」
黎翔の声がする。
明るく甘い狼陛下の声。

黎翔はすっと妃に近寄より、その手をとると軽く口づけを落とした。

「―――華やかな衣装だな。
髪に挿した花とともに、君をよく引き立てている」

頬をいとおしむように指でなぞられ、夕鈴は息をのんで真っ赤になった。

( ―――? )
至急の呼び出し、と聞き、夕鈴はてっきり、ピリピリとした緊張た雰囲気を想像していたのだが、様子がどうも違う。

ふと部屋を見渡すと、布英将軍が控えている。

「これは、布将軍様!
先日は陛下と私の命をお救いいただき、本当にありがとうございます。
心より感謝申し上げます」

夕鈴は感謝を伝え、深々と感謝の礼をとった。

「お妃様、勿体ない、どうぞお顔をお上げくださいませ。
わたくしこそお妃様にお救いいただいた命。
恩義は一生お忘れいたしません」

夕鈴は顔をあげると
「そんな…。私はなにもしていません。
布将軍の頑張ったのを、みんなが認めてくださっただけですよ」
と謙虚に笑った。

「妃よ、こちらへ座れ」
黎翔が中央の座に腰かけ、傍らの椅子に座るよう夕鈴に勧めた。
夕鈴は素直に椅子に歩みより腰かけ、女官長は夕鈴の裾を直しその傍に控えた。

「ところで、陛下。
至急のお呼び出しと伺いましたが?」

「ああ、―――。」

黎翔は李順の方をチラリとみてから、おもむろに窓の遠くを見つめた。

「―――布英の」
「は?」

「いや、布英のことだが」

「はい」
夕鈴は目の前の将軍まじまじと見つめた。

「布英のことを恐ろしいと思うか?」

「―――いえ?
立派なお方だと思います、が?」

夕鈴は、布英の顔を知っている。
10年前、身に覚えのない罪をなすりつけられ額に罪人の証しの刺青を入れた。鼻をそぎ落とされ穴だけとなり、右まぶたのないむき出しの眼球に、引き攣れ醜くただれ頭蓋骨に張り付いた皮膚の顔の半分は異形にて醜悪、それゆえ長い間諸国を放浪し、人以下の扱いをうけ、底辺の暮らしを行きぬいてきた男である。
今は異形の半顔を黒皮の仮面に隠してはいるが、その身から発する異様なオーラに、誰しもおびえ震えるものであった。
だが、夕鈴はそんな布英に対して『つらい過去を頑張って生き抜いてきた立派な人』という尊敬の念はあっても、表面的な美醜によって差別することがなかった。

「―――静麗はどう思う? 将軍の容貌をどう思う?」

「…?」
女官長はいきなり自分に降ってきたその問いに困惑した。

「ん?」
だが、答えるよう黎翔が再度促すので、控えめな口調で答えた。

「…布英将軍のご容貌は…
お父君の先の将軍のお血筋を引かれ、誠に男らしく立派な骨相にて…」

(骨相で、褒める…!)
李順はその巧みさに、さすが百戦錬磨の女官長、と感心した。

「なるほど」
黎翔が肯いた。

「…では。私の願いはお聞き届けいただけますか?」

布英将軍は国王に向かって跪ずき、恭しく奏上する。

「―――まて。先ほど言ったように。
本人の意思を」

「…ええと、あの。陛下。
お話がよく見えないのですが?」

夕鈴が何のことやらと、ついにしびれを切らして、そっと黎翔の耳元にささやき、尋ねた。

「―――実は」

「今回の働きに褒美を取らせる、と」
「はい」
夕鈴は、ニコニコと笑った

「おじさんは命を懸けて立派にお働きくださったので、当然のことですよね!」

「わたしにできることなら、何なりと申し出よ、といったところ…」
黎翔の口が少し重たくなった。

「―――もちろん、ご予算的な問題は、私の判断も加味させていただきますがと、申し伝えました」
李順が間に口を挟んだ。

「布英が即答するに
『女官長殿を賜りたい』と」

(―――は?)
 女官長の眼が一瞬細くなった。

「…え?」
夕鈴は目を丸くし、ぽかんと口を開けた。

「私は『それは、ダメだ』と答えた」

「なぜでございましょう?」布英が問う。

「あれは、夕鈴の大事だ」と、黎翔。

「―――女官長さんは大切な人です…
離れたくありません。
でも、女官長さんがお幸せになるのなら…」

夕鈴はハラハラとしながら、赤くなったり青くなったりして、布英、静麗と順に見比べた。



「横から口をさしはさむは、非常に僭越ではございますが。

―――少々、お待ち くださいませ」


静麗女官長が、静かに立ち上がった。

「布英様」

「はい」

「わたくしをご所望、というのは、どのような意味でしょうか?
身の回りのお世話なら、貴方様ほどのお方、いくらでもご採用できることと思いますが」

「いえ―――もし、貴女さえ宜しければ。
妻に、と」

なぜか夕鈴が真っ赤になった。

静麗女官長は、いつものとおり透き通った白い顔で微笑みを崩さない。

「布英様。わたくしは貴殿よりも十は年上。
このような婆を相手にせず、
貴殿の家門のご繁栄のために、若く美しい女性をお迎えください」

「女官長殿、いや、…静麗殿!」

「わたくしは、陛下の御ため一生を捧げております。
夕鈴様のおそばにあることこそわたくしの一番大切な勤めにございます」

「お考えいただく余地は少しもないと?」


静麗女官長は、美しい横顔を少し曇らせ、細い息を吐いた。

「―――嬉しゅうございましたよ。
ですから、どうかこれを私の、身代わりに…」

静麗女官長は、髪に挿してあった花をすいと抜きとると
布英将軍に手渡した。

―――紫苑。

「…というわけだ。
布英、褒美は何か別のものを」

珍しくも黎翔の歯切れの悪い言葉。


「―――いえ。
今回のご褒美は
この身代わりの花にて
―――十分にございます」

布英は自分に言い聞かせるように言葉を紡ぎ、
静かに引き下がった。


「では、私はこれにて」

踵を返し、退出する布英将軍を見送り、
李順は言った。

「褒美に花一輪とは。
欲がない男です…」


カツン、カツンと重たい足取りが遠くまで響いた。
黒装束に身を包み、人を寄せつけぬ孤高の将軍は、今何を思うや。


―――紫苑の花言葉は

「君を忘れず」


(つづく)





<至急のお呼び出しの舞台裏>

陛下と李順さんの二人で
布英将軍の報告に立ち会って
その際に褒美話が持ち上がった。

布英将軍の望みに対して
(陛下としては、リーリーを夕鈴から離すことはできない、という正当な理由を言うことはできないので)
「それはダメだ」と一方的に突っぱねたのですが
女官長が凄腕の刺客ということを李順さんは知らないので、
『褒美が女官の下賜なら安いもの』と思い、すすめたがった。

あまりに陛下が布英の要望を叶えることを渋るので
「もしや女官長は、陛下のお手付き?」疑惑まで持ち上がり
「ないない、ぜったい、それはない!」(汗;)と陛下も追い込まれ
「ならば、本人の気持ちを聞いてみろ」と相成った模様。

蛇足をば、お粗末様でした。





明日はいよいよ、インテです^^

楽しみです…。



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